更新日:2018年6月12日

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説明板のご案内

 文化財課では、かつて、そこがどのような場所であったのか、多くの皆さまにお知らせし、思いをはせていただくよう、指定文化財や歴史的に重要な施設の跡地等に説明板や標柱を設置しています。

平成29年度

仙台城大手門跡説明板

  • 設置場所
    仙台城大手門跡脇櫓前
  • 説明板について
    大きさ:縦0.8メートル×横1.6メートル
    内容:仙台城大手門跡の説明と古写真
  • 仙台城大手門について
    仙台城の大手門は桁行(けたゆき:横幅)約19.7メートル、梁間(はりま:奥行)約6.8メートル、高さ約12.5メートルもある全国的にも最大級の城門でした。金箔押しの飾り金具を用いた豪壮な大手門は戦前には脇櫓とともに国宝に指定されていましたが、昭和20年(1945年)の仙台空襲で惜しくも焼失しました。
    仙台城大手門跡説明板全景写真 仙台城大手門跡説明板写真

 

仙台藩奉行所跡説明板

  • 設置場所
    仙台市二日町分庁舎前、仙台国際ホテル・SS30前
  • 説明板について
    大きさ:縦0.6メートル×横1.0メートル
    内容:仙台藩奉行所跡の説明と古地図・図版
  • 仙台藩の奉行所について
    仙台城下の町人町(ちょうにんまち)の行政全般を預かる町奉行は、城下町建設期より置かれ、当初は地域割りごとに奉行がいましたが、2人の奉行の月番(つきばん)制となりました。恒常的な施設としての「町奉行所」は設けられず、町奉行を務める藩士の屋敷で事務を行う役宅(やくたく)制が採られていたましたが、嘉永(かえい)年間(1848~55)以降は、仙台城下を南と北に分けてそれぞれに町奉行所が設置されたといいます。仙台市二日町分庁舎前には北の町奉行所が、仙台国際ホテル・SS30前には南の町奉行所がありました。
    北の町奉行所跡説明板写真
    北の町奉行所跡説明板(仙台市二日町分庁舎前)

仙台藩の藩校養賢堂跡説明板

  • 設置場所
    勾当台公園林子平像南側
  • 説明板について
    大きさ:縦0.9メートル×横1.3メートル
    内容:藩校養賢堂跡の説明と平面図、講堂の写真など
  • 養賢堂(ようけんどう)について
    仙台藩の学問所として、元文元年(1736年)、5代藩主伊達吉村によって北三番丁と細横丁の西南角に設置され、宝暦10年(1760年)に7代藩主伊達重村が城下の中心部である勾当台(現宮城県庁所在地)に移転させました。安永元年(1772年)に「養賢堂」と名付けられました。
    文化6年(1809年)に藩の儒学者、大槻平泉(おおつき・へいせん)が学頭(校長)に就任し発展、儒学や蘭学、兵学などを学ぶ、国内有数の規模を誇る藩校となりました。
    威容を誇った講堂は、明治維新後は宮城県庁として使われましたが、昭和20年(1645年)の仙台空襲で惜しくも焼失しました。
    藩校養賢堂跡説明板全体 養賢堂跡案内板写真

郡山遺跡説明板 

  • 設置場所
    仙台市太白区郡山3丁目(郡山中学校より北に200m)
  • 説明板について
    大きさ:縦1.2メートル×横1.6メートル
    内容:郡山遺跡関連周辺遺跡の紹介
  • 郡山遺跡について
    郡山遺跡は1300年前の飛鳥~奈良時代(7世紀後半から8世紀初め)にかけての官衙(役所)跡です。郡山遺跡はI期官衙が造られ、その後I期官衙を壊して同じ場所にII期官衙へと造り替えられています。郡山遺跡は、規模の大きさや施設の構成に加え、営まれた年代から見て、I期官衙は当初陸奥国における城柵として造られ、後のII期官衙は多賀城の前身施設となる陸奥国の国府として営まれたと考えられます。 

  郡山遺跡説明板全体 郡山遺跡説明版面 

 

お問い合わせ

教育局文化財課

仙台市青葉区上杉1-5-12 上杉分庁舎10階

電話番号:022-214-8892

ファクス:022-214-8399