泉区

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更新日:2022年4月6日

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古内志摩義如の墓と遺言碑

古内志摩は、名を義如(よしゆき)といい、初め治太夫と名のっていました。三代藩主伊達綱宗公に仕え、四代藩主綱村公のときに家老となりました。

寛文11(1671)年、江戸幕府大老酒井雅楽頭忠清邸で、伊達騒動(寛文事件)が起こりました。

伊達安芸宗重は、幼名亀千代(四代綱村)の後見人である伊達兵部宗勝の藩政を糺そうと、幕府に訴え幕府執行部による再度の対審が酒井邸にて開かれました。その日伊達安芸宗重、藩奉行原田甲斐宗輔、柴田外記朝意、古内志摩義如、案内役として伊達藩聞番役、蜂谷六左衛門可広が呼び出されていました。幕府の訊問が終了し、控室に戻ると原田甲斐が突然、安芸に斬りかかり、甲斐も柴田外記、蜂谷六左衛門によって斬殺されました。古内志摩は別室にいて難をまぬがれ、実情を知る志摩は、一連の騒動の処理に活躍しました。

延宝元(1673)年43歳で没し、慈眼寺(現在の加茂11号緑地公園内)に葬られました。

遺言碑は古内志摩義如夫人が建てたもので、もともとは義如の墓近くの羽黒山中にあったものを、加茂団地造設の際に現在の長命館公園北側(長命集会所敷地内)に移されました。

【古内志摩義如の墓】

 志摩 古内志摩の墓

【古内志摩義如の遺言碑】

遺言碑 遺言碑2

所在図・アクセス

【古内志摩義如の墓】 加茂11号緑地公園 泉区加茂3丁目33番地内(慈眼寺跡)
地下鉄八乙女駅発 宮城交通バス 加茂団地・長命ヶ丘行「加茂神社」下車 徒歩15分

【古内志摩義如の遺言碑】 長命館公園北側 泉区加茂二丁目39番地(長命集会所敷地内)

地下鉄八乙女駅発 宮城交通バス 虹の丘団地線「加茂二丁目西」下車徒歩1分

古内志摩の遺言碑

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