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泉なつかし写真館―第10回 泉中央

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泉なつかし写真館―第10回 泉中央

平成23年2月1日掲載

 最終回である第10回目は、泉の発展の象徴ともいえる泉中央周辺地区の発展について紹介します。

 この地区は、もともと江戸時代から宿場町として栄えてきた七北田の西側に位置し、戦後、七北田村、泉村、泉町、泉市へと発展しました。その後、昭和52年11月の泉市役所の移転、昭和63年3月の仙台市との合併と泉区の誕生、平成4年7月の仙台市地下鉄南北線の泉中央駅までの延長など、仙台市の北の副都心として大発展を遂げてきました。

 昭和22年の七北田村の人口は4,741人でしたが、平成20年4月の人口は209,226人ですから、実に20万人以上増えたことになります。

 

 

七北田村

昭和22年の七北田村周辺の状況(極東空軍撮影)です。

昭和22年に市町村制が施行され、七北田村が誕生しました。
当時は世帯数618戸、人口4,741人という小さな村で、写真に見るように国道を挟んで宿場町が櫛の歯のように立ち並ぶ寒村でした。
明治9年に明治天皇がこの地を巡行するまで水路が道の中心を流れていましたが、巡行の際に牛車が狭くて通れないということで埋めてしまったそうです。

下は、戦後の七北田村の町並みです。

 

 

 七北田村役場

 

昭和29年の七北田村役場改築の記念に、旧庁舎前で撮影した写真です。

旧庁舎は現在の七北田コミュニティーセンターのところにありました。
後に七北田児童館として使われることになる新庁舎は、現在の泉区中央市民センターのところに建設されました。
翌昭和30年には根白石村と七北田村が合併して泉村となります。
当時の人口は根白石村が7,102人、七北田村が6,939人でした。

下の写真は、七北田の町並みです。

 

 

七北田の変貌

 

左の写真は昭和40年当時の七北田の町並みです。
写真手前右側には、翌昭和41年に完成した宮城県運転免許試験場が写っています。

昭和32年に町制が施行され泉町となりました。
七北田の町は昭和30年代後半から始まった団地開発により、大きく変貌を遂げることとなります。

下の写真は、昭和39年、七北田交番の前でオリンピックの聖火が次のランナーにバトンタッチされたときのものです。

 

 

泉市役所移転

昭和50年1月の市役所用地造成工事における写真です。

昭和40年後半からの人口急増により、当時の泉市の行政需要は高まる一方でした。
七北田字東裏にあった庁舎は手狭になり、隣接する公民館を間借りして議会を開いたり、プレハブ庁舎で業務を行なったりしていました。
左写真の白い線の中が後の泉土地区画整理事業区域内で、その中央部分の少し黒いところが市役所用地造成中のときのものです。

下は、移転前の市役所庁舎の写真です。

 

 

泉市役所新庁舎完成

昭和52年11月の泉市役所庁舎落成時の写真です。

昭和52年11月に白亜の新庁舎が落成しました。
新庁舎は七北田東裏にあった旧庁舎から600メートルほど西に建設されましたが、完成当時はバスの便が大変悪い場所でした。
そのため、市民の皆さんから「どうしてこんな田んぼの真ん中の不便なところに建てたのか」といわれたそうです。
今では笑い話のような話です。

 

人口急増

昭和54年の泉市役所周辺の写真です。

昭和54年に泉土地区画整理事業区域都市計画が樹立決定され、翌昭和55年3月4日に認可されました。
対象面積は101.08ヘクタール、総事業費は68億円余りで、昭和64年完成という当時の泉市にとって最大の事業でした。
また、当時、仙台市が計画していた地下鉄事業とも奇しくも時期が重なり、現在の発展につながりました。

 

区画整理事業着工

 昭和56年の区画整理事業開始直後の写真です。

昭和56年に撮影された、区画整理事業開始直後の写真です。
土地区画整理事業は泉市役所前から工事が始まりました。
写真右下の田んぼの中の赤茶けた表土がはがれた付近は、現在のセルバの付近です。
現在の泉中央駅周辺からは想像もつかないような状況です。

 

着々と進む区画整理

昭和61年のかむり大橋の写真です。

上の写真で、田んぼの真ん中に黒い色の谷が見られるように、区画整理事業区域内の土地は七北田川に向かって河岸段丘(かがんだんきゅう)となっており、相当の傾斜と谷がありました。
そのため、工事は困難を極めました。
昭和58年10月17日には「かむり大橋」が架けられ、元寺小路・七北田線の大動脈として泉中心市街地と仙台が一直線に結ばれることになりました。

下は、かむり大橋親子3代による渡り初めの写真です。

 

 

中心部・南側ほぼ完成

昭和62年の泉土地区画整理事業の写真です。

昭和55年に着工された土地区画整理事業(黄色の線で囲まれた部分)も7年が経過し、順調に事業が進められている状況が左の写真から分かります。
昭和62年10月1日に、泉市役所に隣接してイズミティ21が開館しました。
また、同年の7月15日には、多くの市民の期待を寄せた、「仙台市地下鉄南北線」も富沢駅から八乙女駅まで開業しました。

下は、昭和62年ごろの七北田の町並みが写された写真です。

  

 

グリーンフェア開催

平成元年7月の泉中央地区の写真です。

仙台市との合併後、初の大規模事業として開催された「全国都市緑化せんだいフェア(グリーンフェア)」は、泉土地区画整理事業地(黄色の線で囲まれた部分)の南側の赤生津地区23ヘクタールを会場として開催されました。
この地域は区画整理事業地内より一段低い所にあり、洪水常襲地帯でしたが、グリーンフェアの開催に伴い七北田川の拡幅と護岸工事が行われ、見違えるように生まれ変わりました。
このとき区画整理地内の多くの土地は駐車場用地として活用されました。

下は、グリーンフェア駐車場として利用される区画整理地内の写真です。

  

 

中心市街地形成1

平成2年の泉中央地区の開発状況

「グリーンフェア」終了後、中心市街地形成事業が本格始動しました。
至るところで工事が行われたことが左の写真から分かります。
平成2年7月12日に、こども宇宙館(平成19年12月に閉館)や泉図書館が入った「ミルポートS」が、同年11月1日に「泉警察署」が完成しました。
泉区役所付近では、地下鉄泉中央駅、ペデストリアンデッキや大型ショッピングセンターなどの工事が目白押しの状況でした。

 

中心市街地形成2

平成2年の泉中央地区仙台市街地方面の写真です。

このころ、現在のような街区の整備がほぼ形作られた状況となります。
泉区役所北西に、「健康増進センター」や「泉中央公園」の建設が始まっています。
また、「グリーンフェア」開催時には華やかな催し物が行われていたパビリオンは解体され、「七北田公園」として再整備に向けた準備が行われていました。

 

地下鉄泉中央駅完成

平成4年の泉中央地区の写真です。

八乙女駅から泉中央駅までの1.2キロメートルの延長工事や泉中央駅、ペデストリアンデッキ、大型ショッピングセンターも完成し、平成4年7月15日、仙台市地下鉄南北線が泉中央駅まで延伸開通しました。
七北田公園では元寺小路・七北田線の東側の工事が進められ、野球場やテニスコートが完成しました。
このころは、店舗の利用形態はファミリーレストランなど、平面的な使い方が主流で、訪れた人に本当に中心市街地になるのかと問われたことも多々あったそうです。

 

北の副都心と泉ケ岳

平成21年に撮影された写真です。
写真中央手前に見える白い長方形の建物がベガルタ仙台の本拠地であるユアテックスタジアム、写真左奥に見える白い丸がシェルコムせんだいの屋根です。

以前と打って変わって、高層ビルやマンションが立ち並ぶ仙台市の北の副都心と呼ぶにふさわしい、確固たる街並みになりました。
通勤や通学などで行き交う人も増え、活気を呈しています。
平成17年4月には、地下鉄泉中央駅と泉区役所・イズミティ21方面を結ぶ「泉中央駅地下歩道」が完成。
自家用車での送迎の乗降場所「キス・アンド・スペース」も設置され、ますます便利に生まれ変わりました。

また、写真上方には泉ケ岳が写っています。
副都心としての発展を遂げる一方、昔ながらの田畑や自然が残されています。
都市と田園・自然が調和し、美しい街並みが形成されています。

 

写真:元泉市誌編纂委員会副委員長庄司健治氏のコレクションほか
出典:泉市誌、グラフ泉、いずみのふるさと(総集編)、続みーつけた、泉市の文化財、七北田川まるごとガイドブック


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泉なつかし写真館
(目次)

第1回 軽便っこ

第2回 山の寺

第3回 根白石

第4回 泉ケ岳

第5回 七北田川

第6回 農家

第7回 泉の祭り

第8回 名所旧跡

第9回 泉の団地

第10回 泉中央

 

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