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更新日:2022年10月21日

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第2回「ー協働がつなぐ仙台ー郡市長とふれあいトーク」(8月1日)

8月1日(木曜)は、宮城野区中央市民センターを訪問し、地域の犯罪や非行の予防活動と更生支援活動などの活動をされている「宮城野地区更生保護女性会」の皆さんとお会いしました。
懇談は、「宮城野地区更生保護女性会」の定例理事会(月1回)の開催日にあわせ、理事会開催前の会議室で代表の方たちにお集まりいただき、懇談を行いました。

「宮城野地区更生保護女性会」

本団体は、更生保護の啓発活動に行うとともに、犯罪に陥った人たちの立ち直り支援や、青少年の健全育成などに取り組んでいるボランティア団体です。
・昭和33年発足の仙台東西南北保護司会の婦人部会が前身。
・平成元年、仙台市更生保護女性連盟が発足、区別に地区の女性会が組織され、現在に至る。
・現在会員は65名。
・主な活動は、
1.社会を明るくする運動への参加
2.東北少年院、青葉女子学園等の行事への訪問支援
3.保護司との合同研修会の開催
4.交通保護観察に係る交通講習の受付協力 など。

懇談会に参加された皆さん

渡邉 みち子(わたなべ・みちこ)さん  宮城野地区更生保護女性会 会長
荒井 みつ子(あらい・みつこ)さん   宮城野地区更生保護女性会 副会長
桜澤 洋美(さくらざわ・ひろみ)さん  宮城野地区更生保護女性会 副会長
平山 一子(ひらやま・かずこ)さん   宮城野地区更生保護女性会 編集
鈴木 美保子(すずき・みほこ)さん   宮城野地区更生保護女性会 庶務
飯田 由民子(はんだ・ゆみこ)さん   宮城野地区更生保護女性会 会計

市長
宮城野区更生保護女性会の皆様が、矯正施設や地域でいろいろなボランティア活動をなさっているということを伺って、今日は皆さんからいろんなお話を聞かせていただけるのを楽しみにしてまいりました。限られた時間ですが、日ごろの活動についていろいろな話が聞ければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

更生保護女性会への参加について

市長
渡邉会長さんは、宮城野地区更生保護女性会をどのようなきっかけでお知りになり、どのような経緯で参加されたのですか。そして、いろいろなボランティアを体験されたわけですが、その活動の幅をどのように広げておられるのか、また会員を集められるのにどんなことをなさっているのか、お聞かせください。

渡邉さん
私は、平成9年に保護司になり、同じ保護司の先輩で更生保護女性会に入っている方に、更生保護女性会(以下「更女」。)の事務局のお手伝いを誘われたのがきっかけで、平成14年に入りました。東北少年院とか青葉女子学園などの矯正施設の行事に参加させていただきましたが、とにかく更女のことを知らない人が多くて最初はちょっと戸惑いもありました。そのようなわけで、保護司の研修会に行ったときなどには、更女では今こんなことをしていますよ、ということをPRしまして、できるだけ意識していただくようにしました。その結果、保護司の女性4名ほど、入って活動していただくようになりました。
もともと更生保護女性会は、昭和33年に保護司会の中の女性の方たちの集まりの「婦人部会」が始まりだそうでして、市内東西南北の保護司会から婦人会が独立しまして、昭和39年に前身となる仙台東地区更生保護婦人会が104名の会員で発足しました。その後、全国的に「更生保護女性会」に名称が変わりまして、平成元年に仙台市が政令指定都市に移行したのに合わせ、宮城野地区更生保護女性会ができたのです。
一時期は二百数十名くらいいたこともありますが、会員の方々が高齢化してきまして、先輩は抜けますが、後輩が入って来ないというのが問題になっています。私が更女に入った時も100名以上いましたが、目減りして行って、現在65名という状況です。こういった状況は、全国的にも同じような傾向にあるそうです。更女を知ってもらうにはどうしたらよいかというのが、私たちの一番大きな悩みです。
私たちの活動ですが、最近では市内5区の更女で七夕飾りをつくりまして、それを少年院に飾りました。盆踊りに行った時に、この飾りが飾ってありました。笹竹に飾る時には、毎年少年院生が書いた短冊も一緒に、お手伝いしてもらいながら飾ります。

荒井さん
私の姉が、前からおおっぴらにしないで更女の活動をしていました。私は、まだ子育て中でしてたからよくわかりませんでしたけれど。姉は、更女の活動は自分の勉強とか、やっぱり家庭が一番大事だ、と言っていましたね。私は仙台市の学校給食で働かせていただいて、退職の時、何かをやった方が自分の身のためにもなると思っていたところ、姉が島津久子さん(日本更生保護女性連盟名誉会長 昭和天皇の五女・貴子さんの夫・島津久永氏の母。2005年106歳で死去)の著書を見せてくれまして、それに感激したのが更女に入るきっかけです。それからは、ひとことでは言い表せないけれど、絶対に良い活動だと友達を勧誘しまして、良い仲間、良い人のつながりがたくさんできました。姉は亡くなったのですが、代々続きますね。今日、参加している庶務の鈴木美保子は姉の長男の嫁です。昔の人はよく「三つ子の魂百まで」と言いましたが、家庭が子どもを育てる、というのがこの会に入ってつくづく勉強になりました。
会員を集めることについては、本当に大変です。会員になったら、お金を納めていただいて活動です。今の若い人にお勧めするとなると、よっぽど心のつながりがないとできませんね。この人だったら協力してくれるかなって。
話は変わりますが、東日本大震災のとき、編集の平山さんの地区が海岸通りで、たくさんの方が亡くなって、多くの被害が出ました。平山さんは、財産も書類も全部流されたのです。私たち更女は、会議をする場所もなくなって、集会所でやることになりましたが、みんな意気消沈していました。平山さんは本当に大変な時なのに来てくれて、これからもやりましょうって音頭を取ってくれて、みんなを立ち上がらせてくれたのです。本当に感謝しています。

0801渡辺さん荒井さん

※左から渡邉さん、荒井さん

少年院の思い出ーなんでこんな子がここにー

市長
いろいろな更生施設等を訪問されて、いろんな状況で更生を図っている子どもさんと触れ合うわけですが、荒井さんがおっしゃったように家庭って大切だなと身を持ってお感じになると思いますが、桜澤さんはどうでしょうか。

桜澤さん
昨年、少年院の誕生会があって、手作りケーキを人数分用意して何人かでお手伝いに行きました。誕生会では、一人ひとり自分の希望とか夢とかを語ってくれました。みんなの話を聞いていると、こんな子がどうしてここにいるのかなって思いますね。頑張ってほしいなと強く思いましたし、少ない時間でしたが楽しい雰囲気を一緒に味わえたことが本当に良かったなって思いました。でも、そういうことって、他では言えないので、なかなか私たちのやっていることをまわりの人に理解してもらえない。「何をやっているの?」と聞かれても、いろいろな奉仕をしているとか、いろいろな所に行ってお手伝いをしている、と言うのですが、おおっぴらに言えないところがあって、もどかしいなというのは感じます。

市長
そうでしょうね。今おっしゃられたように、子どもたちが自分の親のことを思い、気付きもまたあって、そういうことを大切にしてもらいたいでしょうし、また少年院を出たあと、しっかりとやり直しができるように、地域でいろいろな取り組みというのも重要だろうなと思いますが、そのあたりもきっとフォローをされてらっしゃると思います。
平山さんはこの活動を通して、どんなことが心に残っていますか。

平山さん
更女は、立派な方々と一緒に楽しく過ごしてきました。東日本大震災後は、人も減ってしまいましたが…。私たちの地域では、社会福祉協議会から助成金をいただいております、昔からずっと。その申請書に活動内容を記載しているのですが、それを見た人が、平山さん、こういうことされているのですか、私も入りたいです、と言ってくれて、4名ほど私の地区から入ってもらいました。

市長
先ほど東日本大震災の話がありましたけれども、大変な中を皆さん地域でご苦労されて、それでもやはり誰かのために何かをしたいって感じるところはすごいと思います。

渡邉さん
震災があってすぐに全国の更生保護女性連盟の方々からたくさんのご寄付をいただきました。何千万というお金をいただき、それを岩手、宮城、福島に分けて、当時の会長さんが自らそれを届けに来てくださいました。それを地区ごとに、保護観察所の所長さんや職員の方々とご相談して、宮城野地区でいえば高砂地区が大変だったからと、いただいたお金の中から沿岸部の会員さんにいくらかこれを分けましょうとか。県内では、南三陸町の方々がいったん仮設で登米市に移られましたが、登米市の会員の方々がすぐ動いたそうです。おにぎりやら何やらを仕入れして。そういうことをするのが更女なのです。ほうっておけないとか、おせっかいが更女のスローガンなのです。
さきほど荒井さんが話されたように、平山さんは、大変だったなか、定例会を開いたら来てくださいました。震災の凄惨な話を聞いて、皆で涙を流しました。8年が過ぎて薄れてきましたけど、この人の力を分けてもらった。本当に元気をいただいたと思っています。

市長
お互いが繋がって、いろんなことを支え合って、そして乗り越えていく力というものを皆さんたちがよくわかっていて、それをまた大きなパワーに換えていく術を持ってらっしゃるのだなと思って感心して聞かせていただきました。
鈴木さんはこれまでの活動の中で何か印象に残っていることはありますか。

鈴木さん
少年院の運動会に参加した時ですけど、院生と保護者で手を組み合わせてボールを運びながら走るレースがありました。私は、ボールが落ちないようにということだけが気になって、ゆっくりしか走れなかったのです。ところが、一緒に走った院生の子が気遣ってくれて、無理に合わせてくれたのです。昼食会があって、そこでいろいろお話もしましたが、桜澤さんもおっしゃっていましたけど、なぜこんな子がここにいるのかなって思うくらいです。素直な子で、就職も決まっていたのでしょうけど、こんな子だったらうちの社員にほしいと思うくらいの子でしたので、印象に残っています。こういうふうになるまでには、その子どもに対してたくさんの人が関わったのだろうなと思います。そのうちのたった一人ではありますが、いくらかでも力になれればいいかなと思いながらやっています。

0801時計まわり

※市長より時計まわりに、渡邉さん、荒井さん、桜澤さん、平山さん、鈴木さん、飯田さん

更生支援のむずかしさ

市長
若い時に、何かのきっかけで少し道を外して、そういうことがあってもちゃんとまたやり直しができるようになるというのは、多くの方々の力があるからでしょうね。今、少年犯罪も減少していると聞いていますし、軽微な犯罪の方が多い状況ではありますけど、少年院に入って更生を図って、学校に戻ったり社会に出て行ったりするときに疎外されてしまうと、再犯みたいなことに結び付いて行くことにもなりかねません。私たちがどういうふうにその子たちを迎えるかということを考えなくてはいけないのかなと思います。一般社会のありようについて何かご意見をお持ちですか。

桜澤さん
私は1年まえに保護司になって、ちょっと暴力沙汰の子と関わっているのですが、高校中退して月2回面接して会っておしゃべりなどをしています。高校中退だから、夜間とかに行ってみたらと言うと、僕は勉強嫌いなんだよねと。それじゃ高校が嫌だったら何か仕事しないとだめだよね、ということで、一生懸命、仕事を探していますが、あそこのレストランに行ったけど面接で落ちた、焼き肉屋さんに行ったけど落ちた、と聞くと、働くところがあったらなと思いますね。昼夜逆転の子だったので、家でゲームばっかりしてないで、と声掛けして、一緒に老人ホームで雑草取りの社会貢献活動をしたりして1年経ちました。新聞配達でもやってみようかなと本人が言っていたので、次に会うのを楽しみにしています。アルバイトでもいいから決まってくれるといいなと。こういった更生のお手伝いができるというのも、更女に入ったからかなと思っています。

市長
大変だけれどもやりがいがあるなというのを感じました。
飯田さん、いままでやってこられて、お話ございませんか。

飯田さん
皆さん、少年院のお話をなさいましたけど、角度を変えて東華会っていう刑務所から出られて受け入れ先のない人を受け入れる施設についてお話したいと思います。毎月の地区ごと当番が年2回まわってきますが、施設に夕食を作りに行きます。私たちが普段食べているようなものを作るとすごく喜んでくれるのです。家庭の味を思い出して涙を流す方もいらっしゃいます。悪いことをしてしまい、家族やきょうだいにも受け入れてもらえない、この人たちの気持ちを思うと、本当に悲しい気持ちになりますね。どんなに離れていても家族というのは絆が強いものと私は信じているので、早く家族の人と仲良くなって受け入れてもらえたらいいのにな、と思います。
先ほど、保護司の仕事をされて、なかなか仕事がないというお話でしたが、関連があるかどうかわかりませんが、私の夫は18~19歳位からBBS(Big Brothers and Sisters Movement)という団体で、少年少女たちに、同世代のいわば兄や姉のような存在として、一緒に悩み、一緒に学び、一緒に楽しむボランティア活動をやっています。私たち更女は、母親の立場で対象者と付き合っていくというスタンスですね。どれくらい悪いことしたのかわからないですが、あるとき夫が男の子を連れてきました。義弟が内装の仕事をしていたのですが、「お前ここで頑張れ」と義弟に預けたのです。男の子はそこで辛抱して頑張って、今では一人前になり、あちこちで大きい仕事を請け負っているようです。うちではその子が立派になってくれたのが嬉しいですし、みんながそういうふうになってくれるといいな、と願っています。

0801懇談中の様子

更生保護ネットワークを知ってほしい

市長
更生保護という制度そのものが、犯罪や非行をした人の更生を支援していく制度で、これは地域もしっかりと理解しないとなかなか進まないわけですが、そのご苦労がおありだなと思います。せっかくですから、地域の皆さんにこうあってほしいというか、何かあればお話を聞かせていただけますか。

渡邉さん
周りの方々の意識としては、なぜ悪いことをした人のために手助けをするのかという感じかもしれません。でも違うでしょ、と。もし私たちが受け入れなかったら、結局はまた罪を犯して、また刑務所に入らなくてはいけなくなるかもしれない。結局、再犯を繰り返さないためには、きちんと受け入れる人がいなければ、そうなるということを言っています。
周りにそういう人がいないと理解できないのです。例えば、保護司の仕事ですけど、昔は保護司をしていることを隠さなければいけなかった。対象者も秘匿です。今は保護司として活動することは認識されていますが、更女も同じです。本当に周りの方々の認識を変えるということは、私たちの小さな団体だけでは力不足だと感じています。
今は更生保護ネットワークというのがあって、保護司、更女、BBS、就労支援の人たちがいて、リンクしながらみんなでやりましょうというものです。だんだん広まってきていると思うので、この認識をどうにかして、一般の方たちにも知っていただき、巻き込めればという思いはありますけど、そこまで至っていないのがさびしいところです。
今の時代は、更女に入ってもらいたいと言っても、更女って何?そういうのでお金を出さなきゃいけないの?とお金の話から始まります。なぜ会費を払ってまでボランティアをするの?というのが最初です。私たちや先輩の年代は、奉仕するということに対してお金うんぬんというのはないです。やはり気持ちじゃないかと思います。今は、まず会費に対する説明から始めなければならないということが大変です。
女性会、保護司会、区、市と大きく広げながら皆さんで守っていかないと、再び罪を犯して刑務所に入らなければいけないとなるのは悲しいことだと思うのです。
少年院の行事のなかに「一日母親」というのがあります。それが年に1回ありまして、それは仙台5区の各地区から6名、計30名くらいで少年院の子どもたちのためのシーツや枕カバー、座布団カバーと雑巾類を朝10時くらいから夕方3時過ぎまで縫ったり、ミシンをかけたりして来ます。雑巾は手縫いですけど、院生が来てくれて一緒に雑巾縫いをしてもらいます。100枚ずつくらい作るのですが、それが一大イベントですね。必死で作ってきます。ひとりの院生に更女が6人くらい付きます。それが「一日母親」の活動です。家族のために洗濯したり、シーツが壊れればまた作り直してあげたりという、そういう思いです。昔は、布団も打ち直ししていあげていたそうです。この「一日母親」は輪番制でして、ひとつの地区だけではなく、宮城野地区でも鶴ケ谷がやったら今度は幸町、次は高砂というように、皆さん全部経験しています。

市長
これ、院生たちはどう感じているのですか。

渡邉さん
卒院間近の院生が1人来ますが、嫌がるということはないです。最初は縫えなくて針が指に刺さったりして、縫い物はしたことがないと思います。シーツやカバー、雑巾等がたくさんできて、贈呈式みたいなものを行って、最後にありがとうございますと院生から感謝の言葉をもらうときは感動します。
一番感動するのは、少年院の成人式ですね。二十歳になる子が成人になるにあたって、自分の思いを述べます。保護者も来ますが、私たち更女もだいたい1地区3~4名行きます。院生が発表する決意を聞くと、本当に涙が出ます。「お母さん、お父さん、ごめんなさい。自分がこういうふうになってしまって、迷惑をかけました」という感じで。当日来られない保護者からの手紙も読まれますが、読む方が抑揚を付けて上手に読むので、なおさら涙が出ます。私も涙もろいなと思いながら、いつも感動して泣いてしまいます。少年院でも、青葉女子学園の子もですが、先生方がいかにきちっと教育されているか。少年院では職業訓練を、青葉女子学園はお華を習ったり、お茶を習ったりできる教室もあるみたいです。それも全部ボランティアで行ってらっしゃいます。そういう講師の先生方が行ってくださるから、落ち着いた心を持てるようになるのかな、といつも思って帰ってきています。

荒井さん
受け入れが一番重要だと思います。そこで巣立って反省したら、家族が受け入れてくれるということが。私も文化祭の時に行きましたが、「任期が終わったらいつでも受け入れるよ」と、お母さんが悲痛な声で最後のあいさつをされていました。その時は、みんなもらい泣きしました。その時のお母さんのように、更生を支援したいと思います。絶対更生してよと、心の中で思っています。

0801懇談風景

更女としてやってみたいこと

市長
私も以前、議員時代に、少年院をいくつか回って見たことがありますが、本当にちょっとしたことが原因で罪を犯して、そのことを悔いながら、勉強も一生懸命にして、いろんな技術を習得されて、でも本当に社会に受け入れてもらえるかということを心配されていました。あぁ、社会がどのように彼らを迎え入れるのかというのは大きな課題だなと思いました。そこを担ってくれているのが皆さんたちで、とても大切なことだと思いますね。メンバーが減ってきているというお話もありましたけれども、これからメンバーを増やされて、こういうこともやってみたいというお話があれば、聞かせていただきたいと思いますが、どうでしょうか。

渡邉さん
今の時代、罪を犯した人の支援も必要ですけれども、小さな子どもが親によって虐待されているというのが、本当に目に見えて増えてきています。それで、たぶん区役所の家庭健康課の方々も苦労されていると思います。そういう子どもたちをなくするための子育ての仕方というか、親のゆとりがないから子どもにぶつけるのではないかという思いがあります。自分も若い頃、子育て中はどうしても子どもに当たることがありました。ただ理性によって、あぁ、ここまでやったら子どもが傷付いてしまうと、理性があるから止められたのかなと思います。周りに、若い私たちを助けてくれるおじさんやおばさんとかがいたから、止まることができた。今は、各家庭でそれを止めてくれる方がいないからエスカレートしていくということもあるので、若いお母さんたちのための何かお手伝いが更女としてできないものかなという気持ちがあります。ただ、どこまで私たちが入り込んでいいのか、そこがちょっと未知の世界というか、考えている途中というところですね。すでに、宮城野地区更生保護女性会全体でなくても、分区の中で、子ども食堂をしたりして、実際に活動している方はいらっしゃる。そういうことを私たち宮城野地区の活動としてやっていければと思っています。区役所が目の前にあるこちらで、私たちは月1回理事会をさせていただいています。もう少し家庭健康課の方とも連携して、少しでもお手伝いさせていただければと思っているところです。虐待される子どもたちというのは、私たちにとっては孫、ひ孫に当たるような小さい子です。だから、本当に痛々しくて。そういうことは常に思っています。

桜澤さん
私は最初、更女の一員としてではなく、銀杏町に住んでいるおばちゃんとして、児童館で月1回子どもたちと遊ぶ時間があって、実は今日もごみ集積場に子どもたちを何十人か連れて行く予定でした。それは、夫にお願いしてきました。今頃、子どもたちと一緒にごみ集積場で見学していると思います。そういうのを今度、ただのおばちゃんではなく更女のおばちゃんだよ、みたいにして広めていこうかなと考えています。そして、子どもたちにも知ってもらえたらいいかなと思います。子どもたちと遊びながらも、この子大丈夫?けがしてないかな?と見たりして、5年間もやっていると、更女的な見方をしてしまいますね。そろそろ児童館の館長に言って、更女のPRをさせてもらってもいいかなと思うようになってきました。

鈴木さん
高砂の子ども食堂では、更女も何かお手伝いできないかということで、月に1回、日曜のお昼に入らせてもらっています。私たちは今のところ、作る側です。遊ぶ方も結構、子どもさんたちと年配の方とかが交流を深められるようないろいろな遊びを考えています。地域は、人と人との関わりが一番大事だと思います。子どもたちが安心して来られる居場所づくりを目指しているところです。今とても人気で、バイキングとかもやります。どんどん参加者も増えているみたいで好評ですね。参加者は50人ということになっていますが、予約なしで来る方も結構いて、60人くらいになったりします。今後は、部活の帰りの中学生とかに向けた食堂などができればいいね、という話も出ています。

市長
話が広がって今後が楽しみですね。
荒井さん、今後についてお話を聞かせていただけますか。

荒井さん
島津久子先生が始めて、これまで先輩方がずっと長いこと灯してきた、その灯を絶対消すまいという気持ちで、一人でも多くの人に参加していただいて、活動を続けたいと思います。
それから、自分のことですが、更女の会議で役目が決まると、忘れてはならないと思いすぐ書き留めたり、スケジュールを随時確かめて、忘れないで行動するというのが、自分としては脳トレになると思ってやっています。

市長
今日は、皆さんから話を聞かせていただきました。今後も、地域に根差して幅広く活動していただいて、市民の皆様の期待に応えていただければと思いますし、また子どもたちを巡るさまざまな問題の解決のために力を貸していただければありがたいなと思います。
今日は本当にありがとうございました。

理事会を視察しました

懇談のあと、お揃いになった理事会メンバーと一緒に写真撮影をし、宮城野地区更生保護女性会の定例理事会を視察しました。
開会に先立ち、全員で御歌を斉唱し、更生保護女性会綱領を共に読み上げ、目的意識を統一しました。
会議では、まず先月の行事参加報告があり、次月行事への参加地区の割り振りなどが話し合われました。
皆さん和気あいあいと賑やかに会議を進められていました。

終了後記念写真

0801理事会

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