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仙台城本丸巽櫓[たつみやぐら]跡 現地説明会資料
仙台市教育委員会文化財課 平成14年7月13日

仙台城について
 仙台城は初代仙台藩主伊達政宗によって造営された城で、慶長5年(1600)、城の縄張りが開始され、慶長7年(1602)には一応の完成をみたといわれています。仙台城本丸の規模は、東西245m、南北267mと諸大名の城郭の中でも最大級でした。築城当初は「山城」である本丸を中心とする城郭でしたが、政宗の死後、二代藩主忠宗が山麓部に二の丸の造営を開始しました。寛永年間以降はこの二の丸が藩政の中心となり、三の丸・勘定所・重臣武家屋敷などが一体となって城郭を形成していました。本丸には大広間を中心として、上方から招いた当代一流の大工棟梁・工匠・画工等によって造られた桃山文化の集大成といえる建物群が威容を誇っていたと考えられています。平成13年に行った大広間推定地の発掘調査では、大広間の一部とみられる礎石跡と雨落ち溝などの遺構が発見されたほか、鍍金[ときん]された飾り金具などが出土しました。本丸の建物群は江戸時代の度重なる災害に加え、明治維新後の取り壊しなどにより失われ、現在では北壁の石垣や周囲を囲む土塁、巽櫓跡などに点在する石垣や礎石とみられる石材などが往時の仙台城を偲ぶ貴重な遺構となっています。
巽櫓について
 創建期の仙台城本丸には4基の三重櫓(巽櫓・艮[うしとら]櫓・東脇櫓・西脇櫓)が存在したことが正保3年(1646)までに描かれた「奥州仙台城絵図」によって確認することができます。絵図に描かれた巽櫓からは、入母屋[いりもや]造りの南北棟三重屋根で瓦葺きであり、屋根の千鳥破風[はふ]や連なる築地[ついじ]塀には狭間[さま]が付けられた姿であったことが推測されます。櫓の北側には付櫓[つけやぐら](脇長屋[ながや])とみられる平屋建物が附属しており、櫓の南側には土塁(大番士[おおばんし]土手)が接していたことなどが観察されます。正保3年(1646年)4月28日の「伊達治家[じけ]記録」には、同月26日の地震により三重櫓が3基倒壊したとの記載があります。これらの文献から巽櫓の倒壊した時期を決定することはできませんが、正保の絵図に描かれていた巽櫓が寛文年間以降の絵図には描かれていないため、正保の地震で巽櫓は倒壊したものとも推定されます。
〜櫓(やぐら)とは〜
 櫓は矢倉・矢蔵とも記し、土塁や石垣上に建てる物見[ものみ]・防御・攻撃・武器などの収蔵を目的とした建物です。巽櫓のように城外の見通しがよい塁上の角に築く櫓を隅櫓[すみやぐら]といいました。元来、櫓は戦闘の目的を持った建造物でしたが、近世になると櫓が本来持つ役割は薄れていきました。
関係略年表
慶長5年 (1600)
政宗、千代[せんだい]を仙台と改め、城普請[ふしん]の縄張を開始
慶長8年 (1603) 政宗、岩出山より仙台に移る
慶長15年(1610) 本丸大広間完成
元和2年 (1616) 地震により櫓・城壁崩壊する
寛永13年(1636) 政宗死去、忠宗二代藩主となる
正保3年 (1646) 地震により本丸城壁崩壊、三重櫓三基倒壊す
寛文8年 (1668) 大地震、城壁崩れる
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奥州仙台城絵図
(正保2・3年[1645・1646])齋藤報恩会蔵

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現況地形図

奥州仙台城絵図

 正保2年(1645)から正保3年(1646)に幕府の命により作成された、仙台城を描いた最古の絵図です。巽櫓などの三重櫓や門が写実的に描かれています。
 幕府は諸藩を管理・統制するために、全国の諸大名に命じて図式・描法を統一した国絵図や城下絵図を提出させました。幕府提出用の城絵図では、城の規模や縄張が重要視され、土手や石垣の高さ、堀の幅や深さなどが記載されています。

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巽櫓跡調査区平面図
[1]付櫓[つけやぐら](脇長屋)石垣
 櫓台の北側には、西側に面を向けた石垣が検出され、付櫓(脇長屋)建物の石垣と思われます。北西角の石材には加工痕がみられます。西側に束石と思われる石材が3石確認され、庇や出入口が付いていた可能性があります。

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[2]巽櫓台石垣
 巽櫓台石垣を形成する石材は20石ほど検出されています。石垣はコの字型に並び、櫓台を構成するものと推測されます。角石[すみいし]には明瞭な加工痕がみられます。

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[3]櫓台玉石層
櫓台内部には拳大の玉石(河原石)がほぼ全面に充填されています。

[4]礎石列
櫓台玉石層の上面で礎石とみられる石材が4石確認されています。
南北方向に列をなす3石は櫓台の西辺石垣とほぼ平行しています。
[5]瓦集積層
櫓台の周囲に分布する白色粘土層からは大量の瓦が出土しています。

[6]大番士土手[おおばんしどて]
仙台城本丸南辺の土塁で埋門から巽櫓まで160m(「長さ86間」)ほどの長さがあって、本丸平場の平均標高と土塁上面との標高差は1.1〜1.4mです。


これまでの調査からわかったこと

1・巽櫓について
○ 櫓台(石垣とその内側の玉石が充填された部分)は西辺10.2m、北辺8.4m、南辺2.2mが検出されており、崩落により櫓台の南東部分が失われているとみられます。北辺の延長上の崖地に3石の石材が確認でき、北辺は8.4m以上の規模・長さであったものと推測されます。
○ 石垣石材は、角石に加工痕がみられますが他の石材には加工された痕跡は認められません。石積み技法はさまざまな形の自然石を用いた、野面積み[のづらづみ]となっています。
○ 櫓台内部には拳大の玉石がほぼ全体に充填されています。櫓建物の礎石とみられる石材が4石確認され、南北方向に列をなす3石は櫓台の西辺石垣と1.9m前後の間隔でほぼ平行しています。石材の間隔はそれぞれ1.97mと3.43mで、櫓建物の柱間寸法を推定する手がかりが得られました。
2・付櫓(脇長屋)について
○ 櫓台北側には、西側に面を向けた石垣が検出され、櫓台石垣と接する部分から7.8m北に延びたところで直角に東に曲がっており、絵図などとの対応から付櫓建物基部の石垣と思われます。
3・出土遺物について
○ 櫓台の周囲に分布する白色粘土層からは大量のが出土しています。軒平瓦では桔梗文、軒丸瓦では三巴文の文様のものが多く出土しています。鯱瓦片2点、鬼瓦片数点も出土しています。その他に砲弾と思われる鉄製品が2点出土しています。

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写真[1] 瓦
出土した瓦を用いて屋根の軒先部分を復元。三巴文、三引両紋、桔梗文、花菱文など様々な文様の瓦があります。(実際にはこのような文様の組み合わせはありません。)

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写真[2] 砲弾

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