二代目沢村田之助の頼兼と二代目尾上松助の高尾 (にだいめさわむらたのすけのよりかね と にだいめおのえまつのすけのたかお)
文化10年(1813)3月に江戸中村座で上演された「其面影伊達写絵(そのおもかげだてのうつしえ)」にもとづく役者絵。いわゆる「伊達騒動(だてそうどう)」を歌舞伎化した「伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)」の開幕劇「高尾の吊斬り(たかおのつるしぎり)」を描いたものである。奥州五十四郡の太守足利頼兼(伊達綱宗のこと)は、遊女高尾に惚れ込んで伽羅(きゃら)の下駄をはいて郭に通う。やがて高尾を身受けした頼兼は、三股川に大船を浮かべるが、自分に逆らう高尾を酒乱のあまり船べりに吊るし斬殺するのである。絵師の歌川豊国(1769〜1825)は、歌川豊春の弟子で役者絵の第一人者となった人物。大宮司雅之輔コレクション。 |
蚶の介科(あかがいのみぶり)
文化年間(1804〜18)頃に歌舞伎役者の物真似が流行した。戯作者の山東京伝(1761〜1816)はそれをヒントに、文化6年(1809)さまざまな動物の身振りをまねた座興の種本『腹筋逢夢石(はらすじおうむせき)』初編を著した。この際に絵師として起用されたのが、役者絵界の第一人者・歌川豊国(1769〜1825)である。本図は、書中のいくつかを錦絵のシリーズとして刊行したうちの一図。どぎつい陰影を施しているせいで、ユーモアを通り越して不気味ささえ感じさせる。阿部次郎コレクション。 |
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讃岐院眷属をして 為朝をすくふ図 (さぬきいんけんぞくをして ためともをすくうず)
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| 文化4年(1807)から8年にかけて刊行された曲亭馬琴作・葛飾北斎画の読本『椿説弓張月(ちんせつゆみはりづき)』の一場面を絵画化したもの。この本の主人公である鎮西八郎為朝(ちんぜいはちろうためとも)が、京に上り父の仇である平清盛を討とうと肥後水俣から2艘の船で出帆したが、台風に襲われ遭難する。妻の白縫(しらぬい)は海を鎮めるため海中に身を投げるが、嵐は一向に収まらない。もはやこれまで、と為朝が腹を切ろうとする時、讃岐院の命を受けた天狗が現れ為朝の自害を制した。一方、船を砕かれ為朝の息子舜天丸(すてまる)を抱いて海上を漂う紀平治(画面では喜平治)の前には大きな鰐鮫(わにざめ)が現れ2人を助ける。以上3つの場面が一画面に収められた本図の見どころは、巨大魚とちっぽけな人間との対比の面白さ、そして3枚続の画面を貫いて横たわる巨大魚と波とが見せる躍動感あふれる表現である。武者絵を得意とした歌川国芳(1797〜1861)の代表作。大宮司雅之輔コレクション。 | |||||||||||
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陸奥安達百目木駅 八景図 (むつあだちどうめきえき はっけいず)
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| 「東海道五十三次」の浮世絵師・歌川広重(1797〜1858)が、東北地方の風景を描いた作品。現在の福島県安達郡岩代町の百目木(どうめき)地方の8ケ所の名所を写し、図上に8種の和歌を記している。制作年は弘化元年から3年(1844〜46)頃と推定される。画面中央に大きく描かれるのは、渡辺半右衛門の屋敷である。渡辺家はこの地方の豪農で、半右衛門は天保14年(1843)から幕末まで百目木村の名主をつとめた人物。画面左下に「渡辺半」とあるので、本図は広重への注文制作だったことがわかるが、広重が実際にこの地を訪れたという確証はない。林信夫コレクション。 | |||||||||||
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