1615年10月25日、使節はローマへ入り、29日には常長は華麗な衣装を身にまとい、入市式の行進を行いました。そして11月3日には、キリスト教の頂点であるローマ教皇パウロ五世に会いました。その時教皇に手渡された伊達政宗からの手紙には、仙台藩でのキリスト教布教のためフランシスコ会宣教師の派遣とメキシコとの貿易に関し、スペイン国王へのなかだちをお願いすることが書かれていました。その金箔・銀箔を散らした美しい和紙を使った日本語・ラテン語2種類の手紙は、現在もヴァチカン図書館に保管されています。
ローマでは、常長の高潔な人柄がほめたたえられ、常長は貴族の位を与えれられ、彼をはじめとする8名にローマ市公民権が授与されました。
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ローマ教皇パウロ五世像
(国宝 慶長遣欧使節関係資料)
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左の写真は1615年、常長がローマで謁見したローマ教皇パウロ五世の肖像画です。この油絵は、常長が日本に帰国してから伊達政宗に献納したものです。作者は不明ですが、恐らくは教皇庁関係者に配るために複数制作されたものの1枚と思われます。
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ローマ市公民権証書
(国宝 慶長遣欧使節関係資料)
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羊皮紙を用い、上部と左右には7つの紋章を並べ、左上には支倉常長の紋章である「逆卍に違い矢」が描かれています。本文はラテン語で、ローマ市議会で支倉常長にローマ市民の権利を与え、貴族に加えることが金泥で書かれています。遠い国から渡って来た支倉常長たちが、ローマでたいへんな歓迎を受けたことが分かる資料です。4段目には、「PHILIPPO FRANCISCO FAXECVRA ROCVYEMON」、中央右よりには「IDATE MASAMVNE」の文字が読み取れます。 |