ローマ教皇から宣教師派遣の許しを得た使節は、ふたたびスペインと貿易の交渉をするためにマドリードにもどります。しかし彼らはそこに留まることも許されず、帰国のためにセビリアへと移されます。常長とソテロは使節の大部分の人々を帰国させた後も、国王フェリペ三世の返書を得るためにセビリアに留まり、交渉を続けます。
しかしついに1617年7月4日、返書を得ることもなく、追われるようにヨーロッパを離れ、メキシコに向かいます。そしてアカプルコに迎えにきたサン・フアン・バウティスタ号で、フィリピンのマニラに到着します。
常長は、マニラに到着直後、長男の勘三郎あてに手紙を出し、来年には必ず帰国することを伝えています。しかし、常長は結局2年間マニラに滞在することになりました。目的を達せられず、失意のまま常長が仙台に帰ってきたのは、1620年(元和6)8月26日、月ノ浦を出航してから実に7年の月日が過ぎていました。
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支倉常長書状
勘三郎宛(複製)
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メキシコから帰る途中、フィリピンのマニラから、長男の勘三郎あてに書いた手紙の複製です。中には、使節に同行した3人の足軽衆をはじめ、常長の家来たちはみな元気であること、清八、一助、大助の3人がメキシコで逃げたこと、殿様(政宗のこと)への買い物や船のしたくで忙しいことなどが書かれています。さらに、来年の6月には必ず帰るので、それまで「おうばさま(祖母)、はは(母)」の世話をよろしく頼むこと、そして殿様への奉公をしっかりするようにと書きそえ、家族へのこまやかな心配りを見せています。原本は、東京大学史料編纂所に所蔵されており、日本に残る唯一の常長の自筆書状です。
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短剣
(国宝 慶長遣欧使節関係資料)
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右の写真で、上の剣(こぶしを守るための金具がついている)はスリランカ特有の刀で、「カスターネ」とよばれるものです。柄の部分は象牙でできており、神話上の動物であるシンハ(獅子)が彫り出されています。下の両刃の剣は、インドネシア地方で作られた「クリス」とよばれるものです。刀身の元の部分は金やルビーが埋め込まれ、柄は神像になっています。これらの剣は、フェリペ三世のコレクションからもらったものという説もありますが、常長が政宗へのおみやげとしてフィリピンで買ったものかもしれません。 |