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更新日:2023年10月4日
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平成27年度「仙台市博物館調査研究報告」第36号には、以下の論文等を掲載しました。
明石 治郎
仙台市博物館所蔵伊達家文書のうちの中世文書を対象とした形態等の調査において知り得た「小文の礼紙」についての報告である。
この場合、「小文の礼紙」とは、横切紙の書状とそれに巻かれた白紙(礼紙)、それらに掛かる封紙から成る一組のことであり、書状が運搬された戦国期当初の原型をとどめる貴重な資料だと考える。
本稿では、二十数点遺る「小文の礼紙」を江戸時代後期の『貞丈雑記』など故実書に見える記述との対照もおこないながら紹介した。
泉田 邦彦・星川 礼応
本稿は、仙台市博物館所蔵「伊達家文書」に所収されている「年不詳十月五日付伊達氏宛岩城前下総守親隆書状」の原本調査を行い、その成果に基づき史料の発給年次、発給・宛所の人物の再検討を行ったものである。
まず、岩城親隆の花押型の分析から、当該史料は文明15年(1483)に上洛中の伊達成宗に宛てて岩城親隆が発給した書状であることを明らかにした。その上で、関連資料を踏まえて当該期の奥州岩城氏と室町幕府との関係について考察を加えている。
本稿の検討によって「伊達家文書」所収史料が位置付け直されたことは、室町期の伊達・岩城氏研究のみならず、当該期の南奥史研究においても重大な意義を持つといえよう。
三好 俊文
中世の宮城郡と黒川郡との往来については、古代東山道や鎌倉時代の奥大道を継承した海手の幹道と、根白石と宮床を結ぶ山手の道の存在が明らかにされている。本稿では、西と東に偏るこの2つの道以外の、両郡の往来について検討した。
結果、中世末において宮城郡の松森から黒川郡の鍋山周辺を経て、同郡明石の小野目に至る経路で、宮城郡と黒川郡の往来があったことを指摘した。
松田 清
「西洋奇図」全51図のうち、林子平が「ケレイキスブツク」と呼んだドイツ兵書ディリッヒ『戦争書』(1689)を典拠とする18図について、各図ごとに典拠図を示し、原書本文の説明、彰考館所蔵『戦争書』写本の書き入れ、『海国兵談』における「ケレイキスブツク」引用箇所などを元に、書誌的な考察を加えた。
結論として、林子平が「西洋奇図」を参照した形跡はみられないこと、子平が『戦争書』中の近世ヨーロッパ軍事を無視し、古代ローマの軍事を現代オランダの軍事とみなしてその採用導入を提言していることを解明した。
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