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開館時間

  • 9時00分から16時45分
    (入館は16時15分まで)

休館日

  • 月曜日
    (祝日・振替休日の場合は開館)
  • 祝日・振替休日の翌日
    (土曜日・日曜日、祝日の場合は開館)

開館カレンダー

観覧料(常設展)

  • 一般・大学生 460円(団体 360円)
  • 高校生 230円(団体 180円)
  • 小・中学生 110円(団体 90円)
    ※特別展は別途

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更新日:2020年5月17日

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おうちで楽しむ展覧会ー企画展「仙台の美と出会う」 序章

企画展「仙台の美と出会うー福島家三代の書画・工芸品コレクションー」より
序章 コレクションの成り立ち 

福島家による美術品の収集は、運蔵(うんぞう)・與惣五郎(よそごろう)・禎蔵(ていぞう)の三代にわたって行われ、芸術家たちとの交流や文化活動などによって、次第にその幅を広げていきます。禎蔵は、収集した美術品を後世まで残し、広く一般に公開することを願いました。そして、自身が設立した障害者福祉事業を行う共生福祉会に、約3,000点にもおよぶコレクションを寄贈します。福島家の美術品は、禎蔵の思いと共に、同会が運営する福島美術館へと引き継がれていきました。
序章では、福島家三代のコレクションから、その成り立ちや特色を示す資料を紹介します。

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(図をクリックすると、各作品の解説へ)

作品解説

完成まで18年!

琵琶行図(びわこうず)
佐久間晴嶽筆 明治15年(1882)

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幕末の仙台藩お抱え絵師・佐久間晴嶽(さくま せいがく)(1818~1885)が18年の歳月をかけて完成させた大作です。依頼主は藩の重臣・芝多常則(しばた つねのり)でした。晴嶽は、逼塞(ひっそく)の処分を受けた芝多の藩政復帰に尽力しましたが、このことが露見し、芝多は処罰されてしまいます。一方、晴嶽は慶応元年(1865)にお預けの処分をうけ、維新後に許されました。本作はその中断時期を含めた期間に制作され、完成は自身の死の3年前でした。福島運蔵は明治以降、晴嶽と親交をもち活動資金を援助していたことから、佐久間家、そして晴嶽の娘婿にあたる菊田伊洲(きくた いしゅう)の作品が伝わっています。

 

 

輝く鱗と澄んだ水

松鯉図(まつこいず)
熊耳耕年筆 昭和9年(1934)

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悠然と泳ぐ五匹の鯉を丁寧に描写した作品です。松に鯉の取り合わせは、松鯉(しょうり)とも読めることから、勝利につながるおめでたい画題として好まれました。鯉の鱗(うろこ)には随所に金泥(きんでい)を施し、反射する光を表現しています。作者の熊耳耕年(くまがみ こうねん)(1869~1938)は、福島與惣五郎と禎蔵が二代にわたって支援した画家の一人で、福島家のコレクションには作品が多く残されています。

 

動き出して・・・びっくり!

左甚五郎図(ひだりじんごろうず)
小林清親(こばやし きよちか)筆 明治~大正

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彫りかけの仁王像(におうぞう)に生命が宿り目を覚ましたという、左甚五郎にまつわる伝説を主題とした作品です。甚五郎は江戸時代初期の彫物師(ほりものし)で、名工として知られ、後世に様々な伝説が作られました。仁王の歯や舌が見えるほど大きく開けた口、伸びをする力強い腕には、生命力を感じるとともに滑稽(こっけい)な雰囲気が感じられます。

 

福島家三代の人々

福島運蔵(ふくしま うんぞう)
文政3年~明治29年(1820~1896)

 

福島運蔵像(ふくしま うんぞうぞう)
佐久間得楼筆 明治初期

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運蔵は、今宮家から福島家に養子入りし、5代目当主となりました。天保7年(1836)に数え年17歳で南鍛冶町(みなみかじまち)の検断(けんだん)(仙台城下の町役人)に就任し、天保の飢饉(ききん)の際には、仙台藩に私財を提供しました。慶応元年(1865)以降は材木商を営んで富を蓄え、明治13年(1880)には今宮家の父母の供養のため仙台市街の石橋88箇所を改修する社会事業を行っています。
運蔵と美術との関わりが知られるのは明治時代になってからです。俸禄(ほうろく)を失った元仙台藩お抱え絵師・佐久間晴嶽(さくま せいがく)と親交をもち、活動資金を援助しました。そして、仙台四大画家の一人である菊田伊洲(きくた いしゅう)が晴嶽の義理の父であったため、佐久間家・菊田家の芸術作品がまとめて運蔵のもとにもたらされ、福島家に収められることになったようです。

 

福島與惣五郎(ふくしま よそごろう)
元治元年~昭和13年(1864~1938)

與惣五郎は、明治27年(1894)より仙台市会議員を40年務めるかたわら、仙台商業会議所議員に選出され、その後、宮城貯蓄銀行・東北実業銀行(いづれも後に七十七銀行と合併)の設立発起人となるなど、仙台の政財界で活躍しました。妻の祖父は宮城県会議長を務めた遠藤温(えんどう おん)(1823~1896)です。また、仙台出身の代議士でのちに衆議院議長・商工大臣などを歴任した藤沢幾之輔(ふじさわ いくのすけ)(1859~1940)とも親交がありました。
佐久間家への援助を運蔵から引き継いだ與惣五郎は、地元出身の画家である遠藤速雄(えんどう はやお)や熊耳耕年(くまがみ こうねん)、仙台に来遊した書家の中林梧竹(なかばやし ごちく)やその弟子・高橋天華(たかはし てんが)など、さまざまな芸術家へ作品を注文することで積極的に支援を行っています。また、昭和3年(1928)に仙台で開催された東北産業博覧会では出品部長を務め、昭和7年からは美術の鑑賞や談義の場であった「是心会(ぜしんかい)」に参加するなど、仙台を文化面からも豊かにすることに貢献しました。

 

福島禎蔵(ふくしま ていぞう)
明治23年~昭和54年(1890~1979)

禎蔵は、與惣五郎から金融事業を受け継ぐ一方、東洋醸造株式会社(のちに麒麟麦酒(きりんビール)に合併)や東洋刃物株式会社などの設立に関わりました。また、放送局の誘致にも熱心で、日本放送協会(NHK)東北支部を創設し、昭和3年(1928)に開局した仙台放送局の理事を務めるなど、さまざまな社会事業を行っています。
第二次世界大戦後は、社会福祉活動に積極的に関わり、昭和40年に重度障害者福祉施設である社会福祉法人共生福祉会を設立しました。この法人の構想には、障害者も市民も楽しめる文化施設を創設することが盛り込まれており、禎蔵は福島家の収集品を寄付して広く一般に公開することを望んでいました。その願いは、禎蔵が亡くなった翌昭和55年に設立された福島美術館に結実します。一方、禎蔵は旧藩主家の伊達家やその菩提寺である大年寺(だいねんじ)(太白区)を援助しました。そのような縁もあり、伊達家伝来資料や大年寺に関わると思われる資料が福島美術館の収蔵品に含まれており、地元の文化財の保存・継承に大きな役割を果たしました。

 

※資料はすべて社会福祉法人共生福祉会所蔵

 

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