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更新日:2016年9月20日

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発表内容以外の質疑応答の概要

(1)仙台市の震災復興ビジョンでは、5年という短期を計画期間とする復興計画の策定を目指している。他の自治体の復興が取り残されていくという意見もあるが、どう思うか

他の自治体の皆様が取り残されるとはどういうイメージなのか、わかりにくいところですが、災害復旧については、基本的に国のいろいろな査定を受けながら、それぞれの自治体が公的インフラを復旧していくもの、また生活再建に向けてやっていくものがあります。例えば総枠の予算が現時点で固まっていて、早い者勝ちで予算をいただくと、残ったところはいただけなくなるという予算組みではありませんので、仙台市が何かを行うと他の自治体の予算が減るというシーソー関係ではないと私は理解しています。

前回もお話をさせていただきましたが、仙台市が比較的短期間で復興していくことを目指す理由の一つとしては、仙台市は東北全体の経済や交流人口の増をけん引していく役割があると思っており、それが停滞することによって、東北全体の復興や経済成長が伸びていかないのでは困るということです。東北の中で、人口集積の多い都市、そして東北のゲートウェイであるという役割を考えればこそ、やはり早期の復旧が必要だということが一点あります。また様々な復旧、復興のやり方というのが必要だと思います。

例えば、インフラもそうですけれども、応急仮設住宅や災害復興住宅を作っていくとか、ガレキの処理などいろいろありますが、仙台市は幸いにして今回の被災自治体の中では恐らく一番多様なマンパワー・職員が多い自治体だと思います。また、応援していただいていている皆様のご支援もフルに使っていくことによって、復旧・復興を進めていく一つの道筋のありようや、いろいろな手順といったものの一つのひな型のようなものを作ることが出来ると思っています。そうしたものが出来ると後からおやりになる自治体にとっては、そこの部分の試行錯誤が解消できるという利点もあると思っています。そういう点も含めて、仙台市が復興に向けて、きちっとした、スピード感のある対応を進めていくことは、むしろ被災された様々な方々にとってメリットのある道筋ではないかと思っています。

(2)県の復興計画との関係をどうみているか

仙台市と県の一番大きな違いを考えますと、我々仙台市は基礎自治体ですので、常に住民の方々と直接接して行政を行っていく立場にあります。今回の復興においても、被災された方々が何を望み、どういう意向を持たれているのか、そして災害復旧のいろいろな制度を活用して、どのようにしたら一日も早い生活再建へ最後の一人の方までたどり着いていただけるか。それが自治体の、また自治体の長としての私の眼目になると思います。

ですから、我々からすると、どうしても被災された方々、またそれを支える周辺の仙台市民との対話による合意の形成が欠かせないプロセスとして出てきます。一方、県や国の場合は直接、住民の方ということではなく、もちろん責任は相当程度持っていただいて、いろいろなお金の援助もしていただいています。

ただ、より大きい地域、より広範な地域において全体がどうバランスを持って新しい仕組みとして変革なり、復興を遂げていくことが良いかという、ある意味では良き理論作りをしていく、より良い枠組み作りを考えていく役割が、県や国は高くなると思います。そこは自治体であっても役割がかなり違う部分で、取り組み方や考えるレンジが違ってくるというのは、ある意味では当然かなと思います。

(3)県と市で齟齬(そご)を感じることはないか

県の方でお考えのことで、特に我々として困ることや、これはいかがかというような点があるということはありません。

(4)今回の震災では、村井県知事や沿岸部の首長の発信力の強さが目立つが、市長自身についてはどう思うか

いろいろなご意見はあると思います。災害時ですから、情報の発信については、例えば発災当初、首長がしっかりとしたメッセージを出すことによって、住民の皆さんに安心していただくというような役割もあります。

また、時間が経過していく中で自治体が持っている力をフルに発揮して早期に復旧の見通しを立てていくというのもありますでしょうし、また、今回のような未曾有の災害の中で、これまでの法制度で足りない部分についてしっかりと国や県にも要望して新しい制度を作っていくというのも役割だろうと思います。

多様な役割がある中で、時間の経過とともにそのありようも変化すると思いますが、私自身は、今回の大災害の中でいろいろな災害対応の法制度の不備や、またこれまでは手続き上、そうやってきたけれども、今回は、同じことをやっていたのでは、早期の復旧は見込めないものについては、国や県に対して発信して変えていきたいと思っております。自分自身の果たすべき役割はたくさんありますが、大きな役割としては、法制度の改革に向けた動きは仙台が率先してやるべきことと思って行動しています。

(5)法整備の不備という点で今一番課題だと思うことはなにか

幾つかお話をしてくる中で、解決されたものもございます。一つの例として、応急仮設住宅は、先に民間の物件を借りた方は、自分で借りられたのですからよろしいでしょうということで、応急仮設としては認めないというのが、この間の法律的な運用でした。

けれども、なぜ自力で手立てを講じた方が、最終的に経済負担が大きくなるようなことになるのか、それではただ黙って待っている人が一番いいのかというようなお話を国の方へ申し上げたところ、被災後一カ月ちょっとはかかりましたが、4月20日過ぎには認めていくということが示されました。

また住宅の被害と宅地の被害が、市民の方からすると個人の財産に対する災害ということでは同じような意味合いをもっているにもかかわらず、住宅被害については、り災証明の基準もあり、少ないといっても一定の法による生活再建の支援制度もあります。

一方、宅地被害については、そういう制度が無く、特に民民が接している、例えば崖地については、個人の方々同士ですべて負担しなくてはいけません。これは大変大きな不備ではないかと私は思っております。

今回津波の被害が大変大きく取り上げられていますが、内陸部の宅地被害も時間の経過とともに、大きな被害が確認され、さらに拡大してきていますので、しっかりと救済されるような制度の確立に向けて、これからも強い働きかけを続けていきたいと思っております。

具体的には先の東北市長会の時にお話をしておりましたが、岩手県では奥州市と一関市が結構、宅地被害が大きいというお話をお伺しておりますし、宮城県では栗原市でもそういった事例があると聞いております。福島県では郡山市と須賀川市の市長さんからも大変宅地被害が多いという話がございまして、今名前を挙げさせていただいた各市と、引き続き被害状況の数字などを共有しながら、国に対して国費としても復旧していくための手立てを作って欲しいということを更に要望していきたいと思っています。

(6)枝野官房長官も来仙して宅地被害の状況を確認しているが、その後状況は変わらないようだがどう思うか

土地については、これまで民の土地は民でということでしたので、今回もそのようなお考えがあるのかも知れませんが、やはり津波の被害があまりにも大きかったために、この宅地の被害を訴える機会が足りなかったことも事実ですので、何回も何回もしっかりと現地の状況等も写真などで見ていただきながら、重ねて訴えていくという努力を私たちもしていかなくてはいけないと思います。

(7)先週末に行われた復興座談会に出席しての感想は

土曜日と日曜日に3回にわたって、地元の方々にご出席いただいてご意見を伺いました。海岸から市街地に向って、はじめに防潮林と高台を設け、それから県道線を土盛りして、東部道路との間を農地としまして、住宅を東部道路の西側にという案をご提示させていただきました。この案に基本的には賛成だという方もいましたし、また一方そうではなくて東部道路と土盛りした県道の間にある集落に今までどおり残りたいというお話もございました。同じく被災されたとは言っても、元の家がどこにあったか、また今回の津波で根こそぎ家屋を失った方、床上浸水程度で止まった方という被災の状況によって、だいぶ皆さんのお考えは異なっている部分があることについては、私も改めて感じたところです。

これからの進め方としては、それぞれの従前のお住まいだった地域、そして今後何を生業としてやっていかれるのかによってお考えが違うこともございますが、私どもがこれから進めたいと思っていますビジョンの中で、どうしても安心・安全との兼ね合いで、どこに住むのかという問題が出てまいります。津波に関するシミュレーションなども大学の協力を得て早期に進める中で、例えばこの地域ですと、こういう危険性があるのではないか、それと皆様の近くに住みたい、という思いの接点がどうあるか。そしてそこに経済的な負担を含めて複数の選択肢をお示しする中で、少しずつ集団としての意思形成または自分としてのこれからの家族の住まいの自己決定をしていただけるように、きめの細かい選択肢と情報の提供、お話し合いを密接に何回も何回も重ねることが欠かせないということを改めて思ったというのが座談会の感想の一つでございます。

(8)5年という復興計画の中での集団移転は可能なのか

集団で物事を進めていくというのは時間がかかりますので、あるいは5年を超えるケースがあるかもしれませんが、例えば山古志の皆さんが「山古志へ帰ろう」をキャッチフレーズとして、山古志村に集団でお戻りになったのが、ほぼ3年だったと聞いております。お住まいについて、あまり年数がかかるのでは、本当にご負担が大きくなりますので、この山古志の3年を一つの目標としながら、精力的に話をさせていただきたいと思います。

一番大事なのは急がば回れではないですが、最初にしっかりと、どういう方法だとどういうメリットがあり、どういう決定をすると、どういうデメリットがあるかということを住民の皆さん全員で共有していただいて、また我々も皆さんとしっかりとやり取りをしたい。また住民の方々同士でも何回も勉強してやりとりしていただき、最初に時間をかけることによって具体的な、例えば土地の造成などが迷い無く一気にやっていけるということになると思います。

今回の座談会の中では最初に市役所の方で決めて欲しいという意見が何回もございましたけれども、役所で決めた場合は、そうではない方がよかったのだけれども、押し切られたとか、工事が始まってから、いや、こういうことを望んでいたのではなかったとかなりますと、手戻りや進行の齟齬が出てきます。時間がかかっても最初にしっかりとやっていくことが、最終的には皆様に早く、一軒一軒お住まいにたどり着いていただけるのではないかと、私としてはそう思って頑張っていくつもりです。

(9)必ずしも5年で完了させることにはこだわらないということか

復興計画の中にはいろいろなものがあります。最終的に海岸線にガレキを土盛りして、もう一度緑を再興したい気持ちは強くもっていますが、ただ5年間で元に戻せるかというと、やってみますがそこは時間的なフレキシビリティがあるとは思います。

被災された皆さんが、それぞれの住宅へお入りになることは、生活再建の土台だと思っていますので、なんとしても5年間の中で皆さんに住宅を得ていただきたいと考えています。

例えば、集団移転の中で自分の住宅を持ち家として再建されるというのが一つありますが、ただ一方でこういう大規模災害の時の住まいの提供の仕方としては、災害復興住宅のようなものもございまして、市営住宅のような形で被災された方々に優先的に入っていただく住宅を提供するという仕組みでございます。この5年の中では集団移転だけが全てではなくて、災害復興住宅の建設なども平行して進めていきますし、仙台の場合ですと民間の住宅を借り上げての災害復興住宅という選択肢も当然出てきますので、それらをトータルに使う中でお一人お一人、一軒一軒の皆様が恒久的なお住まいに移っていただくことを目指すということでございます。

(10)集団移転にあたって、一部の住民が残りたいとなった場合、堤防等を作る必要が出てきて行政コストがかかるが、どのような対応をするのか

集団移転のお話は今大きな課題の一つとして進めさせていただいていますが、全ての皆様が集団移転するわけではないと思います。これまでの災害におけるいろいろな事例を見ましても100パーセント全員がもれなく移ったことは無いと思います。8割、9割という大変高い率でお移りになったところもありますし、また5割程度にとどまったところもあると承知しています。

その場合、自身の気持ちとしては今までのところにどうしても残りたいという方が出られた時に、どうするのかということですが、まずはその方々に安全と危険との関係でその選択がどういう意味をもたれるのかをきっちりご説明もしなければなりません。また、仙台市としてそういう方が何人いらっしゃるのか、今の時点では分からないことですので、そういった方々の数によっても、こちらの判断も違ってくる場合もあると思います。

まず私としては、数というよりは残られたいとおっしゃる場所の安全の確保が本当に可能であるかどうかについて、皆様と十分にお話しをしたいと考えています。また、そのお話をする土台となる科学的な知見もなるべく得られるように、いろいろ専門家の方々にご協力をお願いしてやっていきたいと思っています。

ご自分の私有地という、財産権の問題はありますが、安全でないところに、未来にわたって住んでいただくことの可否については、最終的には考えなければいけない段階が来ると思いますので、今の時点で私は安全ということをしっかりと訴えていく、そのための私どもとしての根拠をきちっと作っていきたいと思っています。

(11)場合によっては住んではいけないという判断をすることもあるのか

最終的にはその可能性は排除できないと思います。ただそれをこちらから一方的に否定することではないだろうと思います。

(12)その時はどういった手続きをとるのか

そのあたりは少し、法律も含め研究してみないと、今の時点でこういう手順でこういう法律のここが基本となってできますとは、まだ十分に精査しておりません。具体の法律やその根拠の立て方とか、その途中に仙台市の条例を新たに設置する必要があるかどうかとか、まだ十分に私の頭の中で組み立てられていません。

(13)復興ビジョンの中で「復興」「祈り」という記載があるが、どんなイメージなのか

私が長い期間という意味で一番大切にしていきたいと思っていますのは、今回これだけの災害が起き、多くの市民の方がそこで亡くなられたことです。空襲で大きな市民の犠牲があった以降、一時に多数の市民の方の命が失われたのは仙台市史の中でなかったことだと思います。しかも戦争という人の命が失われることを前提とするような、国家的な動きの中で起こったものとは違って、全くの平穏で平常な日常であるはずの中で災害が起きて、これだけの人が亡くなってしまわれたことはずっとこの仙台に住んでいく者としては、決して忘れてはいけないし、そういう市民の仲間の人達がいたことを、ずっと思いつつこの街に暮らしていくことが必要だと思っています。そういう記憶を、街全体として持っていく、また市民の皆さんが折に触れそのことを思い浮かべながら暮らしていく、そういうことのよすがになるイベントや行事を考えていくことや、よすがになるような場所が、必要ではないかと思っております。そのようなことを考えの底に置きながら、海岸における丘であるとか、また一つの行事としての復興と祈りのイベントのようなことも少し触れさせていただきました。

(14)仙台育英高校の生徒が犠牲になった飲酒運転事故から5月22日で6年目を迎えたが、所感を伺う

飲酒運転によって、これから人生に沢山の春秋があったはずの若い人達の命が失われたことは、我々にとっても大変衝撃的なことでした。この間、仙台南高校の生徒さんにも残念な事故があり、改めて飲酒運転の残酷さについて市民の皆さんも感じたことがあったと思います。

今回の震災の前には3月21日を節目として、飲酒運転撲滅キャンペーンをしましょうということもご相談しておりましたけれども、今回の震災によってできなくなりました。

一見、この震災対応中で、その事が少し埋没したかのように思われていますけれども、私は毎日、仙台南高校生が犠牲になった事故現場を通って出勤していて、あの地域で飲酒運転撲滅の訴えをされている活動は、この震災の間もずっと続いていたことは承知しております。

決してその事が忘れ去られたのではなくて、むしろこういう時でも、この事を訴えようという方々はしっかりいらっしゃったという事が、今後更にはっきりと浮かび上がってくると思います。飲酒運転は絶対許さない、特にそれによって若い命が亡くされるような残酷なことがあってはいけないというのは、改めて皆さんが共有してくださると思います。

(15)宅地災害の救済について国に対し具体的にいつまでに要望するのか

期限は我々からするといつまでというよりも、可能な限り早くというのが最大の願いでございます。早く国として、宅地災害を個人任せにしないという、はっきりとした方針を出していただいて、補正予算や、そのための措置をしていただくというのが、一刻も早い最低限の希望です。

(16)全額国費負担を求めるのか

さすがに今ゼロであるものについて、全額負担でとまでは申し上げませんが、まず考え方として個人で復旧するのが大原則だとおっしゃられることが続く限りはどうしようもないわけです。

個人の方の負担がゼロでいいとは思っていません。住宅の再建も一定程度のご負担をいただくわけですので、ある程度個人のご負担も前提としながら、やはり基本的に被害が大きい部分、復旧費用が多額に上る部分等については公的な支援が必要です。

当然それにはお一人の方の宅地だけではできないでしょうから、ある程度の戸数が連続的に被害を受けているとか、いろいろな状況、条件は出てくると思いますけれども、基本的な考えとしてどちらを向くのかをしっかり早く決めていただきたいと思っています。

(17)被害を受けた6市で国へ要望するとのことだが、いつ頃になるのか

今6市で全体の被害状況の資料を取りまとめるということと、要望項目の取りまとめの作業を今週から進めることで指示をしています。6市の市長さんとご一緒できる一番直近の機会としては、全国市長会が来月の7日、8日にございますので、できればその機会などを使って要望行動も一緒にしていければと思っています。

仙台市長 奥山 恵美子

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