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更新日:2017年3月31日

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市政だより2017年4月号・伊達政宗公生誕450年シリーズ

政宗の人物像(1)

仙台市博物館学芸員佐々木

伊達政宗の誕生

伊達政宗は永禄10年(1567)8月3日、米沢城(山形県米沢市)に生まれました。元服や結婚、初陣などを経て、18歳の時、父輝宗(てるむね)から家督を譲られ、伊達家当主となります。
幼少期に天然痘によって右目を失明しており、その後の活躍と相まって「独眼竜」の異名が生まれます。ここからイメージされるのが、右目に眼帯を付けた彼の姿です。しかし、江戸時代に描かれた政宗の肖像画にそのような画像は一つもありません。映画やドラマ、ゲームなどによって広がったイメージであろうと思います。

写真:仙台市指定文化財 伊達政宗画像延宝4年(1676)ころ仙台市博物館蔵

仙台市指定文化財 伊達政宗画像
延宝4年(1676)ころ
仙台市博物館蔵

南東北の覇者へ

天正12年(1584)、家督を継いだ政宗は、周囲のほとんどの戦国大名と敵対することになり、いくつかの合戦に臨みます。その合戦の多くは引き分けか負けでしたが、実はその裏で、敵の内部に味方を作ったり、戦が引き分けでも相手を支配下に置いてしまったりと、徐々に勢力を拡大していきます。情報収集力が高く、政治的な駆け引きにたけた人物だったといえるでしょう。
天正17年、会津の戦国大名蘆名(あしな)氏の軍勢を摺上原(すりあげはら)(福島県猪苗代町・磐梯町)で撃破し、蘆名氏を滅亡へと追い込みます。この勝利をきっかけに、政宗は南東北の大半をほぼ手中に収め、伊達氏の歴史上、最大の勢力を築くことに成功するのです。

政宗が仕掛けた奇抜な軍装

ところが、天下の形勢はすでに関白豊臣秀吉が握っていました。政宗は小田原(神奈川県小田原市)で秀吉と対面し、臣従(しんじゅう)を余儀なくされます(小田原参陣)。初めて異国の地を踏んだ朝鮮出兵では、京都を出立する際、沿道の群衆をざわつかせるパフォーマンスを披露しました。金色の尖(とが)った笠や金色の丸い模様をあしらった黒塗りの具足を身にまとったり、馬の鎧(よろい)に豹皮や孔雀(くじゃく)の尾等を用いたりする者がいるなど、伊達家の軍装は大変奇抜だったといいます。他家を出し抜こうとする政宗の気持ちの表れかもしれません。
その後、秀吉の死によって、政宗はまた大きな転機を迎えます。後に江戸幕府を開く徳川家康に味方し、天下分け目の関ケ原合戦を経て、仙台へと本拠を移すことになるのです。新しい時代に入り、政宗の新しい一面が垣間見えてくることになります。

写真:重要文化財 黒漆五枚胴具足 伊達政宗所用 仙台市博物館蔵

重要文化財 黒漆五枚胴具足
伊達政宗所用 仙台市博物館蔵

  • 本稿では、仙台市博物館の学術研究機関の立場から、歴史上の人名に敬称を付していません
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