太白区

更新日:2016年9月20日

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名取川流域の自然2

名取川の写真

名取川

名取川は太古の昔から、さまざまに川筋を変えながら、恵みの大地を築いてきた。切り立った崖を刻み、段丘を造り、変化のある地形を生み出している。例えば、茂庭から山田にかけて。そこは連なる山嶺から川が解き放さ、平野へと出る「谷口」あたり。旧石器時代から続く人間の歴史がつづられた地だ。

そして、川はさらに下り、東へと向かう。時に氾濫を繰り返しながら。やがて流域には豊かな平野が築かれ、多くの人々が暮らすようになった。

低い湿地が広がる富沢あたり。旧笊川の氾濫で、高台となった大野田あたり。弥生時代以降は水田が広がり、古墳時代には有力な豪族が権力を振るっていたという。母なる川はいつも、人間の歩みとともにあった。

一級河川・名取川は現在も、変わることなく人々を潤している。その役割を、さらに豊かにしているのが、山間を縫い、街並みを抜けて流れ込む、いくつかの支流。それらは暮らしを担う水流として、長く地域の人々に親しまれてきた。

赤石地区を流れる碁石川、愛宕山のふもとを流れる支倉川と坪沼川、そして、西多賀から富沢・大野田を抜ける笊川など…。藩政時代には、木流堀も造られている。

支倉川の写真

支倉川

木流堀の写真

木流堀

木流堀は、富田付近の名取川から入れた水を広瀬川まで引く約6キロノートルの水路。仙台藩が家臣に支給する燃料の丸太(間太)を運搬するために造られた。

名取川水系・二口近くの森林を輪伐し、初冬から3月にかけて流したという。現在の仙台南高等学校付近が貯木場になっていたと思われる。

完成は江戸時代初期。仙台南高等学校周辺や鹿野小学校の近辺など、ところどころで今もその姿を見ることができる。

いくつかの支流の中で最も上流に位置するのは碁石川である。釜房湖に源を発し、笹谷街道に沿って流れる。

名取川と合流するのは、秋保温泉の手前、赤石橋を過ぎたあたり。合流点付近の川幅は比較的広く、ゆったりした感しがする。

周辺には山肌が迫り、上流では渓流釣りを楽しむ人の姿が見られるなど、豊かな縁に包まれた、自然たっぷりの川だ。

碁石川の写真

碁石川

坪沼川の写真

坪沼川

その碁石川よりわずかに下流、赤石橋の手前で名取川に合流するのが、坪沼川。この川は、村田町菅生付近から流れ出て、愛宕山のふもとで支倉川と一つになり、赤石地区へと向かう。

坪沼川も支倉川も、地域の人々にとっては欠かせない水源。水田用水などに利用され稲作地帯の拡大につながったという。周辺は、どこまでも緑が続く、穏やかさが魅力。

新笊川の写真

新笊川

都市の中を流れる川もある。それが、笊川。太白山・八木山方面から南下し、西多賀・富沢・大野田を経て名取川と合流する。

笊川はかつて、暴れ川として名高かった。とくに大野田近辺は、何千年も前から洪水が繰り返され、土砂がたい積。一帯を小高い丘のようにしてしまった。

しかし、散在する遺跡からも見て取れるように、水害はあっても、笊川周辺は太古の昔から、農地や住宅地として利用され続けてきた。それほどに、豊かな土地といえる。

その笊川に改修工事が施されたのが、昭和38年。富沢から大野田にかけて、直線的に伸びる新笊川が開削され、水害はおさまった。

最近は、地下鉄富沢駅周辺を中心に環境整備も行われ、美しい川の風景を取り戻している。

笊川は、都市を貫く暮らしの川。大きなアメリカザリカニが遊ぶ、ふるさとの川でもある。清流を取り戻す地域の努力が実って、ホタルも戻ってきたという。

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