不規則パッチワークの氾濫と可動式置き看板の洪水


“ でも 美しいものもあった 今ならまにあう 仙台都心部景観 ”
2006.10.5 フィールドワーク報告

 珍しい企画である。仙台の中心部を歩き景観上「よくないところ」「醜悪なもの」「問題となるもの」を探訪しようというのだから。愉快な仕事ではない。心に終始チカチカする尖った冷たいものを覚えながら、わが仙台の都市景観をよくするために・・・と会議までの2時間を行動したのだった。

 12時、集合した景観サポーター7名でJR仙台駅正面玄関をスタート。まずぺデストリアンデッキ上から駅のま向かいを眺める。誰の眼にもつくのが右にも左手奥にも多数の消費者金融の巨大看板の群れ。10枚は越えていよう。往年の文教都市も今は一大消費者金融都市に・・・? 他の都市の駅前はどうなのか。その中ほどにあって薄いワインレッドの無地でシンプルなデザインのさくら野百貨店の外壁が、街路樹にも調和しシックで美しかったのが望遠ならではの発見だった。担当したデザイナーと採用した人に敬意を覚える。




 中央通り(旧名掛丁 新伝馬丁 大町五丁目)を進む。商業地区である。駅前からこの通りにかけてのビルの道路に面した窓という窓には、ホテルなど一部を除き大小さまざま、色とりどりのキャッチシールがべったりとあます所なく貼られている。表札とカーテンの兼用か。はたまた携帯等に文字を打ち込む習慣が規則的にならんだ窓に作為をさせるのか何にしても全体として見るとゴチャゴチャしていて汚い。屋上の巨大看板が呼応する。

 少し前まで日本人には窓ガラスの内側から紙などを糊づけし情報を路上に伝えるという習慣はなかった。商業広告活動の激しさが日本人の生活感覚の繊細さを奪っていっているとしたら・・・なにも「政岡豆」「白松が最中」の昔の広告だけが良かったとは言わないが・・・失われていく(った)ものが惜しいのだ。




 歩いていて次に気になったのが路上の置き看板の多さである。いつからこんなにふえたのだろうか。たいていコードとキャスターがついていて可動式今様行灯(あんどん)なのだが、問題はそれらの多くが公道上に堂々と置いてあること。道路の端近くを歩いて来た人は、それらにぶつからないためにはその度に腰をひねり体をくねらせて歩かねばならない。でなければ道の中央部をまっすぐに歩くことだ。

 考えれば店に客を招くための置き看板が迷惑がられ客を遠ざけているこの皮肉・・・。

 なかには少数だがキチンと敷地内に看板を置いている店もある。気のせいかそこでは店員さんの表情まで品よくおちついて見え、店先もたしかに清潔である。ガサガサ、ガツガツしてないのだ。こちらの質問をちゃんと聴いてちゃんと応えてくれそうである。無表情のまま「デテルダケデス」などとは言わないだろうこういう店で、ゆっくりと買い物を楽しみたいのは私だけだろうか。

 つづいてとても気になることを発見してしまった。アーケードを支えている道路両端の太い列柱(54〜74cm)と敷地・道路との関係だが多くの商店で柱の外側(店の中からみて)の線までを敷地同然に商品を陳列したり、各種看板を置いたりして使っていることである。

* 大町五丁目マーブルロードでは、柱の形(断面が楕円形)のせいかこの部分の商店による利用は見られなかった。

 あの部分のかなりのスペースは当初各商店が各自必要敷地を提供して使用計画の目論見をふくめて設計したものなのだろうか。詳しく知っている人に聞きたい。私有地なら使わせてもらっている市民にとって有り難いことだし、もしそうでなかった(公道を占拠・使用している)なら・・・あきらかな違法行為であろう。

 限られた時間と地域で行なわれた探訪・観察だったので限界があったが以上で私の報告としたい。強い刺激と力により物を買わせようという仕掛けより、各種のマナーをわきまえ本当のやさしさと信義にみちたお店や、センスのよい洗練された装飾のお店にはつい見とれ、引き込まれそうになるのは私が仙台人だからだろうか。

 おわりに、今回のフィールドワークで国道4号線の路上には視界内のどこにも邪魔な置き看板類が無く、窓窓にシールベた貼りのビルが皆無だったことは「さすが国道!」という認識と「やればできるかも」と仙台都市部景観の向上に仄かな希望を私が持つようになった有力な契機になったことを加えておきたい。

以上

平成18年10月5日
景観サポーター 阿部 久子

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