更新日:2019年10月3日
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仙台城跡の整備に向け、7月より登城路跡(巽門跡周辺)と三の丸土塁で発掘調査を実施しています。今回の調査では、巽門跡の北側でこれまで埋没していた石垣が確認され、また、三の丸土塁の実態の一端が明らかになってきました。
このたび、発掘調査の成果を広く市民の皆さまに公開するため、遺跡見学会を開催します。見学会では、実際に発掘調査を行った職員が調査の成果と周辺の遺構について解説します。
2019年10月14日(月曜・祝日)午前10時から11時30分
※10月12日(土曜)の開催は台風19号の影響が予想されるため、中止といたします
どなたでも参加いただけます。直接現地にお集まりください。(申し込み不要)
仙台城跡長沼南側(仙台市博物館南側)
仙台城には、本丸へと続く登城路に2つのルートがありました。その一つが巽門を通って沢門を抜けるルートで、仙台城が築城された当初の登城路であった可能性が高いと考えられています。
今回の調査では、巽門跡の西側に接し南北方向に延びる石垣の延長線上で、埋没していた石垣を確認しました。確認した範囲での石垣の大きさは全長約4m、高さ約0.6mで、方向は北に延びたのち北西に向かって屈曲しています。この石垣については、おおむね巽門西側石垣の延長線上にありますが、軸線が若干ずれることや19世紀以降の整地土に構築されていることから、後世に修復された石垣と考えられます。
現在「仙台市博物館」の敷地となっている三の丸跡は、江戸時代の城下絵図で「蔵屋敷」「御米蔵」「東丸」などと記され、北側と東側を水堀と土塁に囲まれています。政宗時代には一角に庭園や茶室があったことが、これまでの発掘調査で判明しています。
調査した三の丸土塁北東部では、土塁をつくるための積み土を確認しました。積み土は石を多く含みますが、瓦などの遺物はほとんど含まず、上面からも遺物はほとんど出土しませんでした。今回の調査では、土塁の上面で明確な塀や柵などの痕跡は確認できませんでした。
これまでの調査成果から、三の丸跡の少なくとも東側土塁については、廃城となった段階で土塀などの構造物が残されていた可能性は低いものと考えられます。なお、三の丸土塁の調査については、今後も継続していく予定です。
発掘現場のようす(巽門跡周辺)
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