更新日:2017年1月5日

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「杜の都」のいわれ

みなさんは、仙台が「杜の都」と言われているのを知っていますか?今から約400年前の江戸時代、仙台藩祖 伊達政宗公は、家臣たちに、屋敷内には飢餓に備えて、栗・梅・柿などの実のなる木や竹を、また、隣との境に杉を植えるように奨めました。こうしてできた屋敷林と、お寺や神社の林、そして広瀬川の河畔や青葉山の緑が一体となって仙台は、まち全体が緑に包まれていました。
この「まち全体が緑に包まれる姿」は、明治42年には、「森の都」として仙台の観光案内書に記されています。また、昭和に入って間もない頃には、「杜の都」と表されるようになったと言われ、この姿は、昭和20年の仙台空襲前まで残っていました。

画像/かつての武家屋敷

かつての屋敷林のイメージ

画像/戦前の絵葉書に描かれた緑豊かな仙台

緑豊かな仙台(戦前の絵葉書)

画像/昭和20年空襲後の仙台

空襲後の仙台(昭和20年)

「杜の都」の「杜」は、山などに自然に生えている樹木や草花だけではなく、そのまちに暮らす人々が協力し合い、長い年月をかけて育ててきた豊かな緑のことです。「杜の都」と表するところに、「神社や寺、屋敷のまわりを取り囲んでいる『緑』、人々がていねいに手入れをしてきた『緑』こそが仙台の宝」という市民の想いが込められています

仙台空襲で、まちの緑は焼けてなくなってしまいましたが、その後の復興により「杜の都」は、青葉通や定禅寺通などの街路樹や、青葉山公園や西公園などの緑に代わっていくことになります。

画像/青葉通のケヤキ並木

画像/空から見たケヤキ並木

画像/青葉山からみた仙台市街地

青葉通のケヤキ並木

空から見たケヤキ並木

青葉山からみた仙台市街地

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