泉区
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更新日:2019年8月2日
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尾根伝いの険阻な山道である中山道は、中山街道と呼ばれ根白石村にとっては、仙台への唯一のシルクロード的交易路でした。
実沢早坂下から戸平山の尾根に登り、中山丘陵の稜線を横断して仙台の北山終点に至ります。入口の早坂は這阪ともいう程に極端な曲折急坂で、昔から何度も路線が変更され、幕末から明治初期頃は現在の路線近くに作られましたが、依然として石ころぬかるみが続く急坂でした。
野生動物の出没もあったため、数頭の駄馬が一団となって、毎日100頭以上も通り、実に壮観でした。
また、野生動物の出没や追剥も出るなど、何百年の長い年月に哀歓の歴史が続き、路傍のあちこちに馬頭観音などの供養塔や祈願の塔碑が立てられており、今も残っている他、北山駅の西脇に「根白石踏切」の表示板(青葉区北山2丁目)も残されています。
狼石(おいぬいし)と呼ばれる碑は、現在実沢字戸平に立っているが、もとは山野内城址の西南、実沢字早坂下にありました。石は高さ70センチメートル幅42センチメートルの自然石「天保12歳四月朔日三峯山」左側面に「願主■太郎」(1文字不祥)とあり、狼を神の眷属(けんぞく=従者)とする三峯山信仰に由来するものと思われます。薪売の子孫がお守りしているとのことです。
伝説
昔、実沢の永沢家の人が、仙台城下町へ薪売りに中山道を通っていました。ある日の夕方、がつき坂で一頭の狼が骨をのどにひっかけて苦しんでいるのを見てその骨を取ってあげました。狼は大変喜んで山に帰りました。その晩、永沢家の庭先でドスンと大きな音がしたので夜明けに出て見ると一頭の猪が置いてありました。きっと狼のお礼だったのでしょう。
それからというもの、その馬子が城下町帰りの際には途中まで送ってくれるようになりました。その後、庄之助もおにぎりを2つ用意して別れるころに狼に一つ食べさせてやりました。馬子が亡くなったときには、戸平山から悲しい狼の遠吠えが聞こえたといいます。
狼石は馬子の子孫が建てたものです。毎年旧4月1日に赤飯のおにぎりを作り、「狼どん、おぼだてにきした」(お産見舞いにきました)と呼んで沢谷に落としたそうです。
狼石(おいぬいし)
狼石 泉区北中山3丁目9
泉中央駅発 南中山行 北中山2丁目下車
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