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更新日:2016年9月20日

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景観シンポジウム2011事例紹介

事例紹介・定禅寺通・市民が躍動するストリート

米竹 隆「定禅寺通街づくり協議会」常任幹事事務局長

シンポジウム会場

ただいまご紹介いただきました米竹でございます。よろしくお付き合いお願い致します。私たちの取り組みについて、今も市長から大変お褒めの言葉をいただいのですが、別に意識してやってきたのではございませんで、自然に自分の生まれた街で自分なりの街づくりをやってきたということです。
まず昭和33年には道幅46mの定禅寺通に2列のケヤキを植樹しました。最初は緑道に2列のケヤキを植えたのですが、昭和40年頃には歩道にもさらに2列植えまして、合計4列になりました。
昭和50年代には、これはみなさんもご存じのように、緑道に3体の彫刻が建てられました。それぞれ昭和54年、57年、61年に設置されたもので、どれもイタリアの作家によるものです。これも仙台市さんの協力で建てていただいております。

まちづくりに積極的に参加する契機となった「ハロー定禅寺村」の設立

そして仙台市営地下鉄が開業した頃ですが、昭和60年には「ハロー定禅寺村」が発足しました。このそもそもの発足というのは、それまではすべて仙台市さんのお力でケヤキの剪定とか、あるいは土壌、そういうのでいろいろと街づくりをしていただいてはおりますが、われわれ住民としてはあまり関心を示さないで、なすがまま、なされるがままに、生活をしていたという現状がございました。
そんな中、このあと3~4年あとに仙台市が政令指定都市を迎えるということもございまして、この時に市役所周辺を五カ年計画ということで整備計画がなされており、我々としてもやはり行政と一緒になってやっていかなくてはならないなあと。これから孫、あるいは20年、30年、あるいは100年と続けていくこの定禅寺通の骨格について、整備していこうと考えたわけです。当時、地権者やテナントさんやあるいはその他住民、ケヤキを愛する仙台一般市民にお声がけしまして、「明日を考える定禅寺をつくろうや」ということで、名前を「ハロー定禅寺村」と名付けました。
内容的には二つの目標を持ち、ひとつは遊び心を持ってやってみようよと。それからダメでもともとだし、今考えればあまり立派なことではないですけれども、あまり規則ばったような形でつくるのはどうかということで、三々五々、夜に仕事が終わってから集まりました。

その時、たまたま進行状況でありました地下鉄の入り口が、最初は市役所と県庁、あとは商工会議所と三越と4カ所提示されていたのですが、よく考えてみると、私たちの住んでいる定禅寺通側に1カ所も出入り口がないことがわかりまして。これでは将来的にも市民の買い物にも不便だし、困るのじゃないかということで、やはり行政と一緒になってお話をしていかなくてはならないと。そこで「ハロー定禅寺村」を発足させたわけであります。仙台市さんもある程度は考えてくださってはいたのですが、「ハロー定禅寺村」で仙台市へ入口設置を陳情し、最初は4カ所の予定だった地下鉄の入り口が7カ所に増設。第一生命ビルの脇や141ビル(現:三越)、さらに勾当台公園西側入り口という3カ所が増えた経緯がございます。

「ハロー定禅寺村」にも会則はあるんですが、難しいようなものではないし、やったところで長続きはしない

ということで、われわれも学者ではございませんし、一商人でございますから本当に気楽に会則をつくりました。第2期の名簿が残っていますけれども、そこには43名の会員の名前があります。しかし第2期から8年経った頃には、この名簿に書いてある村民のお店の3分の2以上はなくなっております。「ハロー定禅寺村」を発足させた時の第1期は、72店ございました。それも15~6年経つと、半分は代がわりしちゃっておやめになったり、あるいは名義を変えたり、定禅寺通も変わってないように見えてだいぶ変わってきております。
ここに当時の班長会の案内書がありますが、その時の三々五々集まった時の班長会ということで、ハロー定禅寺村の中で回した文書でございます。
また定禅寺通り村のマップがありますが、たとえばトイレや郵便局、交番はどこにあるのとか、どういうお店があるのとか、やはり街に来た時には不安感がございます。そういうことでマップを作りました。今はもうポイントカードやチェーン店のサービスなどは普通になりましたが、当時としてはわりと斬新な発想で、折りたたみのマップを作りまして、そのマップを持っていけば、お店独自のサービスを受けられるというサービスをやっておりました。このマップの他にも、今後の街づくりを進めるにあたって街の課題を明らかにしたパンフレットなども作りました。そして定禅寺通のマップがありますが、西側が市民会館、東側が東二番丁通でございます。東二番丁通というのは、昔は定禅寺通でいったんぶつかって、141と勾当台公園のところの十字路のところがクランク状態になっていたわけですね。それを一気に今のように直<線化されました。これもやはり市役所周辺の5カ年整備計画のあたりに、この直線化のために勾当台公園が二分化されております。現在の骨格がそういうことでございます。
昭和61年には、「SENDAI光のページェント」がスタート。前例のない緑地公園でのイベント「光のページェント」の開催に向けて、仙台市と交渉を進めました。昭和62年に仙台市営地下鉄南北線が開業する頃、東二番丁通と定禅寺通のあたりにはいっぱい民家が建っていたのですが、市街地再開発事業ということでひとつにまとまって、地権者が7~8人くらいいたと思いますけども、一大ショッピングモールの141が完成しました。これも当時は活気のある場所として、現在は三越さんがテナントとして入っているのですが、潤いのあるショッピングセンターでございました。

「定禅寺通街づくり協議会」設立の目的と役割

昭和63年には、「定禅寺通街づくり協議会」が発足。「定禅寺通はあるけれど、法的規制があって、思うように使えない」。これを自分たちの通りとして、夢を実現できる場に変えていこうと立ち上げました。ここでの目標のひとつが、将来は車両通行止めにして祭りを楽しめる通りにしたいということでした。
実は定禅寺通には2つの会がございまして、「ハロー定禅寺村」と「定禅寺通街づくり協議会」という2つの組織がございます。その理由は、これから行政さんと一緒になってやっていく場合において、いろいろな問題が生じてきた場合に、「ハロー定禅寺村」というのはあくまでも任意団体ですので、しかも定禅寺通は710mあるのですが、まとまった町内会というのはないんです。すべて南北にささっているものですから、行政さんも何かひとつお話をする時に、町内会をひとつひとつ回らなくてはいけない。それは大変だから窓口を一本化しようと。それで「定禅寺通街づくり協議会」という名前の組織を発足させました。会員は定禅寺通の沿線にいる方々がそれぞれ入っている町内会がございますけれど、たとえば一番町四丁目商店街とか、国分町とか稲荷小路とか、そういう商店街の会長さん全員を役員として迎え、ここにお話しを通していただければ、だいたい定禅寺通の街づくりのすべてはうまくいくのではないかということで、組織した次第でございます。

その「定禅寺通街づくり協議会」では、何をしてこの街づくりをやっていこうかということで、最初に道路を整備していこうと。そして2番目が街並みづくり。これは沿線の建物について考えていこうと。そして3番目が環境づくり。これは道路と街並みができた中で、ここから都市文化というものを発信させ、ここに集まった人たちがみんなお互いに話し合い、仙台の文化を語れるような環境づくりをしよう。こういう三本柱をやっていこうと、大きな目標を持って活動しています。


「定禅寺通街づくり協議会」発足の際、いったいこれから何をやろうとしているのか、この3つのルールを一般の市民の方にも知っていただこうと思いまして、実は第一生命ビルの前に「街づくり宣言」という宣言書を作ったんですけど、現在は第一生命さんのご意向もございまして、これはもうございません。ゆくゆくは定禅寺通の近くにこれを貼って、街づくりをみなさんにも知っていただこうと思っております。
今から20年前の平成3年には「定禅寺ストリートジャズフェスティバル」がスタートしました。「見知らぬ人同士が街角で出会って、共にお祭りを楽しむ」ということを目指して始まりました。今年で20回目を迎えたんですが、しばらくはポスターのデザインも仙台市民の方に公募をして作ってきました。今は業者さんにある程度の草案は作ってもらっているのですが、以前は皆さまにいただいた図案で作っていました。
そして平成4年には、「SENDAI光のページェント」が都市景観大賞を受賞しました。

市民からの提案が生かされた定禅寺通の地区計画、シンボルロード整備事業

続く平成5年には、学識経験者や関係団体、街づくり協議会や行政を含む「街づくり懇談会」で街づくりなどのルールを検討し「地区計画」を定めました。仙台でもいろいろなところで、今日おみえになっている街の方たちも地区計画のある街にお住まいになっていると思うのですが、地区計画の大きなことは自分の土地でありながらビルを建てる時に制約を受ける、法的に非常に制約のある制度でございます。例をいいますと、200平米くらいの土地に建築物を建てる場合は、歩道から1.5mセットバックをしてくださいよとか、壁の色はこういうふうに落ち着いた色調のものにしてくださいよとか、やはり街にあった商店を作ってくださいよというようないろいろな取り決めがある。そういった自分の土地でありながら、自分の意にはならない、やはり街のルールに沿った建物を建ててください、というような制度でございます。これも住んでいる皆さんの協力がひとりでも欠けると成立しないことですが、おかげさまで皆さんにご理解をいただいて、(既成市街地では)初めて定禅寺が仙台市の地区計画のエリアに入りました。

そして平成12年には「定禅寺ストリートジャズフェスティバル」が都市景観大賞を受賞しました。昨日もおかげさまで、河北文化賞もジャズフェスが頂戴してきました。これもひとえに我々がいただいたのではなく、市民の皆さまの温かいご支援があったからこそと思い、実行委員一同、皆さまには本当に感謝しております。

平成11~13年には、仙台市に「定禅寺通を緑の文化回廊に」と提言し、シンボルロード整備を行うのですが、これにつきましては、我々は市役所、あるいは警察、あるいは一般市民、大学の先生方なんかと、10年くらいに渡っていろいろな委員会を立ち上げました。このシンボルロード、すなわち場所的にいうと、車道と車道に挟まれたケヤキの植えられているところなんですが、これを整備しようと。これは机上論をそろそろこれくらいにしようということで平成11年から始め、2年間経って、現在の通りを整備したということでございます。
整備事業の内容としては、ケヤキ灌水用の浸透枡、段差のない連続歩道、イベント対応電源用のコンセントボックスなどを設けました。このシンボルロード事業によって、せっかくできたこの通りを市民のものとして、もっと活発にどう利活用していこうかということで、たとえば市民の方が自由に緑道の真ん中を使って自分たちの作品を発表したり、オープンカフェを開いたりしました。
それから今日ここの会場になっているメディアテーク建設にあたっても、我々定禅寺通街づくり協議会ではこういう建物を建ててもらいたいという要望書を出しました。この建物の自慢の特徴は、図書館とギャラリー、それから情報機器の公開というところです。
行政に一番にお願いしたことは、街の真ん中の図書館ということで、従来なら17時か18時に閉めるのが一般的ですが、深夜型にして22時に閉めてくださいと。そんなことで要望書の8割くらいは聞いていただいて、このような立派な建物が建てられております。
今、定禅寺通ではいろんなお祭りが行なわれております。5月には「仙台青葉まつり」、「仙台国際ハーフマラソン」、6月には「とっておきの音楽祭」、9月には「定禅寺ストリートジャズフェスティバル」、10月には「みちのくYOSAKOIまつり」、12月には「SENDAI光のページェント」。そもそも9月にジャズフェスと決めたのは、ちょうど1年を通して9月というのは何もイベントがない時期だったんです。それでまだケヤキの葉がきれいな時期にというのもありました。ついにジャズフェスの13回目には、定禅寺通を車両通行止めにして夢だった歩行者天国に。そして今年は第60回河北文化賞も受賞しました。たとえ時代の流れと共に街並みやお店が変わっても、「見知らぬ者同士が街角で出会って、共にお祭りを楽しむ」という精神は昔と変わりません。

市民・地域住民・行政が三位一体となることが街づくりのポイント

やはり街づくりをするにあたっては、行政だけに任せては何も始まらないし、あるいは市民だけが先行して考えてもいけない。ということで、一番大切なことは、市民・地域住民・行政が三位一体となって、いわゆるパートナーシップによってお互いに意見をキャッチボールしながら、街づくりをしていこうというのが大事ではないかなと思います。
そして最初に戻るのですが、定禅寺通街づくり協議会が出したように、街づくり、街並みづくり、環境づくり、この三本柱を中心にしてこの街を活性化させていこうじゃないかと。現在もハロー定禅寺村と定禅寺通街づくり協議会という2つの団体は存在しております。
最後に皆さまにお話しをしたいことは、今言った三本柱ということは、もちろん他の町内の方もやっておられると思うのですが、街づくりで一番大切なことは、電気が切れたとか、あるいはこの街の道路が陥没したよとか、それを行政にお願いに行く。あるいはこうしてくださいと陳情に行く。でもやはりそれだけでは街づくりにはならないと思うんですね。街づくりに一番大切なことは、地域住民も積極的に行政に行きまして、「こういうふうな街をつくりたいんだけどどうであろうか」とか、そんなふうに陳情ではなく提案をして、また行政側も「なかなかそれはいい考えだね」というふうに話をして、お互いに意見を統合させながら初めて街づくりが完成するのではないでしょうか。やはりこの三本柱というのは非常に大切なものだなと思います。
また今日お見えになった皆さま方にもご参考になれば、ぜひそのような形で、街づくりを進めていっていただけたらなあと思います。不思議な縁で、この定禅寺通りの骨格と私の年とは3つ違いで、なんだか自分の人生を語っているような錯覚がございまして、非常にお話したいことはいっぱいあるんですが、今日は時間の都合で30分ということなので。実は4日前に東京の業者さんが来て、「仙台市さんからいろんなチラシをもらったり、ホームページを調べたりするのですが、どうしてそんなに街と行政が仲良くやりつつ、一緒にこういう街をつくっていけるのですか」というので、あるお部屋を借りて2時間半くらいお話をしました。それでその方たちは「米竹さんやっとわかりました」と。「ありがとうございました」と帰っていかれたんです。行政もいろいろな部署によってチラシを作っていますけれども、それを1本化してやっていくためには、やはり地域住民との話し合いが大切ではないかと、私はひしひしと感じております。
ジャズフェスもページェントも幸いにして、皆さんのおかげでページェントは25周年、ジャズフェスは20周年を迎えられました。今、考えていることは、これを舞台に今度は映画をつくろうかと。今月の29日にはそのための委員会を立ち上げて、記録映画をつくるのではなく、将来への夢を託した映画を作ろうかという話をしております。

米竹隆さん

やはり街は生きております。そして住民の方にも迷惑をかけてはいけないし、敵を作ってはいけない。みんなでお互いに楽しくやっていこうということで、それにはやはり人に好かれるような街づくりをしていかなくてはいけない。そのためには皆さんの意見を多く吸収していくことが大切かと思います。そんなことで、ちょうど時間も30分になりましたので、終わらせていただきたいと思います。つたない説明ではございましたが、もしどうしても疑問点や知りたいことなどございましたら、市役所に電話をかけて、「定禅寺通のこんなことを聞きたいんだけど」と電話1本していただければ、関係のある部署から私のところに電話が来ると思いますので、その時は私もできる限りお話に出かけて行くのもよろしいですし、あるいは来ていただいてもかまいません。
そんなことでこれからも三位一体となって、仙台市民が誇れるシンボルロード、杜の都、定禅寺通、そういったものをつくっていきたいと心から願っております。さらなるご支援をお願いして、私の最後の言葉とさせていただきます。どうもご静聴ありがとうございました。

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