更新日:2016年9月20日

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景観計画施行記念シンポジウム・第1部基調講演

第1部基調講演・「杜の都の新たな挑戦」-景観で拓くまちづくりの未来-

景観計画により未来を拓く

涌井史郎さん今日は、景観条例の施行初日です。大変、苦労した議論を纏めてきた結果が、このように、14団体の皆様方を含めて景観協議会が設立されまして、大変嬉しい日であります。
景観計画は、仙台市の未来にとって、非常に重要な計画だと認識しております。文明的都市の設えと自然、取り分け、みどりが見事に入れ子の構造を維持している仙台は、世界的に誇るべき都市と感じています。また、此処に至るまでには、みどりとの共生を図る為の多くの歴史が重ねられたことを承知しています。

「杜の都」という呼称は、伊達政宗公が侍屋敷を分割する時に、町割りの中で、自的己完結的であり、生態学なユニットをそれぞれの屋敷に与えたことから始まっています。本当に素晴らしい歴史です。ただ、そうは言っても、苦難の歴史が無かったわけではありません。一番の象徴はケヤキでしょう。戦災による焼け野原を、区画整理するばかりではなく、市民の自発的行動により、ケヤキの苗木を植え、今日のケヤキ並木が見事に造り出されたのです。このような歴史は、戦後復興を巡っては、様々な都市が苦闘を続けたわけですが、仙台程見事な緑を市民力で造ったという歴史はございません。その背景には、地域遺伝子としての「杜の都」というキーワードがあったからだと思います。今や、そうした市民力による景観資源を仙台市民の皆様が巧みに利用して、光のページェント等の文化的価値を更に再創造する見事な取り組みを続けておられます。

今度できました景観計画の骨子は、「景観法」と「杜の都の風土を育む景観条例」をうまくマッチングさせ「景観三原則」を策定したことです。多岐にわたるステークホルダーを代表する皆様が計画策定に関与され、「景観三原則」を元に、景観計画を具体化しました。また、そこには3つの課題がありました。
1つは、仙台の歴史や風土、自然といった仙台の特性を見失わないで、どのように引き継いでいくのか?。2つ目は、道州制が実現したときに、仙台が州都になります。それを睨んで、激しい国際的な都市間競争に耐え、且つ勝ち残っていく為に、東北らしい個性ある街を、どうつくりだしていくのか?。3つ目は、市民の皆様が、仙台に誇りや愛着を持ち、安全で快適で楽しい生活を育めるような条件をどのように作るのか?でした。この3つの課題を重要視した大本が、「景観七方策」です。

仙台市「杜の都」景観計画(ゾーニング)(JPG:176KB)私は40年前に、仙台の景観像を策定する作業グループに加わった経緯があります。その頃から、仙台の基本的な景観構造は今に至るまで全く変わらないと思います。それでも、仙台の街中と外周部ではかなりの変貌を見せています。いわゆる、人口増大に伴う開発圧の足跡です。そこで、ゾーニングをしっかりして、それぞれのゾーニングの個性に合わせた景観計画を具体化すべきではないかという議論になりました。

重要なことは、その中心となる仙台の景観重点地区をどのように考えていくのかでした。そのような中で、仙台の4つの景観特性を見つけました。丘陵、段丘、樹林、並木です。それぞれに、どのような対応策を講ずるのか?ということに非常に腐心しました。
その得た結果は、「眺望」の確保でした。市民が共有出来る、ある特定の視座から自然の地形や個性をビル群により、仙台の景観の基本的構造、例えば、青葉城、大年寺山、広瀬川のランドマーク等の眺望対象が阻害されない方法をどのように作っていくのか?また、どのような方策でそうした眺望景観を重視した街を造るのか?これをまず、最重点に考えていくことでした。仙台が持つべき本来の経済的な活力や都心の楽しさを損なわないように、どのように考えていくのか?といったことを徹底して議論しました。
このような背景には、仙台という都市が、環境革命という人類第三の革命を迎えた今、未来に対し、どう存在意義を持ち続けるのか?ということに非常に深く関係するわけです。そこで、都市を取り巻く環境問題を先ず、地球規模に立ち返って少し考えて見ましょう。「エコロジカル・フットプリント」という概念があります。既に、この地球環境において、人類は地球を1.25個分オーバーユースしているのです。もし、日本人並の生活を地球上全ての人がするならば、地球は2.4個なければならないし、アメリカ人並みの生活をするならば、5.3個必要です。このような状況になっている事実があります。

20世紀の工業化社会は大気も、経済発展の代償に!(JPG:127KB)そして、20世紀は、自然を資源として消費し続け、都市と自然は切り分けられて当然と考えてきました。、「経済発展のためには、多少、大気汚染があってもいいや。」といった思想です。人類第二の革命であった産業革命直後の19世紀のロンドンのような欧州諸都市ばかりではなく、発展途上の中国、例えば、現在の大連でも、このような状況が続いています。東京の比較的、緑が多い六本木地区もこのスライドのような有様ですし、京浜工業地帯では生命活動の片鱗すら見受けられない状況になってしまったのです。
その中で、今、世界の人達が目指そうとしているのが3E、つまり、トリレンマEの打開です。とは、「エネルギーとエコノミー、そして、エンバイロメント」のこと。ちょうど、三角形のような構造で、各々のEのどれかを取り上げると、どれかがその波及を受けるといったトリレンマです。それに対する解決策は、トリプルボトムライン、つまり、社会と経済と環境が複合的にバランス良く働く都市を希求するという方向です。いま一つ、都市の膨張を防ぎ、機能主義型にコンパクトシティを目指すという世界の傾向があります。それを象徴する出来後が、アメリカの自動車産業ビッグスリーの急速な衰退に現れたと思います。
かつて、私達は、「住宅というのは郊外にあって、ヘクタール当たりの人口が少ない方が良いのだ。」と考えてきました。実は、この大元こそ、産業革命が生み出した自動車と道路と都市の密接不可分な関係です。郊外住宅と中心市街地の間に道路があって、職住を分離し、その間を自動車がつなぐ。これが、産業革命以降の理想的な都市の姿であります。しかし、今、この関係を環境の観点、「モーダル・シフト」への方向から見直しますと、トラック、内航海運、鉄道の、各々のCO2の排出量は、内航海運・鉄道になればなるほど低くなります。逆に、1人当たりのガソリン消費量は、職住分離型のような都市で人口密度が低ければ低いほど多くなる。そこで、公共交通機関で、コンパクトなまちの方が良いということになります。理想的な都市と言われているバルセロナはヘクタール当たり400人です。一方、歴史を辿って、江戸の町人地。なんと、ヘクタール当たり876人も居たというのです。だからといって、熊さん、八つぁんが江戸に不満があったかというと、決して、そうではない。それは、人口は周密であっても、江戸は世界に冠たる庭園都市であったからです。今、そのような中で、世界的に都市の環境革命対応へのシフトが始まっています。例えば、ソウル市。日本と同様、都市河川を埋め立てて高速道路を造ったのですが、魅力的な都市にソウルを脱皮させるため、現在のイ・ミョンバク大統領がソウル市長の時代に、李王朝の頃風水上非常に重要な川であった清渓川(チョンゲチョン)を復元し、その下に高速道路を造るという革命的な都市改造を試み大成功しました。
パリはどうでしょうか。パリは、ベロシステムと呼ばれる、地下鉄を降りると、300m毎に必ず30台の自転車がプールされるシステムを作りました。自動車からパリ市民を開放するという運動です。しかも市は一銭も持ち出さず、屋外広告の掲載権を民間に与えるいわゆるP・P・Pシステムでまかなったのです。

ヒートアイランド現象(シュツットガルト)(JPG:170KB)メルセデスの本社のある、シュツットガルトはどうでしょうか。盆地であるために、排気ガスが非常に沈澱する。しかも、ヒートアイランド現象が起きる。こんなに緑が多い都市でありながら、景観計画を作り直して、緑を繋いで、市内の舗装を全部変えて、風の道を造って、ヒートアイランド現象を避けようという動きを現実化しています。
このように世界の都市には、まさに革命が起きているのです。

話は変わりますが、最近、ミツバチがストライキを起こして居なくなってしまった。農家の方が大変な思いをしています。蜂群崩壊症候群という現象ですが、このような出来事が起きて、自然界の我々への働きの大きさに初めて気が付くのです。これまで、当たり前のように享受してきた生態系からのサービス。供給のサービスや調整のサービス、文化的なサービスが失われないような基盤を改めて、大急ぎで作り直さねばなりません。環境と都市の関係の中に、新たな視点、生態系サービスの恒常的供給を得られる、都市と生物との有り様が改めて問われています。

日本の集落は、周りにある赤松から燃料を採る。雑木林から畑一反、山五反といわれるように肥料の供給を受ける。50年や100年に一度の節目には、水路沿いに植わっている杉等から材料を採るといったように、最大限の生態系サービスを恒常的に確保する。そのためには、積極的に自然と関わり自然を安定化させる努力をお怠りませんでした。ある種の集落は、里山だけで自己完結できるほどの完成度を有していました。このように、日本人は生態系サービスを最大化する知恵を編み出したのです。それが全国に共通する、独特の風景の構造をもたらしました。里山を結界にし、奥山と嶽、つまり、山の神が支配する空間があります。この空間は神の領域だから、人間はやたらに手を入れられません。その反対側の里山から内側は、野辺・野良と続き、里に至る風景構造を形作ったのです。

例えば、仙台では、居久根(いぐね)です。これが、まさに、里の風景であります。仙台も40年程前には、里山にかなりの農家が依拠した暮らしを続けていました。このような、都市と生態系との連関を確立した風景構造は、ある意味世界のモデルになる姿です。その典型的姿が仙台にあることに誇りを持ちたいものです。

中世から近世に掛けてのヨーロッパの都市は、自然を外に押し出す構造となっています。城壁を境界にして、都市全体を包み込み、内側を人工的に徹底的に文明化する。しかし、「自然は都市の外側」という考え方を徹底していました。ところが、日本の都市はどうでしょうか?ありとあらゆる緑が都市に入り込む。自然を都市に引き込むことによって、生態系サービスを最大化する方法を採ってきました。しかし、戦後、内航海運と鉄道という最も負担の少ない流通システムに代わって、道路を劣等にめぐらす方向に大きく梶を切り、結局は米国型の職住分離のまちづくりが進み、全国一律東京の様になりました。結果として、東京は東西南北50km圏という世界でも類例を見ない膨張都市となったのです。都市と共存していた里山などのみどりは、1945年を境にして、宅地余力地と名を変え姿を消していくことになります。仙台でも同様の現象が進みました。

未来は、言うまでもなく、エコロジーとエコノミーの融合です。元々、エコロジーのエコというのは、ギリシャ語の「オイコス」、つまり、「共同体」と「家」という意味でありました。それに、「理念」を意味する「ロゴス」が加わり、「オイコス・ロゴス」。つまり、「エコロジー」という言葉になりました。「秩序」という意味の「ノモス」は「エコノミー」という言葉に。そもそもが同根であったこの語彙の原点に返ることが大切です。また、そして、化石燃料や地下資源の払底を迎える日が迫っている中、自然が持つとてつもない力を科学し、その力を生み出す仕組みに学び、自然と共生する社会を実現する以外に、未来への道筋は無いのです。
我国の近代の130年間は、人口急増と産業革命をどのようにキャッチアップするかという国家的課題に向き合ってきました。しかし、これからの人口減少社会では、先に述べた地下資源の払底問題をも含め、自然を社会に共通した便益をもたらす資本財として位置づけていかねばなりません。

さて、ここで、そもそも論をもう少し話したいと思います。環境が五感に投影し、取り分けそれが視覚という感覚で捉えられると、「景観」として認識されます。さて、この景観という言葉は、大正3年に東京帝国大学の植生地理学者三好学の訳語です。「景」は、都の上に日が昇る。すなわち、都市が輝く有り様を表し、「観」はただ目に見えるという意味に留まらず、心に映じた姿という意味を託した言葉として訳語を作ったように思います。それを敢えて私は「地域遺伝子」と読み替えています。何故ならば、景観価値とはその地域の自然と文化と文明の融合した姿と考えているからです。そうした「景観」は、やがて、多様な要素が溶け合い、地域の人達に共有されるという意味から、目に見える事物を脱却した「風」を加えて、「風景」に昇華します。その風景が歴史的に蓄積されると「風土」への高まりを見せるのです。この「風土」は、我々の遺伝子の中に取り込まれる、つまり、生物学的適応現象といっても、良い安定した状態を作り上げるのです。例えば、「~県人らしい」とか「地方らしい人」とか、そうした表現が良く使われますが、これは生理学的な部分と心象が合体した状態、つまり、気質が構造的に形成された結果かもしれません。

また、景観とは、その土地の環境の総和の指標です。一般的に、「ランドスケープ」と言っていますが、その語源は、オランダにありました。元々、ヨーロッパの人達は、絵を描く時に、静物画か人物画か、宗教画しか描かず、風景への関心はあまりなかったのです。ところが、大航海時代、それまで目にしたことの無い世界の景観が目に入ってきたのです。そこで、風景画という新たなジャンルが開が芸術に登場します。その風景画の評論用語として「ランドシャップ」という言葉が誕生します。これがドイツに渡り、単なる視覚の印象に留まらず、その土地の植物や地形といった、土地の資源性や特色を視覚的に捉えた総和としての表現「ランドシャフト」という言葉に変わります。それが英語になると、「ランドスケープ」、“見え掛り”という言葉に転換してしまいます。それを先ほど申し上げたように、三好先生は、巧みに融合させて、日本人が大切にする心に映ずる姿を含め「景観」としたのです。「ランドシャフト」ではなくて、先ずは見え掛かりとしての「ランドスケープ」を整え、次いで、生態系サービスと言った資源性を含めた「ランドシャフト」を重視する方向が大切です。

未来に対して、景観形成が持つ意味は、環境と文化を保全・創造しようとする、地域の人々の決意の総和の表情だと考えます。この地域をどのようにしていくか?という表情の投影が景観計画そのものであると思います。例えば、ロンドンではロンドンらしい十ヶ所の戦略的眺望拠点からの眺望妨害排除の規制が。フランスでも同様に、戦略的眺望景観の保全を行い、パリ市の代表的建築や都市像を損なわぬイメージを大切にしています。

幕末・明治期における日本のまちの風景に対する諸外国人の論調(JPG:132KB)この日本の景観を、外国人はどう見ていたのでしょうか?。ロバート・フォーチュン、イザベラ・バード、ラザフォード・オールコック、フランク・ロイド・ライト。彼らは、日本の姿を見て、文明的な建築物や記念的な建築物の集合体としての都市を評価の対象とせず、自然と都市が融合した姿に対して絶賛しています。ところが、残念なことに、このように、外国人から高く評価される祖先の叡智が造り出した、ガーデン・アイランドとも言える美しく、世界に類の無い国土を戦後、無視してしまった。ここに、大きな問題があったのではないかと思います。

戦前、景観規制がなかったかというと、そうではありません。旧都市計画法の中で、皇居周辺に「美観地区」を設定し、高さ規制を実施した。しかし、それが本当に、公民、市民のためであったかと言うと、そうではなく、皇居に対する視線からの規制でした。昭和43年に「新都市計画法」が改められ、大正8年以来の都市計画の大改正が行われ、新たに「古都」という概念が出来ました。「古都保存法」を制定し、歴史的な風土を保っていこうと考えたわけです。古都の保存は、日本人の矜持であるという考え方から生まれたものでした。この段階では、まだまだ景観論の市民化までには至りませんでした。その代わり、歴史的な街並みについては、文化庁の「文化財保護法」が「伝統的建築物群保存地区」などの仕組みを明示し、更に、都市計画法の改正によって、単体の建築規制ではなく、一団の広がりを対象とする「地区計画」ができました。しかし、いずれもが「もの的な規制」でした。

そうした中で、戦後の経済は、どんどん発展をし、それに伴って、町中には、架線が張り巡らされ、広告物画が氾濫し、歴史的な建造物の背景にマンションが出来るといった状況が生まれてしまいました。
もはや、上位から下位に下すかのような視線で景観計画は、実効性が生まれないところまでに至ったのです。そこに起きたのは、皆さん、ご記憶にあると思いますが、東京の国立のマンション訴訟です。国立という良質の住宅地域の景観を市民が共有して自主規制しても、そこに共通の利益を阻害するような建物が申請されても、建築基準法上の規制では限界があることを思い知らされたのです。それに対する最高裁の判決は、「当該行為が刑罰法規や行政法規に違反するものであると社会的に容認された行為という相当性を欠く」と判断され、やはり、ルールが必要だと痛感させられたのです。こうしたこともあって、全国の470市町村において、524もの景観条例が市町村では約15%、都道府県では57%と高い数字の自主条例が制定されたのです。

その典型例が伊勢市の景観条例です。伊勢神宮には百何十万人の観光客が訪れるのに、その門前町、お祓い町には35万人の入込み観光客数でしか無かった。そこで、「赤福」の親父さんが中心に働きかけ、屋外広告物規制や景観協議会の前身のようなものを作り、「おかげ横丁」というちょっとしたテーマパークを造った結果、平成14年に300万人、現在は、それを上回る観光客が訪れるようになったのです。つまり、従来景観は、経済の活性化とあまり関係ないと考えられてきたのが、見事に、地域の経済の活性化に繋がるということが論証されたのです。

そうした古都を背景に「景観緑三法」ができました。ご存知の通り、「景観法」と「都市緑地保全法」、そして、「屋外広告物法の改正」が成され、初めて目に見える街の姿をというものを体系化できるようになった。さらに加えて「観光立国宣言」なるものが閣議決定されたのです。世界に誇る観光立国を実現して、美しい景観を伴う地方都市の再生を目指そうとするものでした。

この景観法の性格と特色は、現在及び将来における国民共通の景観が資産なのだということ、そうした景観を形成する為には、地域の歴史自然文化等の人々の生活や経済活動の調和が不可欠であって、地域の個性を伸ばす多様な要素の形成が図られるべきだということです。では、そうした方向を誰が決めるのか。少なくとも、公共団体や国が定めるべき性格のものではない。そのまちで、経済活動に従事したり、居住する多様なステークホルダーの人々が協働して、基準を作るべきだと思います。住民、地方公共団体、国、事業者が協働して責務を担うことが景観法の特色です。従来は、国が判断を決めて、その判断に従うというルールだった。そうではなくて、皆さん方が判断し、それを国や公共団体が応援するということが景観法の大きな特色です。しかも、それは、都市部のみならずに、農村部にも適用が可能です。田園風景や港の風景、都市の風景や河川の風景、歴史的な街並みの風景、景観計画の対象となる地区において、様々な形成すべき景観の方針の策定ができることも景観法の一番大きなポイントです。

景観行政は、まさに、今日此処にご参集の景観協議会の皆様の判断と実行力に掛かっているのです。景観協議会の皆さん、住民、事業者と関係機関とが協力して、取り組む場が景観協議会です。協議会で決めた事柄は、尊重義務が発生します。協議会以外の皆さんも、大いにその議論に参与し、それぞれの意見を協議会に持ち上げていただく。これまでの都市計画がともすれば陥りがちであった、高所の視点からばかりでなく、まちを歩く低い目線、日常性からの地減が肝心です。虫の目です。日常性という低い所から、上位の計画を変え、まちづくりを行う。ベクトルが全く違います。とまれ参画の輪を広げていくことが大切です。

また、「屋外広告物」への議論も重要です。「景観計画」と「屋外広告物法」を上手に活用して、より良い景観計画を作り上げていくことが大いに求められます。
昨年、すでに、こうした景観施策を一歩加速する法律ができました。それは、「歴史まちづくり法」です。地域に特色のある歴史的な建造物や記念物があれば、景観法を含めて、良い街づくりのために役に立てましょうというものです。これもまた、より良い景観計画策定へのバックファイアーになることでしょう。

気候変動枠組み、つまり、CO2の削減で、「京都議定書」があります。実は、それに匹敵する国際的議論、来年10月11日に愛知・名古屋で開催されます。それは、リオデジャネイロの環境サミットの気候変動と同様に位置づけられたもう一つの枠組み「生物に関する多様性国家戦略条約締約国会議」です。20世紀は、ひたすら生物資源を産業革命の資源として捉え、収奪に近い形で、文明像だけを追いかけてきました。自然を資本財として位置づけ、日常生態系サービスを基盤に構築されている我々の生活という認識から、生き物共存する国や地域を造るための具体的方策の議論です。その土地に備わっている、生態系サービスを含めた自然の構造的本質を捉えなおそうとする動きです。

例えば、東京都と神奈川県の県境を越えた多摩丘陵から三浦丘陵にかけての13の市町村が、関東地方西南部において、僅かに残された貴重な里山をどのように保全するのか?という議論を4年に亘り行ってきました。その殆ど、民有地なのです。このまま放置すれば、やがて、相続の対象となって、どんどん分割されてしまう。後30年もしないうちに、僅かに残された緑が失われてしまうという危機感からの出発でした。都県境を越えて、これだけの市町が同じ目的でテーブルを囲むことは滅多にありません。この取り組みは、まさに、広域的景観計画であり、その連携に一歩を踏み出そうとしているのです。

グリーン・インフラによる緑化(JPG:149KB)緑の機能について、「グリーン・インフラ」という考え方があります。我が国の40%は森林ですが、私と同じように、老齢化し、代謝活動が盛んではないため、CO2などの温暖化ガスの吸収源としての貢献は僅かです。そこで、代謝活動が盛んな緑を都市に植えよう。都市緑化を吸収源対策に入れ込もうとする動きが生まれました。緑化という手法は、単に、見た目の姿ばかりではなく多様な機能を果たす故に「グリーン・インフラ」と呼ばれるのです。

そうした植物の多面的な機能を装置的に集約した「バイオラング」という自立型の都市緑化壁を私が愛・地球博で造りました。当時のフランス・シラク大統領は、「これは良い。」と言って、パリに帰り見事に「国立ケ・ブランリー美術館」にそれを造られたのです。パリの建築雑誌は、この話題で持ちきりなのです。「私のオリジナリティなのだ。」と言っても、今更、遅いのですが。このように、都市に緑を復権させ、都市における生態系サービスを取り戻すために、建造物にまで特殊緑化を施そうとする動きは世界的傾向です。

緑化の増進(JPG:141KB)例えば、東京都。東京都は、今ある種のチャレンジを試みようとしています。日本の都市の特色であった入れ子の都市構造を復権するために、ある特定の地区において、屋上緑化や地上部の緑化を目標以上に実施する取り組みがなされた場合は、容積を割り増する制度をスタートさせます。環境というキーワードに立脚し、地域住民のみならず、街を良くしていくことが事業者の方々にとっても資産価値を向上させるのだという認識が共有化されようとしているのです。

なぜ、こうしたことに拍車が掛かったのでしょうか?これまでの20世紀を支えた幸福感というのは、物的欲求の物的充足度です。他の人が持っていないものを持ちたいなど、幸福への多寡が金銭的豊かさで語られたのです。追いつけ追い越せ、成長、開発、建設。これが日本のキーワードでした。しかし、21世紀に入って、大きなパラダイムシフトが起こりました。環境革命を前提に、脱工業化社会も始まり、私達にとっての幸せは何か?という問い直しが澎湃として起こりました。その結果、自分らしく生きていくということに対して、自分の人生の時間をどのくらい充足できるのかが究極の幸福の充足といった方向に人々の幸福感が変わったのです。それが、成熟とか、小黒さんが作られた言葉であります「スロー」といった生き方、ライフスタイルに関心が向くようになった理由です。時速40キロから60キロで街を駆け抜ける設えより、時速4キロの歩行、自転車の8キロといったヒューマンスケールの目線から街の姿を見ていくという、等身大の景観が求められる時代になったのです。

少品種・大量生産の「工業化社会」と「消費社会」の終焉(JPG:93KB)まさに、今は、環境革命の時代です。産業革命の次の第3の革命が起きようとしています。第1の革命は1万年前の農業革命、第2の革命は産業革命。環境革命は、第3の革命は第3の革命です。それ故に、大量生産・大量消費社会の終焉を迎え、環境と感性に価値を求める時代になったと見ても良いでしょう。消費行動においても、心の充足を求めるのか、物を求めるのか?という問い掛けに、心の豊かさに対応する商品を求めるという答えが年々、増加しています。両者に30%の差の開きが生まれています。従来は、品質と機能性がイコールであれば、価格で消費行動が決定されました。
今はそうじゃない。それに、プラスアルファの感性価値が加わって、初めて豊かになったような印象になる。これと同様な方向が投影した、まちづくりでなければ、環境と感性の時代に即した魅力にあふれる良い街にはならないということだと思います。
人々の生活により良い反応をもたらし、景観を共有することにより、常に風景に昇華させる合意形成を図り続け、「~らしさ」に溢れ出た魅力的な都市づくりを行うことは、喫緊の課題であると同時にそう簡単ではありません。その為には、市街を形成する、市民や企業、行政といった多様なステークホルダーが、認識を共有し、景観形成への多様的な取り組みがあって、はじめて実現が図られるのです。誰しもがこうした運動に参与できる条件づくりと、積極的な参画が不可欠です。

「風」という概念(JPG:130KB)最後に申し上げたいのは、「風(ふう)」です。「風」は、景観計画をよりよく仕上げる上で、一番重要なキーワードです。景観計画の景は、「もの」です。しかし、なかなか、「もの」に対する価値観を統一することは出来ません。好き嫌いは千差万別です。
そこで、「風」という概念を登場させねばなりません。つまり、少尉を捨てて大道につく精神で、可能な限り価値観を共有し、曖昧模糊としても、それがらしさ、例えば仙台風を実現できる近道であれば、積極的に受け入れ、皆で消化し「風」を生み出すといった合意形成の方向です。
この合意形成に対する対応が、今後の仙台にとって、非常に重要なことだと思います。景観規制や屋外広告物の規制を含めた景観規制を、お上からの縛りと受け止めるのではなく、どのような仙台を目指していくのか?という「風」を共有化すると前向きに自らも行動することが肝要でしょう。
そして、「風」の行く先には、私達の先祖が創り出してきた生物や生態との共存や自然との共存を投影した「風土」性に溢れたまちが仙台という思想を、皆さんでぜひ共有しようではありませんか。

以上、私の話題提供とさせて頂きたいと思います。

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