更新日:2017年8月22日

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退任にあたって(質疑応答)

平成29年8月21日

 

(1)東日本大震災への対応について、今後につながる成果を上げたと評価できる部分を伺う

一つは団地の中における宅地の擁壁や道路を含めた崩落の課題がありましたが、それについては今回の国の政策の中で、基幹事業として新しく造成宅地滑動崩落緊急対策事業を国土交通省で始められました。今まで自然災害は自然の崖などが崩れることを前提としており都市基盤が壊れる想定はありませんでしたが、都市基盤が壊れたことに対して新たに国として救済制度を立ち上げて支援するという仕組みができたことは、これから自然災害に由来する都市型の災害が起こった場合に、土地所有者の皆さまに対しても有益な制度を構築することができたのではないかと思っています。

もう一点としては、今回の震災の中で特に仙台市を中心にプレハブ仮設以外のいわゆるみなし仮設を初めて大規模に導入したことです。これから首都圏や南海トラフなどのより人口が密集した地域での災害が起こった場合にはみなし仮設が中心になってくるだろうと想定されますので、そういう意味では一つ前進であったのではないかと思います。ただみなし仮設の制度はいまだに大変な手続き上の煩雑さがありますので、それは今後改善すべき大きな点だと思っています。

 

(2)防災集団移転促進事業において対象の世帯全てを移転させることができなかったことに対する受け止めを伺う

被災自治体の中でも沿岸地域の危険地域から内陸への移転には実にさまざまな形態があったように思います。仙台市は13の候補地をつくってその中から選んでいただくか、もしくは自立再建という個別の再建の道を選んでいただくことになりましたが、全体として1カ所に移られたところもあればそうでないところもあり、本当にさまざまな形態がありました。

国が持つ防災集団移転促進事業というのは、大勢の方々が移られることになればなるほどそれぞれの方の持つ状況や希望が多様化してきますので、なかなか難しいというところは事実だろうと思います。しかし東日本大震災が起こるまでに国が戦後40年近くの中で取り組んだ防災集団移転促進事業の対象が数百人規模までだったことを考えると、今回沿岸地帯全体で何千という方が移転されるに至った中ではまだまだ改善の余地はあるものの、非常に有効な制度だったのではないかと思っています。

 

(3)蒲生北部の災害危険区域で現地再建を行った8世帯からは理解が得られていないままだが

今回の場合、震災が起こってから防災集団移転の話もいろいろと出てきて、今お話ししたようにさまざまな形態のものを模索する中で合意形成が図られていったということがあるので、どうしても現地再建のご意思を持っている方には難しい状況になりました。今後はそもそも現地再建を希望される方の要望を制度上可能にするかどうか、そこの議論はやはり法の問題ですので国会などでさらに詳しく議論していただく必要があるかと思います。また自治体がさまざまな再建策を住民の方とお話しする中で、現地再建が難しい理由を当初からしっかり制度としてお示ししていくという私どもの説明のやり方の問題もあったかもしれません。

 

(4)震災の経験を踏まえ、今後、災害対応に関して国に要望すべきことは何か

一つは災害法制に関して、これは一貫してずっと申し上げてきていることであり国も一部ご検討いただいているところではありますが、政令指定都市のような日頃から県とほぼ同等の業務を基礎自治体として行っている自治体については、より迅速な復興に資するという意味でそのパワーを十全に発揮するような法的な権限をしっかりと震災の前から与えていただきたい。これは一つ大きな制度論の問題として希望しています。

また、さまざまな災害に伴う実務的な課題でいいますと、例えば仙台市は震災時に罹災(りさい)証明を25万件ほど発行しましたが、被災制度や支援金、保険金などのさまざまな制度が罹災証明と連動しているために膨大な業務がそこに発生してくるということがあります。結果として制度がうまく生きていけばいいのですが、現実の罹災証明の制度というのは主に家屋が傷んだときの被害がどの程度なのかということを中心に構築されていて、例えば地面に入ったひび割れなどはよほど例外的な形でない限り反映されない、基本的に土地は対象にならないという考え方になっています。そうしますと、津波被害の方と宅地被害の方で同じ全壊という罹災証明上の判定でも実際には非常に不合理な部分があるというご意見は市民の方々からもたくさんありましたので、そういったことはしっかりと平時の間に見直していただくことが必要ではないかという感想を持ちました。

 

(5)職員として市長として、それぞれの立場から見た市役所について伺う

職員としては大変に業務の多様性があって、やりがいのある職場だと実感しながらずっと仕事をさせていただいたと思います。まちづくりというものが非常に幅広い分野を含んでいて、俗に「ゆりかごから墓場まで」と言われるように非常に範囲が広い中で、例えば直接、法改正に結びつくような検討が必要な場合もあれば、それこそ法や条例には何の縛りもなく市民の方とお話し合いで一からつくっていくような仕事もあります。対象も手法も本当にバラエティーに富んでいる中で自分たちの意欲を生かして、そしてまた勉強することも限りなくたくさんあるという意味で、常に刺激を受けながら仕事をすることができたというのは大変楽しい職場であったと思います。

一方で市長になってみますと、一つは大変大規模な組織ですので9,000人以上の職員は現場でこうしたらとかこうなってほしいなどのさまざまな考えを持っていると思いますが、それが私のところに上がってくるまでにいろいろな形で集約され絞り込まれて上がってきますので、良いものであっても芽として枯れてしまっているものも多くあるのだろうと思います。そういう意味では、小さなことではあるかもしれないけれども、もっと職員の意欲や気づきというのを生かしていけるような、図体は大きいけれどもそういうきめの細かさを持てたら良いと思います。

 

(6)市長になって良かった点と難しかった点について伺う

良かったと思うことは多々あります。例えばいろいろな道路が完成した、橋が完成した、長年要望をいただいていた地域施設がオープンしたなどのことで開場式やオープニングに私がお伺いすることが多々あります。橋が開通したときもそうですが30年以上お待たせしていた結果やっと今日になったということもありますので、本来は待っていただいた年月に対して誠に申し訳なく、怒られても仕方がないような場合もあるのですが、大抵の場合地元の方々は大変喜んでくださって、長年要望し続けてきてだいぶ待たされたけれども、まあ今日は立派にオープンしてうれしいと言ってくださったり、地域の方もこれからここを利用してもっと便利にやりたい、自分たちもここで事業をやっていきたいなど、いろんなことをおっしゃっていただきます。市が力を使ったことによって市民の皆さんに喜んでいただける結果が出て、それがダイレクトに私の方に返ってくるというのは大変得がたい、首長ならではの経験かと思っていました。

難しい点としては、108万市民の方からの108万のご要望がある中で全てに応えきれるわけではありませんので、場合によっては直接20分30分とお話を聞かせていただいても、残念ながらそのご要望には沿えないという話をせざるを得ないこともあり、お断りせざるを得ないことの方が現実は多いことが申し訳ない気持ちになる大きなところです。

 

(7)市長としての2期8年に自身で点数を付けると何点か

どうでしょうか。私自身はそもそも若いころから政治家を志したわけではなく、いろいろな方のお勧めによって突然60歳を前にしてやや方針のギアを入れ替えたような人間ですので、政治家像というものがはっきり自分の中に熟さないうちに政治家になってしまったというような実感も持っています。そういう意味では、普通、及第点と言うのは何点ぐらいでしょうか、65点か70点くらいでしょうか。及第点そこそこではないかと思います。

 

(8)市長が職員となった当時と比べ現在の仙台市はどのように変わったと思うか

私が入庁したのは昭和50年ですので42年くらい前になりますが、その頃は合併もしていませんでしたし政令指定都市でもありませんでしたので、今で言えば中核市くらいのところだったと思います。

そうした中でその時代の市民の方と議会、当時の市長さんも含めて仙台市の発展について政令指定都市というものを一つの目標に据えて都市行政を進めてきた。それは結果として仙台市にとって良い道筋を開いていただいたと私は実感しています。政令指定都市としての大きな権限を持って仕事をするという経験を職員も積んだことが、東日本大震災の時に大変プラスに発揮されたと私自身は自己評価をしていますので、その道は大変良かったのではないかと思っています。

もう一つは地下鉄東西線についてです。この40年の間の20年ぐらいはさまざまな議論をしてきたと思いますが、やはり都市として成長していくために必要な都市のインフラとして、建設事業を進めてきて良かったのではないかと今の時点では思っています。もちろん地下鉄事業全体として債務を減少してより安定的な経営になっていくためには、まだ今後とも相当な沿線開発や経営改善もしていかなければいけませんので、そのことは次の市長さんに委ねる部分が多々あるわけですが、大都市にふさわしい都市制度にしていくということと、一方でその都市の交通インフラを基軸として、高速道路が環状になったことも含めて必要な都市インフラ基盤をしっかりと整備してきたこと、この両方のバランスをとって進めてきたことは、この40年を振り返ってみると仙台の街としては成功していたと言えるのではないかと私自身は思っています。

 

(9)今後はどのような都市になって欲しいと思うか

一つは仙台の人口集中を支えてきたのは主に東北各県からの人口の移住であり、結果として青森県人会であったり岩手県人会であったり秋田県人会であったりというものがこの仙台にはたくさんありますが、今、ある意味でお互いが機能分担しながら発展してきた東北の仙台以外の部分の人口減少というのが非常に激烈になってきています。それを何とか食い止める中で東北全体がどのように活路を開いていくか、われわれもいくつか模索をしましたがまだ正解にはたどり着いてないと思います。そのことがとても大きなテーマになってくると思いますので、次期の市長さんには改めて他の東北5市の市長さんと一緒にこの課題にチャレンジしていただければと願っています。

 

(10)市長になってから一番感謝していることは何か

私は市長になる前も市の職員として市民の方と一緒に仕事をするという事業を主に経験してきましたが、東日本大震災の中で行政がほとんど無力である中でも、多くの市民の方が大きな混乱や地域間のいさかいなどもなく、あの大変苦しい1カ月をなんとか地域の自力で乗り越えていただいたということ。また防災集団移転にしても折立や緑ヶ丘の宅地の復旧にしても、お一人お一人の生活やお考えからすれば大変難しい局面の中でも何とか地域として合意形成をしつつ、制度を利用して生活再建の道筋を考えていただいたということ。そういう懐が深いと言いますか、ある意味では冷静な対応で、行政が出したいくつかの提案をしっかり議論して道を歩いていっていただいたということを大変ありがたいと思っていますし、素晴らしい市民性だと感じてきました。

 

(11)市民協働の条例を策定するなどの成果もあるが、自身の2期8年を及第点と評価した理由を伺う

やはり及第点そこそことしか言いようがないのではないかと私自身は思います。それはやはり市長の一番大きな責務の基本は市民の方の命を守ることだと思いますので、その命が震災の中とはいえ1,000名近くも失われたということや、直近では若い世代の中学生が自死をされたということをもってすれば、やはりとても万全な市政であったとは言いがたいという思いがあります。

 

(12)良かった点についてはいかがか

将来に向けてこのことがあって良かったと思ってほしいという期待も含めて申し上げると、協働によるまちづくりの推進に関する条例、障害を理由とする差別をなくし障害のある人もない人も共に暮らしやすいまちをつくる条例や中小企業活性化条例を認めていただきましたので、この3つの条例が街の発展という意味で大きな軸になって進んでいってもらえれば、私としては条例にご理解をいただいた議会のご判断も良かったということも含めて大変うれしいと思います。

 

(13)同じく女性市長である横浜市の林市長から引退について何か話はあったのか

横浜の林市長さんは当選当時から私と同時期に市長となったことをうれしいと言ってくださっていました。いろいろなご経歴からすれば人生の先輩としては林市長さんの方が上だろうとは思いますが、私が行政経験が長かったということで、奥山さんは行政の面では私の先輩だからと私を立ててくれるところもたくさんあり、良いコンビとしてやってこられたのは本当にありがたいことだったと思います。

今回退任し選挙に出ないことが新聞で報道された後にお電話をいただき、とても残念だと言っていただきましたが、直近でお会いしたときには自分はもう少し横浜のまちでやりたいこともあり頑張るので、奥山さんはもともとサバサバした人だからまた新しい何かを見つけなさいと言っていただきました。

 

(14)政令指定都市初の女性市長であったが、女性であったことでの難しさや女性へのメッセージがあれば伺う

私自身はこの市長という職を進めていくときに、幸いにも議会をはじめいろいろご理解をいただいていたので、特に自分自身が女性であることの難しさをそんなに感じたわけではありません。

しかし、全体として見ますと全国市長会でも女性市長というのは大変少ない数です。814の中で今19名か20名か直近の正確な数字は分かりませんが、いずれそのくらいの数字です。世の中がダイバーシティや男女共同参画などで動いている中で、政治の世界はあまりにも女性が少なすぎるというのは困ったことです。そういう意味では、一人でも多くの方が女性の政治、議員であれ首長であれいろいろな形があると思いますが、政治の世界に関わっていただくことを希望したいですし、これからもそういうことで何か体験を聞きたいというようなことがあればお話しを申し上げることもあると思います。

 

(15)今後の活動予定を伺う

まずはこの間、家族には私自身の活動を最優先に支えてもらいました。逆に言うと相当迷惑もかけましたので、少し家族に罪滅ぼしをしたいと思っています。あとはずっと仙台に暮らしていく予定ですので、一市民としてできることを探っていきたいと思います。

 

(16)女性の政治家が増えてほしい理由を伺う

世の中のさまざまなところで男性と女性が同等の数で関わっていくことが望ましいとすれば、政治というのは人々の暮らしであるとかまちであるとかそういったものに大きく関係してくるところですので、それが片方の性の方のみが多く、社会が変わっていくのに対して一番変わり方が先取りしていなければならないはずの政治が一番後からついていっているというのは、あまり望ましい姿ではないように思います。

 

(17)首長の教育行政への関わり方で難しいと感じた点と今後の課題について伺う

地方教育行政の組織及び運営に関する法律の改正や、仙台市の固有の事情で言えば県費負担教職員の全面的な政令指定都市への移譲があり、首長の教育行政に関与する度合いはかつてよりも高まっていると思います。そういう意味では、子どもたちに対する首長の責任というものもより高くなってきていると私自身は受け止めています。

今回のいじめ事案との関係で言うと、さまざまな課題を持っている子どもたちが増えているということだと思います。終戦直後のような社会が一律に貧困であった時代とはまた別に、富裕な層と経済状況の大変厳しい世帯など、地域の学校の中にはそういう家庭環境の違いがより拡大する形で入ってきている。そういった状況の中で、例えば保護者の方の協力をどのように期待したらよいのか、一律な呼びかけだけでは難しい。一人親家庭の親御さんにもっと子どもさんと十分な時間を取ってあげてくださいと、ただ口だけで言ってもそれは難しいことになってしまっている状況があるだろうと思います。

そういった個別の状況に対して、教育行政をバックアップするためにどのようにお金を遣い、制度を作っていくかということについてまだまだ十分ではないという実感を持っています。

 

(18)首長が教育行政のハンドリングを行う難しさがあると思うが

現在のいじめに関しては、文部科学省で作られたいじめに関する法律に基づくさまざまな委員会や条例に基づくさまざまな機関がありますので、それらを適切に運用していくことが大きく基本だろうと思います。

一方でそれぞれの事案は個別性がありますので、その個別性というものと、教育委員会なり市長が持つ今までやってきた制度というものがどういう関係にあるのかが、なかなか総論では分かりにくいところがあったかなという気はします。

 

(19)具体的にはどのような難しさか

今の制度の中で制度を運用して委員会などいろいろ行っても、事案としては個別のものがそれぞれあるわけです。子どもの状況も違うし家庭の状況も違う、学校の状況も違う。一方でわれわれは対策を考えるときに、それらに共通して解決に導くような制度を立ち上げるしかないわけです。

制度論として考えていくわれわれと保護者の方が思われるような個別の事案との間には、ある種の心情的な理解と状況の認識を含めて、まだまだ食い違いがあるのだろうと思います。その差をどう埋めていけるかについては難しい面があると感じているところです。

 

(20)平成28年2月の中学生自死事案の再調査について、郡氏とはどのような話し合いを行ったのか

郡新市長さんと話し合いをしたときは委員の選任という段階でしたので、委員の選任について基本的にはご遺族のご要望はこのような形であり、一方私の方で主体的に選ばせていただく委員の構成はこのような属性で考えていますとお話ししました。

個別の方のお名前を申し上げたわけではなく、こういう属性で考える中で保護者の要望を踏まえて全体の構成をこういう枠組みで考えていますが、郡新市長さんの方から付言してこういう方はどうか、ご自分として例えばこの方が入るのはいかがかと思うなど何かご意見があればご提示いただきたいということをお話し申し上げました。その後でお話を伺ったときには、自分としては今進めている構成の基本的な進め方で、自分が新たに任期を開始したときにも進めていけると思うというお話でしたので、擦り合わせとしては基本的には了解をしていただいたと思っています。

 

(21)調査開始時期に関する話し合いの内容を伺う

基本的にはそのことも最初に確認といいますかお話で触れさせていただきました。ただ委員の方々が最終的に固まった段階で日程的な今後の見通しを伺いましたところ、なかなか8月の夏休みは休暇や旅行がすでに入っている方が多く、最終的な私の任期内での調整はかなり難しいことが判明してきましたので、それも踏まえつつ状況としてはこうなっている、早くというお気持ちは保護者の方から再三いただいていてそれはその通りだけれども、難しい面は出ているという話をしました。

 

(22)5月に文部科学省の副大臣から市長のリーダーシップの発揮が求められたが、リーダーシップが足りていないとの指摘に対する受け止めを伺う

義家副大臣からはそのような話もありましたので、あらためて再調査をすることや全体の検証の委員会を立ち上げることについては私としても決断をし、その旨を文部科学省の事務局を通じて副大臣にもお話し申し上げたところでした。

いろいろな多義的な解釈ができますので、副大臣がどこまでのお話を根底に持っておられたかは私は十分に受け止めきれないところがあったかもしれませんが、私としては大臣、副大臣のお考えも踏まえつつ進めさせていただいたと思っています。

 

(23)リーダーシップは発揮できたと考えているか

私としては市長として果たすべきリーダーシップというのは協議の上で進めてきたという理解です。

 

(24)郡氏へかける言葉は

郡新市長さんは、例えば選挙戦の中でも前例主義ではなく例を創る創例主義という大変期待が湧くメッセージを送っていました。そのような市長の職に就くにあたって持っている意欲やアイデア、そういったものを急に全開にするわけにはいきませんが、一歩一歩実現に向けてしっかりと前に向けて歩いていただければと期待しています。

 

(25)今の気持ちを一言で表すと

なかなか一言では難しいですが、まだ任期が終わることの実感というより、実感の一歩手前かなという気がしています。頭では十分に今日が最終日だと受け止めていますが、自分自身として本当に市長の職を退いたのだと実感が持てるのは、おそらく明日の夕方にニュースで郡市長さんの登庁の画面を拝見すればそういった実感も湧くのかなという気がします。

 

(26)郡氏の印象を伺う

非常に前向きな方で、ご自身も自己判断の中で私は明るいんですとおっしゃっていて、私もかねてからそのような方だなと思っていたのですが、改めて一対一でお話をさせていただいて、非常にそのポジティブさといいますか、前向きな素晴らしいものを持っていらっしゃるなぁと改めて思いました。

 

(27)郡氏はどのような市長になると思うか

私はほとんど市長としてワンピースを着たことがないのですが、郡新市長さんはお話をしたときにすてきなワンピースを着ていらっしゃったので、ワンピースが似合う市長さんになるのではないかという感想を持ちました。

 

(28)市長退任にあたって家族とどのような話をしたのか

家族には次の選挙には出ないことにしたと報告をしました。その後家族は「そう」としか言わなかった気がします。このところ市役所の部屋にたまっていた資料やいろいろなものを折に触れて自宅に運んでいるのですが、今それが廊下に山をなしていて今朝一言これはいつになったら片付くかと言われたので、早く片付けなさいというメッセージかなと思います。

 

(29)ねぎらいの言葉はあったのか

今日帰ったらいただけたらうれしいと思いますが、どうでしょう。忘れているかもしれません。

 

(30)最後に報道機関へ伝えたいことを伺う

私自身があまり気付かないでいたことを質問の形でいただくこともありましたので、私の耳の感度を広げるために皆さんに質問という形でお力をいただいたということで感謝申し上げます。

 

(31)市民へのメッセージを伺う

市民の方に大変良識を持って市政を見守っていただき、市役所ができないことも多々あるということを受け止める中で、これだけはやってほしいとかここまでは自分たちでやるからとか、お互いに頑張ってやるという基本的なスタンスの下に市政と向き合っていただいたことが本当にありがたく、そのことについて重ねて感謝申し上げたいと思っています。

 

(32)今後一市民として取り組みたいことは

まだ具体的なものは決まっていないので、これからゆっくり考えたいと思っています。任期8年間お世話になりまして、ありがとうございました。