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更新日:2021年12月8日

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道路の通称として活用する歴史的町名の由来(《東七番丁》通り)

歴史的町名活用路線

通り名

旧町名・通り名

この町名の由来等

現在の主な

関係町名

《東七番丁》通り

東七番丁

(ひがししちばんちょう)

二十人町と荒町の間を結ぶ南北に長い丁。藩政時代初期には北が侍屋敷,南は足軽町で,後に全てが仙台城の大番組に勤める平士たちの屋敷となった。

かつては湿地帯だったので,谷地小路とも呼ばれた。明治二十年の鉄道開通で南北に分断され,昭和四十八年以後は再開発で一変した。

五橋三丁目

新寺一丁目

中央一丁目

榴岡一丁目

榴岡二丁目

名掛丁

東七番丁

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