若林区

更新日:2016年9月20日

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寺めぐり「荒町・河原町あたり」

西光院[さいこういん](土樋)

真言宗智山派、慈眼山。京都の智積院の末寺だったが、いまは単立の寺院。慶長10年(1605)開山。
本尊の十一面観音は平安時代末期の作といわれる。
西光院の概観写真

真福寺[しんぷくじ](土樋)

時宗、廣澤山無量院。神奈川県藤沢の清浄光寺の末寺。仙台地方の時宗最古の寺。正中2年(1325)の開山とされ、阿弥陀如来像は行基の作と伝えられる。
登米にあったが領主の葛西氏が滅亡したため岩出山に再興し、政宗に従って仙台に移った。木造の安国上人坐像は肖像彫刻としては市内最古のもので市の指定文化財。

常念寺[じょうねんじ](東八番丁)

浄土宗、一向山不断院。栃木益子の円通寺の末寺。寛永2年(1625)開山。北六番丁の仙岳院(のちに清浄光院万日堂に移る)、榴岡天神下の願行寺とともに、「オエゴデラ(大回向寺)」として市民に親しまれてきた。5月の13日から15日までの3日間、3つの寺が3年に1度ずつ交替で大回向を開く。
常念寺の概観写真

皎林寺[こうりんじ](東九番丁)

曹洞宗、天苗(てんみょう)山。名取の秀麗齋の末寺で禅寺として名高い。慶長19年(1624)開山で、本堂は大正7年(1918)のもの。隣に山号から名づけられた天苗幼稚園がある。
また、観音堂には飛観音の伝説が残されている千手観音菩薩がある。
仙台三十三観音十九番札所。

昌伝庵[しょうでんあん](荒町)

号は奕葉(えきしょう)山。松音寺(新寺小路)、泰心院(南鍛冶町)、輪王寺(北山)とともに仙台城下の曹洞宗四大寺のひとつで数多くの曹洞宗の寺でも格上であった。
伊達家の13世尚宗の三男、久松丸の菩提を弔うため永正3年(1506)に米沢で開山、政宗とともに仙台に移る。宝永4年(1707)、明和元年(1764)の2度の大火にあうが再建された。
仙台四大画家のひとり、東東洋(あずまとうよう)や江戸時代の人気力士梅林力之助、海軍中将、斎藤七五郎の墓がある。
昌伝庵の概観写真

仏眼寺[ぶつげんじ](荒町)

日蓮正宗で、号は法龍山。大石寺の末寺。康永2年(1343)に伊達家の祖先が伊達郡(現・福島県)にたてた。祈祷で政宗の病気を治した功で米沢に呼び寄せられ、以後は岩出山、仙台と移った。
もとは上染師町にあったが寛永13年(1636)に火事で焼け、現在地に移っている。この寺の曼陀羅(まんだら)は国分町の檀家に預けてあり、正保4年(1647)の火事で焼失したと思われたが、仙台城二の丸の木に下がっていたという。火事を避けて飛んできたとされ、明治までは城に保管されていた。飛曼陀羅と呼ばれた。
3代藩主綱宗の側室、椙原品(すぎはらしな)の墓があるほか、木村寿禎(きむらじゅてい)解剖事蹟之碑がある。
仏眼寺の写真

満福寺[まんぷくじ](荒町)

真言宗智山派、金光山。京都の智積院の末寺。寛永20年(1643)開山。
境内にある毘沙門堂の別当で、江戸時代中期の作といわれる堂の唐門は、市の指定文化財になっている。また、古い石塔や碑が多く残されている。
毘沙門堂のそばに推定樹齢300年のクロマツの木がある。

毘沙門堂[びしゃもんどう](荒町)

奥州藤原氏の秀衡が運慶につくらせたという毘沙門天を祀る。戦乱ののちに粟野大膳が北目城(現・太白区八本松あたり)に移したが、大膳を破った伊達政宗が寛永4年(1627)に現在地に祀った。
寛永20年(1643)には2代目藩主忠宗が鞘堂を建てた。明治37年(1904)の火災で表面は焼けただれている。
御開帳は12年に1度、次回は平成34年。
また、鐘楼にあった鐘は戦時中に供出され、戦後行方不明になっていたが、最近になってアメリカのボストン美術館の公園にあることがわかった。
毘沙門天は「仙台七福神」のひとつ。毘沙門天は多聞天とも呼ばれ本来は武神だが、ここの毘沙門天は子育ての守護神として信仰されている。
気仙沼出身で江戸時代の人気力士、横綱秀の山や仙台大町出身の行司、6代目式守伊之助の碑がある。この毘沙門堂境内では、江戸時代から明治にかけて大相撲が開かれていた。
毘沙門堂の概観写真

泰心院[たいしんいん](南鍛冶町)

曹洞宗、三陽山。北山輪王寺の末寺。永禄10年(1567)に米沢に開山。岩出山を経て現在地に移った。
昌伝庵(荒町)、松音寺(新寺小路)、輪王寺(北山)とともに仙台城下の曹洞宗四大寺のひとつ。本堂は3度の火災にあっている。
仙台市指定文化財の山門は明治維新の時に移築された旧伊達藩藩校の養賢堂の正門で、文化14年(1817)の建築。明治時代には現在の東北福祉大学の前身、曹洞宗第二中学林(のちに栴檀中学となる)が置かれていた。
泰心院の概観写真

東漸寺[とうぜんじ](南鍛冶町)

浄土真宗大谷派、佛法山。京都の東本願寺の末寺。慶長5年(1600)に利府で開山して霞目に移り、慶長19年(1614)に現在地に移った。
山門は当初東向きだったが、町が栄えるとともに南向きに変えている。本堂は約230年前の建造で、材料は400年前のものといわれる。現在、都市計画道路の工事で移転が予定されている。
霞目の七郷出身である横綱谷風の供養碑がある。谷風は本名金子与四郎、碑は昭和27年に谷風顕彰会がたてた。
推定樹齢350年のクロマツが2本、推定樹齢200年のコウヤマキがある。
東漸寺の概観写真

円福寺[えんぷくじ](石名坂)

曹洞宗、満谷山。長町の滝沢寺の末寺。天正年間(1573~1619)に、利府の沢乙にあった天台宗の廃寺を再興して開山したという。
本尊の観音像は堊玉(あくたま)観音と呼ばれ、奥州東征をした坂上田村麻呂の母とも側室ともいわれる利府菅谷の長者の娘、堊玉姫の護持仏が移されたものだという伝説がある。
また、石名坂の名の起源といわれる江戸初期の花魁(おいらん)石名の碑がある。石名はこの地出身といわれる江戸吉原の名花魁で、追善供養のため吉原の楼主や遊女たちが奉納した大般若経600巻が保存されている。
仙台三十三観音二十番札所。

大安寺[だいあんじ](弓ノ町)

曹洞宗、龍泰山。長町の龍沢寺の末寺。慶長10年(1605)開山。境内には八幡大菩薩と彫られた石碑があり、弓ノ町の弓衆から御弓八幡と呼ばれて篤く信仰されたことがうかがえる。

愛染明王(あいぜんみょうおう)・宝性院[ほうしょういん](南染師町)

宝性院は真言宗、号は金剛山。京都醍醐の三宝院の末寺で本山派修験、寛文4年(1664)に開山したが明治時代に廃寺となった。
この寺を別当にして染物師たちが京都の愛染町から勧請したのが愛染明王で、現在は愛染明王堂だけが残っている。愛染が藍染に通じることから染物師の信仰を集めた。また恋愛成就の神として人気がある。
例祭は5月15、26日で、かつては法印の水かけ行事が有名だった。
愛染明王の概観写真

浄沢寺[じょうたくじ](八軒小路)

浄土真宗大谷派、若林山。東漸寺の末寺だったが現在は東本願寺末寺。延宝8年(1680)の開山。
浄沢寺の概観写真

桃源院[とうげんいん](河原町)

黄檗(おうばく)宗、松月山。京都宇治の萬福寺の末寺。安永3年(1774)七代藩主伊達重村の夫人、惇姫が発願して開山された。
飢饉による餓死者を供養するための寺である。三大飢饉といわれた宝暦、天明、天保に、それぞれ五輪塔、経塚、叢(くさむら)塚を建立している。
また、ここで行われていた飢饉供養のための灯籠流しは、現在も8月20日の広瀬川の灯籠流しとなって続いている。山門は竜宮造といわれる竜宮城のようなアーチ形をしている。
桃源院の写真

 

このページは、仙台開府400年を記念して実施した「若林区の魅力発見事業」で平成14年度に製作しました。
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