若林区

更新日:2016年9月20日

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幹道が通りマチがあった

7世紀半ばになると律令国家の建設が進みはじめ、その勢力は地方にも及んでくるようになります。
724年、陸奥国を治める多賀城国府が造営され、さらに740年には聖武天皇の命で木ノ下に陸奥国分寺が建設されると、南小泉から木ノ下にかけての一帯は幹道の通る重要な場所となりました。

南小泉付近に残っている条里制の田んぼ

若林区六丁の目の仙台バイパスに沿ったあたりから広瀬川にかけての一帯には、碁盤の目のように規則正しい水田の跡が残されています。
一辺6町(約645メートル)四方を一区画とする地割で、これは条里制(じょうりせい)とよばれた古代の土地区画制度のなごりです。土地の形を均一にして、管理をしやすくしたのでしょう。とりもなおさず律令国家の力がこの地に及んでいたことを証明するものです。こうした条里制の跡は南小泉以外にも飯田や、鈎取、富沢などにもありました。

いまに伝わる東街道

古代には、「東山道」(とうさんどう)とよばれた道が多賀城からさらに北へ延び、現在の盛岡市まで続いていました。のちに、奥州藤原氏の初代清衡は、白河関(現・福島県白河市)から外が浜(現・陸奥湾)までの道を整備し、鎌倉時代になるとこの道は「奥大道」(おくだいどう)とよばれるようになりました。この道は現在の国道四号線と重なる部分が多いようです。名取市高舘、太白区大野田、そして若林区木ノ下には、地元で「東街道」(あずまかいどう)と伝えられてきた道がありますが、さかのぼればこれらの道が「奥大道」にあたるのではないかともいわれています。大野田の王の壇遺跡、遠見塚の南小泉遺跡では幹線道路の遺構が見つかっています。「奥大道」は、大野田や南小泉、陸奥国分寺を経て多賀城へ向かったのでしょう。

東街道

東街道の写真
仙台一高の東を南北に走る道は、地元で「東街道」とよばれている。

東街道踏み切りの概観写真
東街道踏切河原町から文化町、南小泉方面へと抜ける東北本線の踏切には「東街道踏切」とある。

番外編 木ノ下を歩こう

木ノ下の国分寺薬師堂と白山神社のある場所は、古代に陸奥国分寺が建立されたところです。

陸奥国分寺跡

天平13年(741)、聖武天皇は国家の鎮護を願い、諸国に国分寺と国分尼寺をつくることを命じました。
陸奥国分寺のはっきりした建立年代はわかりませんが、遺跡からは多賀城で使われたものと同じ瓦が出ており、天平宝字4年(760)前後には完成したと考えられます。全国の国分寺の最北に位置し、国府のあった多賀城までは9.5キロメートルの距離にあります。昭和30年代はじめに行われた発掘調査で、寺域は800尺(242メートル)四方以上の大規模な寺院であったことがわかっています。この広い境内に、金堂、講堂、僧坊、七重塔などが配されていました。文治5年(1189)、源頼朝軍と奥州藤原氏がこの一帯で戦火を交えたこともあり、建物は焼け落ち中世には衰退していましたが、天正年間(1573~1592)に当時この地方の領主であった国分盛重が再興し、のちに伊達政宗が薬師堂などを再建しました。仁王像は運慶の作と伝えられています。一帯は国の指定史跡になっており、薬師堂は重要文化財に指定されています。
陸奥国分寺跡の写真

陸奥国分尼寺跡

陸奥国分寺から約600メートル東(現・白萩町)に建てられました。出土した瓦が陸奥国分寺の瓦と同時代のものであることから、創建も同時期と考えられています。発掘によって金堂と思われる建物跡が発見されましたが、くわしいことはわかっていません。承暦4年(1080)に倒壊しましたが、陸奥国分寺と同様、領主であった国分氏が再興し、伊達政宗が保護したといわれています。現在も、同じ場所に曹洞宗の国分尼寺があります。

陸奥国分寺薬師堂・仁王門

慶長12年(1607)伊達政宗が再建しました。仙台地方では真言宗の最初の寺で当時は大伽藍でしたが、現在は薬師堂、仁王門などが残るのみとなっています。薬師堂は国指定の重要文化財、仁王門は県指定の文化財となっています。旧暦正月七日に行われる「七日堂」(ものしり手帳/七日堂)と呼ばれる祭では、薬師堂の本尊ご開帳のほか、護摩(ごま)の火の上を裸足で歩いて渡る火渡りの神事が行われます。境内にはサクラが多く、春は多くの市民が訪れます。
陸奥国分寺薬師堂・仁王門(茅葺)の写真陸奥国分寺薬師堂・仁王門(薬師堂)の写真

国分寺准胝(じゅんてい)観音堂

享保4年(1719)、5代藩主吉宗の夫人長松院が建造し、本尊の准胝観音を寄進しました。准胝観音は婦人の守り本尊で、6代藩主宗村が母の志を継いで延享2年(1745)に、再建しています。そばには芭蕉の句碑「あやめ草足に結ばんわらじの緒」や、仙台俳諧を興隆させた大淀三千風(おおよどみちかぜ)の供養碑があり、「心」の字の形をした池の跡も残されています。
国分寺准てい観音堂の写真

白山(はくさん)神社

国分寺薬師堂の北東にある国分寺鎮守の神社。陸奥国分寺とともに建立されましたが、戦火で焼失し、のちに国分重盛が再興、さらに江戸時代に入ってから政宗が仙台総産土神(そううぶすながみ)と定め、2代藩主忠宗以降も歴代藩主が社殿の補修などを行い厚く保護しました。3月3日の例祭は城下では東照宮の祭りにつぐにぎわいで、流鏑馬(やぶさめ)や、流鏑馬の的(まと)を奪い合う「的ばやい」、舞楽も行われる活気あるものでした。祭りでは決まって火伏せの縁起物「ぼんぼこ槍」(ものしり手帳/ぼんぼこ槍)や「木ノ下駒」(ものしり手帳/木ノ下駒)が売られ人気を集めました。白山神社の例祭には「ぼんぼこ祭り」の別称がありました。見せ物小屋まで立ったにぎわいのようすは、遠藤曰人(えんどうあつじん・江戸時代の俳人)の絵「ぼんぼこ祭り図」(仙台市博物館蔵)に細かく描かれています。現在、社殿は県指定の文化財となっています。
白山神社の社殿の写真
白山神社社殿の写真

遠藤日人「ぽんぽこ祭り図」(仙台市博物館蔵)の写真
遠藤日人「ぽんぽこ祭り図」(仙台市博物館蔵)

 

このページは、仙台開府400年を記念して実施した「若林区の魅力発見事業」で平成14年度に製作しました。
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