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更新日:2024年3月6日

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第5回「-協働がつなぐ仙台-郡市長とふれあいトーク」(2月10日)

 2月10日(土曜)は、せんだい3.11メモリアル交流館にて、東日本大震災後、まだ見つからない大切な人の姿を「かえ(還)りびな」に重ね、被災者を励ますとともに、震災の記憶を風化させないとの願いを込めて制作活動を行っている「仙台かえりびなの会」の皆さんと懇談しました。
 懇談前には、皆さんが制作・展示をした可愛らしい「かえりびな」や「吊るし桃飾り」を拝見しながらお話を伺いました。

かえりびな

せんだい3.11メモリアル交流館にて

かえりびな(写真)       せんだい3.11メモリアル交流館にて(写真)

仙台かえりびなの会

 東日本大震災後、被災地でまだ見つからない大切な人の姿を「かえ(還)りびな※1」に重ね、被災者を励まそうと仙台市災害ボランティアセンターで「みなし仮設住宅」に避難する人たちに向けて、「かえりびな」のワークショップが開催され、その時受講した有志で平成24年4月に活動を開始し、平成25年6月1日に「仙台かえりびなの会」を結成しました。結成当時は11名で活動していましたが、転居や身体的理由により現在は4名で活動中。未だ行方がわからない2,600人近くの方々に思いを寄せ、「かえりびな」を通して「おかえりなさい」と「いつまでも忘れない」を伝え続けています。
 主な活動は、月に2回仙台市福祉プラザで「かえりびな」や「吊るし桃飾り※2」などを制作。毎年7、8月に七夕吹き流し飾りを、2、3月に「かえりびな」と「吊るし桃飾り」を仙台市福祉プラザ及びせんだい3.11メモリアル交流館等において展示及び講習会を開催しています。
※1「かえ(還)りびな」とは、「還暦を迎えた女性に贈ると60年分の人生をリセットし新たなスタートができる」との言い伝えがあり、震災を経験された人たちが新たな生活が送られるように、また、東日本大震災後、行方不明になった方に早く帰ってきてほしいという願いが込められています
※2「吊るし桃飾り」とは、「桃」は邪気・悪霊を払い、万寿(百歳)まで長寿を授けてくれるとの言い伝えがあり、早く見つかってほしいとの願いが込められています

懇談に参加された方

代表   松崎 翠(まつざき・みどり)氏   
副会長  齋藤 和希子(さいとう・わきこ)氏   
会計   千葉 とき子(ちば・ときこ)氏    
書記   津田 由美子(つだ・ゆみこ)氏

仙台かえりびなの会の皆さんと

「仙台かえりびなの会」の皆さんと(写真)

市長
 東日本大震災発災から間もなく13年が経とうとしていますが、未だ行方が分からない方々が2,600人近くいます。本市でもこの間ずっと復興に向けて進んできましたが、今もなお、早く帰ってきてほしいという願いを込めて被災者を励まし続けてくださっている皆様に心より深く感謝申し上げます。いろいろな思いを抱えながらこの間過ごされてきた皆さんに思いを寄せ、誰一人取り残さない復興に向けて継続して取り組みを進めていかないといけないと改めて思ったところです。
 今日は、限られた時間ではありますが、ぜひ皆さんのこれまでの活動や思いなどをお聞かせいただきたいと思っておりますので、よろしくお願いします。
 では、おひとりずつ自己紹介をお願いします。

松崎さん
 代表をしております松崎翠と申します。東日本大震災のときは宮城野区に住んでいましたが、震災によって家屋が全壊しみなし仮設住宅に住むことになり、この「かえりびな」に出会いました。可愛らしいお雛さまに心がほっこりと癒されました。

千葉さん
 千葉とき子と申します。東日本大震災のときは太白区長町に住んでおり、震災によって自宅が土台から崩れ全壊になってしまいました。下の子どもがまだ中学生で同じ学校に通えるようにと不動屋さんをまわり学区内の借り上げ住宅を借りましたが、借りたところも全壊だったため、親戚の家に2、3か月お世話になった後、やっと見つけたみなし仮設住宅に住むことができました。家族で暮らせる安心感を感じましたが、やはりどこか心がもやもやしていて苦しいと思っていたときに災害ボランティアセンターから「かえりびな」作りのワークショップの案内をいただき参加し、皆さんと同じように癒されました。

津田さん
 津田由美子と申します。震災前は福島県南相馬市に父と夫の3人で住んでいましたが、原発事故により避難せざるを得なくなり、最初は福島支所に1週間ほどいた後、群馬県に半年ほど避難していました。その後、福島県に近い宮城県の借り上げ住宅を探して、みなし仮設住宅に2年半ほど住みました。そのときに災害ボランティアセンターから「かえりびな」のワークショップの案内をいただき参加しました。生まれも育ちもずっと福島県で宮城県は右も左も分からずに、寂しさと不安な毎日を送っていました。海辺に住んでいた友人たちや叔父夫婦も津波で流されて見つからないという悲しい気持ちでいましたが、「かえりびな」に出会い、作ることで心が癒されました。今は「かえりびな」を通して皆で伝えいく活動を続けてくることができたこと、うれしく思っております。

齋藤さん
 齋藤和希子と申します。私も津田さんと同じく福島県南相馬市で暮らしていましたが、原発事故の影響で親戚の家にお世話になった後、宮城県のみなし仮設住宅に入ることができました。私の好きなことの一つに布を使った物づくりがあるので、この会に参加して「かえりびな」作りができ、とても楽しく過ごすことができています。

大切な人の姿を「かえ(還)りびな」に重ねて

市長
 この活動を始められたきっかけを教えてください。

松崎さん
 「かえりびな」のワークショップが開催されたきっかけをお話します。宮城野区にお住まいの高松悦男さんが仕事で箱根町に行き、宿泊した旅館の仲居さんが作っていた「還り雛」を「帰りびな」と勘違いし、「震災で行方不明になった2千人以上の人がまだ帰ってきていない。みなし仮設住宅には何も支援もないから仙台で教えてやってほしい」と話され、このことが仙台市福祉プラザに伝わり、みなし仮設住宅に住む被災者向けにワークショップが開催されました。
私は、被災して3か月くらい東京で過ごしていましたが、仙台に帰ってきたときはカーテンを開けるのも難しいくらい落ち込んでいました。そんなとき、ワークショップの案内が届いたので、物づくりが好きな私は、これなら外に出られるという思いで参加いたしました。夢中になって作ることができ、出来上がったときは、「かえりびな」の可愛らしさに癒されました。私が癒された「かえりびな」で、被災して大切な人をなくし悲しんでいる人たちの心を癒し、元気づけることができればとの思いから立ち上げました。それ以来、「かえりびなの会」のメンバーに支えられながら楽しく活動を続けています。

松崎さん

かえりびな3

松崎さん(写真)         かえりびなの説明を受けている様子(写真)

市長
 会を立ち上げたときの声がけも松崎さんだったのでしょうか。また、会として活動を始められたのはいつからだったのでしょうか。

松崎さん
 活動自体は震災の翌年から始めておりましたが、箱根の講師の方から、皆で活動してみてはどうかと提案されました。名前も「かえりびな」を使わせていただき、平成25年に「仙台かえりびなの会」として正式に活動を始めました。

「おかえりなさい」と「いつまでも忘れない」 

市長
 「かえりびな」のいわれというのは、もともと還暦を迎えた方へのお祝いで「還」という字を使われているとのことですが、それを仙台では、震災で行方不明になった人の一日も早い帰還を願って心を込めて作られているんですね。一体一体丁寧に布を組み合わせて縫い込んでいくという大変な作業ですが、どんな思いで作られているのか、また、着物や帯を調達することは大変なことだと思いますが、その辺についてもお聞かせいただけますか。

千葉さん
 私自身も癒された「かえりびな」を通して、行方不明の方々に思いを寄せて一日でも早く家族の元に帰ってきて、そして「おかえりなさい」と言いたい、また、皆さんに笑顔と元気を少しでも届けられたらいいなという思いで活動を続けています。それから、着物の生地は、はじめは古着屋さんから買っていましたが、講習会を重ねるうちに、参加した方々がお姑さんや娘さんの使わなくなった着物を使ってくださいとお持ちいただくことが増えてきて、横の広がりを実感しています。皆さんの温かいご支援に心から感謝しております。

市長

千葉さん

                 千葉さん(写真)

「かえりびな」が繋いでくれた復興の輪

市長
 そのように輪が広がっていったということは、とても素晴らしいことだと思います。これまで展示会のほか、講習会も開催されているようですが、先ほど拝見しましたが、受講される方のために一つ一つ細かいパーツづくりなどの下準備にはとても感心いたしました。毎回毎回大変な作業ですが、これまで講習会に参加された方々の感想などをお聞かせいただけますか。

津田さん
 私が2番目に避難した群馬県で知り合った友人から、群馬県の皆にもこの「かえりびな」を教えて欲しいと依頼がありましたので、そこにも出向き一緒に作ったことで皆さんに大変喜んでいただきました。避難していた当時の恩返しの気持ちと、私たちの取り組みを伝えることができてうれしく感じています。その友人から、娘さんが成人式のときに着た着物を送ってくださいまして、人と人のつながりや温かさを感じました。
 また、災害ボランティアセンターの共同募金会よりいただいた支援金で「かえりびな」を作るための材料を揃えることができたこと、福祉プラザやメモリアル交流館の方からは展示会や講習会を開くための場所を提供いただいたおかげで、長く続けてくることができました。他にも、新聞やテレビ放送を見てくださった方より着物や帯のご提供など、多くの皆さまよりご支援いただいたことに感謝しています。

津田さん

十二単を作っていく様子

津田さん(写真)        帯を使って十二単を作っていく様子(写真)

市長
 初めての展示会が横浜市だった経緯などをお聞かせください。

松崎さん
 被災された方が恐らく関東方面にもいるだろうということと、ワークショップの講師の方が神奈川県の方で、その方が以前務めていた会社が新たなビルを建てたので、そのお祝いを兼ねて最初の展示会を神奈川県横浜市で開催させていただきました。

市長
 これだけ長い期間続けてこられてこられたことは大変なことだと思いますが、ご苦労なされたことなどありましたらお聞かせください。

齋藤さん
 物づくりが好きなので、楽しんでやっていますが、やはり家に持ち帰ることが多いので、皆で手分けして持ち帰ってやっていることが、苦労といえば苦労かなと思います。でも、講習会や展示会に来て下さった方がにっこりされるので、それが励みになっています。

活動を通して生きる力に

市長
 皆さん、被災されてみなし仮設住宅に住み、いろいろな思いを抱えられながらこの活動に取り組んでこられたと思いますが、話を伺ってご自身の生きる力にもつながったのではないでしょうか。改めて、この活動を通して良かったことなどを皆さんにお伺いします。

松崎さん
 最初は「娘や孫に似てるんだ」と涙を流しておひな様をご覧になってた方が多かったのですが、今は「きれいだね」、「可愛いね」、「私の友達60歳になったのでプレゼントするわ」と楽しい声が聞こえてくるようになり、人々の気持ちの変化を感じますし、すごくやりがいを感じています。ただ、今回元日に起きた能登半島地震で被災された方々のことを思うと早く皆さんの元に帰ってきてほしいなという思いを改めて感じています。

千葉さん
 講習会を通じて毎回皆さんから笑顔と元気をいただきますので、生活へのはりと自分自身の成長を感じています。また、河北新聞を始め多くのメディアでも取り上げていただいたおかげで、本当に多くの方に「かえりびな」を知っていただくようになり、うれしく思っていますし、皆さんのご支援があって11年も続けられているのかなと感じています。

市長
 被災した当時中学生だった娘さんは、お母さんの活動について何とおっしゃっていますか。

千葉さん
 家で下準備の作業をしていたり、コロナのときは、なかなか皆で集まれなかったので、各自方向性を決めて家で宿題みたいに作業していたので、それを見て「お母さん頑張ってるね」と応援してくれました。これを通して子どもとの会話も進みましたし、お母さんが楽しそうに活動しているのを喜んで見てくれていたと思います。何より一番身近な家族が応援してくれているので良かったと思っています。

津田さん
 先ほど市長が「かえりびな」をご覧いただいたとき最初に「可愛い」とおっしゃってくださったことが印象に残っていますが、皆さんが手に取って触りたくなるような可愛らしい「かえりびな」、そして、愛おしく思ってくれる気持ちを大切に活動することができました。
 また、仙台七夕の時期に帯と布で制作した「七夕吹き流し飾り」を復興に祈りを込めて、福祉プラザとメモリアル交流館に毎年展示しています。くす玉の部分は帯で吹き流しの部分は布になっています。この七夕飾りをご覧になった方々より私たちも布で作りたいとの声をいただき、「ミニ七夕飾り」を考案し、講習会に参加された方々より好評をいただいています。また、コロナ禍のときは、色とりどりで可愛い「布リース」も考案しました。

ミニ七夕飾り

リース

帯や布を使ったミニ七夕飾り(写真) 布で作ったリース(写真)

能登半島地震で被災された方々に寄せる思い

齋藤さん
 南相馬から避難してきた当時、宮城県には友達がいなかったので、4人のメンバーと出会えて楽しく活動しながら、少しずつ明るくなれたことが良かったと思います。今後どうしていったらいいのか私にも分からないのですが、能登の方々に今すぐには無理でしょうけど、いずれこれを見て元気になってもらえたらいいかなと考えています。

市長
 齋藤さんから、元日の能登半島地震で被災された方々へのお気持ちを伺いました。ぜひ、能登の皆さんたちにもこの「かえりびな」で元気をお届けになることを願っています。齋藤さんの持ち物を拝見しますとほとんどご自身で作られた布のペンケース、それから布バッグ、いろいろな物をお作りになってらっしゃっているのですね。素晴らしいです。
今後に向けての活動については、どのようにお考えになっていますでしょうか。

齋藤さん

懇談の様子

齋藤さん(写真)          懇談の様子(写真)

励まし合いながら築きあげてきた絆

松崎さん
 なかなかこの活動自体を広げていくのは難しいですね。講習会に来てくださる方々は年配の方が多く若い方があまりいらっしゃらないのが現状です。将来の構想はまだ抱けないのですが、元気なうちは皆とこの活動を継続してやっていきたいと思っていますので、新聞や講習会などで私たちの活動を知っていただき、私もやってみたい、参加してみたい、私も被災された方々を勇気づけたいなど感じて下さる方が増えていけばいいのかなと思っています。

千葉さん
 一人でもかけたら活動は難しくなるのかなって思っています。だからと言って他の仲間を増やしてやっていくということも考えていないので、今後どういう方向でこの活動を継続していったらいいかということは皆で考えています。講習会に来られる方は皆さんご高齢の方が多いので、ひょっとして仲間になってくださるのかという期待もありますが、どういうふうに続けていけるのかという不安もあり、それが一つの課題かなと考えています。

津田さん
 私も体の続く限りやっていきたいと考えていますし、家族の理解も重要だと感じています。また、年々年齢を重ねていくことで後継者とも思いますが、なかなか考えられないのが現状です。被災者という共通の境遇でできあがった会でもあり4人で続けてこられた絆があります。ですが、今後、入りたいという希望者がいるときは、皆で相談し合って決めたいと思います。

震災の経験を世界へ、そして未来へ

市長
 今のお話は、重く受け止めたところです。技術が秀でて一緒に作りたいという方が出てくるのも歓迎でしょうけれども、被災者という共通の境遇から作られた会の成り立ちを考えますとこの絆の強さということを理解いたします。そういう意味では、皆さんお元気でこれからも多くの方々に笑顔と元気を与えていただき、また、それをご自身の生きがいにつなげて長く活動を続けていかれることを願っています。
 3月11日を前にこのせんだい3.11メモリアル交流館において「かえりびな」の展示会を開催され、未だ行方が分からない人たちが1日も早く家族の元に帰ってこられるように、また、震災の記憶を風化させないとの願いを込めて熱心に活動を続けられている皆さんに改めて深く感謝を申し上げますとともに心から敬意を表します。
 そしてまた、能登半島地震の被災者の方々の1日も早い復興を願わずにはいられませんし、本市としても被災した我々の使命として被災者に追悼の念を持ち続けながら震災の記憶・教訓を広く国内外に、そして次世代に伝え続けてまいります。
 健康に留意されまして、これからもなお一層ご活躍いただきたいと思います。
 本日はありがとうございました。

かえりびな2

プレゼント(かえりびな)

震災を忘れない(写真)      可愛らしい「かえりびな」をプレゼント
                 していただきました(写真)     

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