泉区

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更新日:2019年8月2日

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古碑・岩谷観音洞(洞雲寺)

龍門山洞雲寺は、慶雲年間(奈良時代)定彗(じゅえ)により開山されたと伝えられています。

この地に住む、大菅山・佐賀野という夫婦が、定彗という僧を一晩泊めた際、「この地は霊地に適しているので、寺を建てたいこの土地を貸してくれないか」と頼まれました。夫婦は断りましたが、「錫杖の及ぶところだけ」と再度の依頼を受け入れました。建立された寺は、佐賀野寺といいましたが、後に蓬莱山円通寺と改めました。

その後、退廃と再興を繰り返し現在に至っています。境内には、春は桜の花で華やぎ、秋は紅葉で私たちの目を楽しませてくれています。

本殿は、平成23年の東日本大震災により取り壊されています。

古碑(重興洞雲寺碑)

境内には、洞雲寺の歴史が記された古碑があります。そこは開山されてから、建立された延亨年間までの事柄が記されており、中には山寺伝説なども記されています。昭和18年(1943年)4月20日に軽便鉄道が山火事を引き起こし、すべての伽藍(がらん)が焼失しました。この石碑はその猛火に耐えて残ったもので、当時を知る唯一の遺構です。

山の寺伝説

蓮葉山円通寺(れんようざんえんつうじ)として開山した寺がありました。
天長年間に、寺の美童と長者の妻が恋に落ちたがかなわず、二人は池に身を投じ大蛇となりました。二人の怨念は長者宅を焼き三日三晩の暴風雨になり山が崩れ、大池の中に寺が沈んでしまいました。二匹の大蛇は、近づく農民らを威嚇(いかく)し困らせるようなったため、市名坂村の佐藤藤左衛門はこの雄雌の大蛇を退治したいと思い、岩沼の竹駒神社に長年「願かけ」をしました。
あるとき、加州金沢東香山大乗寺三世明峯素哲禅師(めいほうそてつぜんし)が岩沼を訪れたところ、白髪の老人(洞雲寺の狐の化身)が禅師と藤左衛門を引き合わせ、禅師は藤左衛門の案内で市名坂に赴き、大蛇を法力で飛散させました。その後禅師は領主国分氏に請い、湖を賜って干してみると昔の寺跡が出現しました。禅師はここに寺を建てて龍門山洞雲寺としました。

かたわらには禅師との橋渡しをした狐の祠(ほこら)が建っています。(『洞雲寺伝」により)

古碑の画像

古碑(重興洞雲寺碑)

岩谷観音洞

坂上苅田麻呂東征の時、利府の宿陣とし九門長者の娘阿久玉姫を愛しました。この2人のこどもは千熊丸といい、幼少のころ、この寺で学びました。千熊丸は京都にいる父苅田麻呂のもとに行けるよう、観音様に祈願したところ、願いがかない京に上り、成長して坂上田村麻呂になったそうです。

山の寺の岩谷観音が、田村麻呂祈願成就の観世音だと伝えられています。

岩谷観音堂の画像

岩谷観音洞

鐘楼の画像

鐘楼

座禅窟の画像

座禅窟

 

所在地・アクセス

龍門山洞雲寺 泉区山の寺2丁目3
地下鉄泉中央駅 宮城交通バス向陽台団地行山の寺洞雲寺前下車 徒歩10分

案内図

関連リンク

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