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更新日:2017年8月22日

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退任にあたって(発表内容)

平成29年8月21日

 

本日任期終了の日を迎えました。2期8年の中で多くの市民の皆さまに支えられ、また仙台市議会のご理解をいただき、東日本大震災を経て市政を運営させていただきましたけれども、この最後の日を迎えるに至ったことを私自身大変感慨深く、この間本当に多くの方々にお支えをいただいたことに心から感謝を申し上げたいと思っています。本当にありがとうございました。

市職員としての年月も入れますと40年を超えてこの庁舎に仕事の場を得てきましたので、私自身にとってもこの職場を離れての人生というのはなかなか思い描くことが難しかったわけですが、今日この最後の日を迎えるまでは、職場を去ることについてはあまり考えないようにしてきました。と言いますのは、やはり市長という職はいつ何時何があるか分かりませんので、その最後の瞬間まで緊張感を持って務めたいということです。今もまだ実は若干緊張は残っておりますけれども、この瞬間の気持ちをお話しさせていただきたいと思います。

8年間を振り返ってみて、私自身まず市長として大変申し訳なかった、市民の皆さまにこれだけは本当に申し訳なかったと思っている点が大きく2点ございます。

その1点目は、東日本大震災において仙台市民の方が1,000名近くお亡くなりになられたことです。市民の皆さまの生命と財産をしっかり守っていくことは、市政の大根本の大きな目標でありますので、それを損ねたということについては本当に私自身反省もし、申し訳ない気持ちでいっぱいでございます。しかしながら、そういう非常の事態にありながらも多くの市民の皆さま方が立ち上がってくださったということで、一方で本当にそのお力に感動もし、そしてまた感謝をしながらこの間ともに復興を進めてくることができたことをありがたく思っているところです。

そしてもう1点の大きな心残りと申しますか、残念であったことは、この直近の3年間の中で3人の若い中学生の命が自死という形で失われるに至ったことです。未来のある若い世代に仙台で良かったと思っていただけるような街にしたいということでまちづくりを進めてきたつもりではございましたけれども、結果として私の市政の中でそういった子どもたちの窮地、困っている状況に対してしっかりとした救いの手を差し伸べることができなかったことは大変残念でありますし、また保護者や関係の皆さまにも重ねておわびを申し上げたいと思う点でございます。このことについては後任の郡市長さんにさまざまな検討や対策を委ねなければなりませんので、そのことを私から直接郡市長さんにもお願いするとともに、多くの市民の皆さまのご理解によって望むべき方向がしっかりと見いだされることを切に願っております。

この8年の中でそれ以外にも思い出すことが多々ございますが、大きくはやはり東日本大震災の中で発揮された108万市民のいわゆる市民協働がまちづくりの基本となることについて、しっかりと条例の中で定められたことです。そしてまた障害を持つ方々も市民の一人として健常者とともに住みよい街をつくっていく、いわゆる差別解消条例についても議会からお認めをいただいて仙台市の精神である条例という形で制定することができたことは、私としても未来に向けて希望が持てる仕事であったと思っております。

直近の国勢調査では東北全体で人口が900万を割り、人口減少社会が仙台にもひしひしと押し寄せていると実感される中で、東北とのさらなる一体感、仙台として東北の未来に向けて何ができるかをこれからも模索していかなければならないということがあります。まだまだ途上ではありますけれども、この夏に行った東北絆まつりなどは、東北の県庁所在市の連携によってかなり大きな事業ができるということの実践例として足掛かりになっていくのではないかと思っております。東北全体の発展がなくては仙台の未来もないことは確実と思われますので、これからもそのことに向けて仙台市が新しい市長の下でしっかりと進んでいくことを願っているところでございます。

この8年間に本当に多くの方々からいただいた大変なご支援に改めて感謝をし、そしてまた報道機関の皆さまも定例会見はもとより、自然災害の時に市政だよりや仙台市ホームページなどの広報だけでは足りない部分を迅速に補っていただいたり、また多くのイベントを盛り上げていただく報道などにも取り組んでいただき、ご一緒にまちづくりを進めることができたのも大変うれしく思っております。報道機関の皆さまにも心から感謝申し上げます。

本当に長い間ありがとうございました。

 

仙台市長 奥山 恵美子