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更新日:2023年6月20日

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正覚寺(目黒区中目黒)・浅岡飯たきの井(港区芝公園)

正覚寺は、仙台藩の三代藩主伊達綱宗の側室で、四代藩主綱村の生母にあたる三沢初子(みさわはつこ)の父母の菩提寺です。境内には初子の墓(東京都文化財・旧跡指定)があり、すぐそばには父母の墓石もあります。
初子が生んだ亀千代(後の綱村)はわずか2歳で藩主となり、藩政を揺るがした大事件(伊達騒動)に幼くして巻き込まれることとなります。この御家騒動は、歌舞伎の「伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)」や、山本周五郎の小説「樅(もみ)ノ木は残った」などの題材となり、初子は「伽羅先代萩」の主要登場人物である「政岡」のほか、「浅岡の局(つぼね)」などのモデルになったと言われています。

このほか、境内には、六代目尾上梅幸(おのえばいこう)の弟子尾上梅朝(おのえばいちょう)が演じた「政岡」を元に建てられた初子の銅像があります。また、幼いまま藩主となったわが子を想い、その身の安全を祈念したとされる鬼子母神像が安置されているほか、手を合わせて祈る初子の姿を表した木像も納められています。
この母の一途な想いは叶い、御家騒動などもくぐり抜けた綱村は後に名君といわれるほどの藩主となりました。綱村の初子への親愛の情も強く、江戸滞在中は頻繁に母のもとを訪れたといいます。
初子の帰依により隆盛の基盤を築いた正覚寺には、初子の死後、遺命により邸宅が奉納され、その部材により諸堂が建築されました。欄間や板戸、天井板などは今も本堂や寺務所等に現存し往時を偲ぶことができます。

増上寺前の港区役所正面玄関わきには、「浅岡飯たきの井」があります。近くには藩主などの増上寺参詣の折に使われた仙台藩伊達家の支度所があったとされます。初子がモデルになったとされる物語などから、幼い藩主を毒殺の危険から守ろうとして、浅岡の局がこの井戸の水を汲んで調理したと伝えられています(毒殺に関する話は文献としては確認されていません)。
昭和62年(1987年)、港区役所新庁舎開庁の際に、旧庁舎の中庭にあったものが現在の場所に移設されました。

初子は藩主としてのつとめを見事に果たす綱村の姿を見届け、47歳でその生涯を閉じました。

 

正覚寺

銅像の写真
三沢初子の銅像

墓石の写真
初子の墓石

説明碑の写真
墓石の前に置かれた説明碑

両親の墓の写真
初子の両親の墓

木像の写真
鬼子母神堂内の三沢初子の木像

天井板の写真
鬼子母神堂の天井板(龍)

欄間の写真
本堂の欄間

板戸の写真
寺務所に飾られた板戸

 

浅岡飯たきの井

浅岡飯たきの井 浅岡飯たきの井2 浅岡飯たきの井3

浅岡飯たきの井の所在を示す写真
赤い矢印の箇所に井戸があります

浅岡飯たきの井の由来の説明版
由来が書かれた表示板

 

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