泉区

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更新日:2016年9月20日

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泉なつかし写真館―第7回 泉の祭り

第7回は、泉の各地域で行われていた「泉の祭り」を紹介します。

 鹿踊の古文書

福岡の鴇田家に保存されている「鹿踊(ししおどり)」の古文書の写真です。

この古文書は「釈迦舞流剣舞祓伝巻」という長文の巻物で、慶安2年(西暦1649年)に書かれた貴重なものです。
「鹿踊(ししおどり)」と「剣舞(けんばい)」は、もともとの発祥は別でしたが、いつの頃からか組み合わされて一つの舞団となって伝授されました。
鹿踊は「鹿子舞」「鹿躍」「鹿舞」などと呼ばれ、剣舞も「剣拝」と呼ばれていました。

 鹿踊復活

昭和28年ごろに撮影された、根白石小学校で復活した福岡の「鹿踊(ししおどり)」の写真です。

鹿踊は災いや病害虫を除き、五穀豊穣を祈願する踊りとされています。
鹿踊と剣舞(けんばい)は、仙台城下八幡町より福岡、朴沢、野村、上谷刈地区に伝授されたと伝えられています。
朴沢と野村では廃れてしまいましたが、福岡と上谷刈では途中で中断したものの復活し、現在、宮城県の無形民族文化財に指定されています。

 鹿子の頭

昭和56年に撮影された、「鹿子の頭(ししのかしら)」の写真です。

「鹿踊」は、八幡太郎義家の奥州征伐のころの発祥と伝えられており、「鹿子の頭(冠)」は往昔のかぶとに、背負う綾竹は旗になぞられえたものといわれています。

 剣舞(けんばい)

昭和57年に撮影された、宇佐八幡神社の改修祝いでの上谷刈の「剣舞(けんばい)」の写真です。

「剣舞」は平泉高館没落の後、亡霊変化が昼夜の別なく現れて荒れ回るので、これを退散させるために踊られた舞と伝えられています。
このため、舞人の面はいずれも怪異な面相で、装束も武装をかたどった衣装を用いたといわれます。
また、剣舞は「釈迦流剣舞」と呼ばれ、悪魔退散、天下泰平を祈願する舞として伝承されてきました。

 野村剣舞の面

昭和56年に撮影された、「野村剣舞」の面の写真です。

享保9年(西暦1724年)に、鹿踊や剣舞の踊り手が12人から10人以内に規制されましたが、野村に残る「剣舞」の面は13個保存されていることから、享保9年以前に剣舞が伝授されたと考えられています。

下は、昭和の初めごろに写された、野村の鹿踊と剣舞の舞人と世話人の写真です。

 八坂神社奉納踊

昭和56年に撮影された、八坂神社での「奉納踊(田植え踊)」の写真です。

田植え踊は、新しい年の五穀豊穣を願う舞で、正月の作祭りとして伝承されてきました。
泉地区には、「奴田植え踊」と「弥十郎田植え踊」の二種類が伝授されました。
根白石上の宿、小角、実沢上の原、実沢去田組では「奴田植え踊」が踊られ、福岡藤沢、西田中、七北田大沢組では「弥十郎田植え踊」が踊られていました。

 弥十郎田植え踊

昭和56年に撮影された、「大沢田植え踊」を復活した時の写真です。

大沢の「弥十郎田植え踊」は、男性が早乙女(田植えをする女性)に扮装して踊るもので、古雅を残しています。
「田植え踊」には、しろかきの型、種蒔きの型、案山子の型、早苗植えの型などがありました。

 大正花笠踊(あせ踊)

平成5年に撮影された、加茂神社祭典の日の「大正花笠踊(あせ踊)」の写真です。

大正花笠踊は上谷刈(古内を含む)と実沢地区で大正年間に盛んに踊られていました。
大正花笠踊は山形の花笠踊や相馬盆踊などにも似た踊りで、歌などは当時流行していた定義節に似ていたそうです。

 かつぎ祭り

昭和29年に福岡字馬場で撮影された「かつぎ祭り」の写真で、根白石公民館の勧奨で30数年ぶりに復活したときのものです。

「かつぎ祭り」はもともとは仙台の祭り行事で、山車の担ぎ手として、根白石から出場していました。
後に仙台市内に電線がはりめぐらされると、高く大きな「かつぎ祭り」の山車は町中を練り歩くことができなくなり、明治27年以降、山車の「かつぎ祭り」は廃止されました。
これを惜しんだ根白石の若者たちにより、「かつぎ祭り」は根白石に再現され、その後数回開催されました。

 神武天皇の山車

昭和の初めに、高長商店前で撮影された、かつぎ祭りでの「神武天皇の山車」の写真です。

山車の出し物は神武天皇の大弓に金鶏(天上に住むという鶏)が止まり、その眩光で賊軍を破ったという古事を参考に作られました。

 七夕馬っ子

昭和51年に撮影された、「七夕馬っ子」の写真です。

七夕馬っ子は、七夕さま(田のかみ)は馬に乗ってござると信じられた時代の信仰の習わしです。
麦わらでその家の馬の数だけ馬の形を作り、厩屋の屋根のヘグシ(グシともいう棟飾りの一種)に乗せられました。

 根白石の七夕

昭和30年に根白石字町頭で撮影された、根白石の「七夕」の写真です。

七夕飾りは町並みだけではなく、部落の家々にも飾られました。
小学校生徒らの夢への憧れでもあって、父兄たちも応援していました。
みんなで作った吹き流しや薬玉(くすだま)、いろいろの折り紙、五色の短冊に思い思いの願いを書き、笹竹一杯に飾って立てました。

 兎口神社子供樽神輿(みこし)

昭和51年に撮影された、「兎口神社子供樽神輿」の石段降りの写真です。

急な石段ですが、子どもたちが御神輿を担いで元気に降りてきている姿が写っています。

写真:元泉市誌編纂委員会副委員長庄司健治氏のコレクションほか
出典:泉市誌、グラフ泉、いずみのふるさと(総集編)、続みーつけた、泉市の文化財、七北田川まるごとガイドブック

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