泉区

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更新日:2022年1月4日

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泉なつかし写真館―第9回 泉の団地

第9回は、泉中央周辺地区とともに、泉区の人口増加の中心となった「泉の団地」(古い写真が残っていた団地)を紹介します。

泉区では昭和30年代後半から区域東南部の丘陵地で住宅開発が進み、以後、区の中央を流れる七北田川を挟んだ丘陵部を中心に大小の住宅団地が形成されました。区制施行後の20年間で泉区の人口は約6万4千人増加しており、本市の人口増加数のおよそ4割を占めています。

 黒松団地

昭和42年の真美沢堤・黒松駅周辺の写真です。

「黒松団地」は黒松山から北に向かう国有林を開発した、泉区域最初の大型団地です。
昭和30年代前半に造成が始まり、昭和37年から入居が始まりました。
黒松団地には黒松1丁目から3丁目まであり、平成元年4月に5,455人あった人口は、平成20年4月に4,890人に減少しています。

下は、平成16年の黒松団地の写真です。

 南光台団地

昭和42年の南光台団地の写真です。

「南光台団地」は、泉区の最南端の浦田山の牧場だった地区を開発した団地です。
浦田山は伊達藩の猟場でもあり、南光台東2丁目には仙台藩焔硝蔵(火薬貯蔵庫)の一つ「松森焔硝蔵(えんしょうぐら)跡」が残っています。
南光台団地には南光台1丁目~7丁目、南光台東1丁目~3丁目、南光台南1丁目~3丁目があります。
南光台団地の人口は、平成元年4月に24,118人でしたが、平成20年4月には20,166人になっています。

 将監団地

昭和42年に撮影した養鶏場の写真です。

※団地が開発される以前には、団地東端の台地に外国種鶏を7万羽飼育していた大きな養鶏場がありましたが、鶏糞処理の悪臭公害の関係で移転しました。

「将監団地」は泉区役所の北側に位置し、昭和40年代に、標高50メートル前後の丘陵地帯を開発した団地です。
伊達政宗の命を受け支倉常長を迎えに行った「横澤将監」が根白石の新堰から水を引いて造った「将監堤(沼)」が団地名の由来になっています。
将監団地には将監1丁目から13丁目まであり、平成元年4月の人口は18,049人でしたが、平成20年4月には14,374人になっています。

下は、平成16年の将監団地の写真です。

 向陽台団地

昭和60年の向陽台団地の写真です。

「向陽台団地」は七北田字山の寺地区を昭和40年代に開発した団地で、「山の寺洞雲寺」大渓谷風致林を囲んでいます。
向陽台団地には向陽台1丁目から5丁目まであり、平成元年4月の人口は5,606人でしたが、平成20年4月には5,434人になっています。

下は、平成16年の向陽台団地(写真中央が山の寺洞雲寺)の写真です。

 鶴が丘ニュータウン

昭和50年の鶴が丘ニュータウンの写真です。

「鶴が丘ニュータウン」は、泉区最東部の松森地区の北側にある丘陵地帯のを開発した団地です。
松森城(鶴ケ城)跡や宮城県民の森に囲まれた緑の多い団地となっています。
鶴が丘ニュータウンには鶴が丘1丁目から4丁目まであり、平成元年4月の人口は10,519人でしたが、平成20年4月には9,078人になっています。

 泉パークタウン高森

昭和50年頃の泉パークタウン高森の写真です。

「泉パークタウン」は、住宅団地と工業流通団地、さらにスポーツ・レジャー施設と総合的で大規模な開発が行われている団地です。
第1期工区の「泉パークタウン高森」は、昭和47年から開発が行われ、開発当時はバスの本数も少なく、あまり便利の良い所ではありませんでした。
現在は保育所・学校・市民センターなど生活に必要な施設が整備され、快適な居住空間を有しています。
泉パークタウン高森には高森1丁目から8丁目まであり、人口は平成元年4月の5,231人から、平成20年4月には8,569人に増加しています。

 泉パークタウン寺岡

昭和55年の泉パークタウン寺岡の造成当時の写真です。

「泉パークタウン寺岡」は、泉パークタウン第2期工区として、実沢北部に当たる寺岡山を中心に開発が行われました。
「泉パークタウン寺岡」にはサンショウウオなどの希少な動植物が生息する自然が残されました。
また、開発の際には根白石の新堰からの用水路になっている、「湧上サイフォン」などの発掘調査も行われました。
「泉パークタウン寺岡」には、寺岡1丁目から6丁目まであり、平成元年4月に6,581人だった人口は、平成20年4月に6,280人になっています。

なお、「泉パークタウン」は「高森」、「寺岡」に続いて「桂」と「紫山」も居住区として開発が行われ、4つの地区を合計すると25,000人を超える人口(平成20年4月現在)となっています。

 加茂団地

昭和62年の加茂団地の写真です。

「加茂団地」は、中世の長命氏の居城「長命館」を囲むように開発されました。
隣接する南側には水の森公園があり、戦前に氷を保存するために使われた「氷室あと」が残る丸太沢や三共堤があります。
団地名の由来は、団地の北側にある「賀茂神社」からとったとされています。
加茂団地には加茂1丁目から5丁目まであり、人口は平成元年4月には7,235人でしたが、平成20年4月には6,126人になっています。

下は、昭和50年の加茂団地(造成中)(写真中央右が長命館)の写真です。

 住吉台ニュータウン

昭和63年の住吉台ニュータウンの写真です。

「住吉台ニュータウン」は、北に田中川、南に萱場川が流れる、西田中地区の丘陵地帯を開発した団地です。
東側には仙台藩二代藩主忠宗時代の「家老古内主膳重広一族」の墓所がある「大満寺」が隣接しています。
また、団地内には同時代の儒学者である「内藤以貫の墓」があります。
団地名は団地北側の西田中にある「住吉神社」からつけられています。
住吉台ニュータウンには住吉台東1丁目~5丁目、住吉台西1丁目~4丁目があり、平成元年4月に1,778人だった人口は、平成20年4月には8,241人と5倍近くに増加しています。

 泉ビレジ(館)

昭和63年の泉ビレジ(館)の写真です。

「泉ビレジ(館)」は、実沢地区の西方八乙女部落西奥の山林地帯を開発した団地です。
「館」という地名は、中世のころの八乙女氏の居城「八乙女館」に隣接していることから名付けられました。
泉ビレジ(館)には館1丁目から7丁目まであり、平成元年4月に1,810人だった人口が、平成20年4月には7,571人と4倍以上に増加しています。

下は、平成16年の泉ビレジ(館)の写真です。

 いずみ中山ニュータウン(南中山)

昭和60年のいずみ中山ニュータウン(南中山)の写真です。

「いずみ中山ニュータウン(南中山)」は泉区の南西で、中山丘陵の北部地域を開発した団地です。
東は「長命ケ丘団地」と、西は「泉ビレジ」と隣接しています。
この地区には根白石から北山などに「炭」や「農作物」を運ぶ「中山道」と「中山新道」が通っていました。
以前は至る場所に石碑などがありましたが、現在は「狼石(おいぬいし)」のところに集められています。
いずみ中山ニュータウン(南中山)」には南中山1丁目から6丁目まであり、平成元年4月に4,455人だった人口は、平成20年4月には7,029人と1.5倍に増加しています。

写真:元泉市誌編纂委員会副委員長庄司健治氏のコレクションほか
出典:泉市誌、グラフ泉、いずみのふるさと(総集編)、続みーつけた、泉市の文化財、七北田川まるごとガイドブック

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