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更新日:2016年9月20日

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泉なつかし写真館―第6回 農家

第6回は、「七北田川」や「つかい川」などの水源を利用し、農業を営んできた「農家のくらし」を紹介します。

 水車

昭和49年に撮影された、朴陀羅の「水車」の写真です。
つかい川の水を利用して、水車を回して米をつき、白米にしていました。

米をつく道具としては、水の力を利用する「鹿威し(ししおどし)」と同じ原理で動く「ばっかり」といわれるものもありました。

左は、「ばっかり」の写真です。

 馬による代かき

昭和49年に撮影された、「馬による代(しろ)かき」の写真です。

昔は田植えが遅く、代かきは梅雨入りの頃に行っていました。
代かきのほかに、馬は「ばっこかき(田おこし)」などでも活躍しました。
昔の人々は、川の上流に堰や堤を作り、「くぐり穴」や「サイフォン」などの工夫を重ねて田に水を引き、馬や牛などの動物を使って、米を育てていました。

 馬のすそ洗い

昭和53年に撮影された、「馬のすそ洗い」の写真です。

各農家は2~3頭の馬を飼い、農耕や炭の運搬などに使いました。
「馬のけがや死で財産が傾く」のでお湯で洗ってあげるなど、大切に飼っていました。
区内各地には愛馬の死を悼んで建てた馬頭観世音が数多く見られます。

 回し枠での田植え

昭和51年に撮影された、「回し枠」を使って、正条に田植えをしている写真です。

当時は、「回し枠」のほかにも「引き枠」しての田植えなど、いろいろな道具が使われていました。
なお、写真の奥には「屏風岳」が写っています。

 稲刈り風景

昭和32年に撮影された「稲刈り」の写真で、稲刈り鎌による手作業の稲刈りが行われています。

この当時の稲刈りは6株刈って一つかみにし、これを二つ重ねて一束にしました。
普通、4人が一日がかりで1反(約1,000平方メートル)くらいを刈ったそうです。

 餅つき

昭和50年に撮影された「餅つき」の写真です。

昔は杵と臼での餅つきが正月の風物詩でしたが、次第に餅つき機が普及してあまり見られない光景になってしまいました。
朝早くからもち米をふかして、何臼もの餅をついて、親戚や兄弟にも配ったそうです。

正月の餅は白餅、豆餅、栗餅、赤餅(こしあんの糟入り)などにし、雑煮焼餅、あんこ餅、豆腐餅(すった豆腐とクルミを砂糖で味付けして餅にからめたもの)にして食べたそうです。

 リヤカーでの野菜売り

終戦前後に北根付近で撮影された、仙台に行商に行く七北田の「野菜売り」の写真です。

七北田は仙台に近いということもあって、野菜の生産が盛んでした。
野菜を作っては仙台まで売りに行っていたそうです。
野菜売りは「やおや売り」ともいわれていました。

七北田や野村では、農家のお嫁さんがリヤカーを押して野菜売りに行くことも多かったようです。

 家畜市場

昭和50年頃に撮影された、「家畜市場」の写真です。

根白石交番前のJAガソリンスタンドの裏に今でも残されています。
この当時の農家にとって、家畜は生計を営むのになくてはならないものの一つでした。
この家畜市場では、多くの牛や馬が売買されたと伝えられています。

 甲羅型での炭焼き

昭和55年に撮影された、福岡字穴の原で行われていた甲羅型に窯木を詰めて行う炭焼きの写真です。

根白石地区は農業とともに、炭作りが盛んでした。
根白石の農家は中山峠を越えて、北山にある炭問屋まで運搬して生計を営んでいたそうです。
その当時の名残として、仙山線の北山駅近くに根白石踏切が今でも残されています。

 実沢中山堤の氷室あと

戦後のまだ氷がない時代には、夏に、三共堤、丸田沢堤、実沢中山堤できれいな天然氷が採取されていました。

12月から3月初めにかけて氷を氷鋸で切り、谷間にわらを敷いた氷室(ひむろ)に氷を積み上げてから、くりの木の丸太を谷間に渡しました。
その上を茅(かや)と笹で覆って屋根を作り、夏場まで氷を貯蔵していました。
夏になると、三共堤では秀衡街道を通って、丸太沢堤と実沢中山堤では中山街道を通って仙台の氷屋などに氷を運び、生活の足しにしていました。

 筵織(はたし)作業

昔の農家にとって「いぐさ」は貴重品でした。
そのため多くの農家では、川縁で刈り集めたチガヤやむしろ草を使って「筵(むしろ)」を織っていました。
構造的には布を織る仕組みと同じですが、それよりも大雑把なもので、織れるのは1日1枚くらいでした。

 土間(台所)

昭和54年頃に撮影された熊谷家の土間(台所)の写真です。

かまど(大釜)の脇には牛持柱があり、その横には釜神様がありました。
現在、熊谷家の土間(台所)は、泉ケ岳に移築され、仙台市有形文化財に指定されています。

 夜なべ

昭和51年に撮影された写真で、むしろの上に座り、「夜なべ」をしているところです。

「夜なべ」では縄ないや炭すご(炭を入れる俵)編みなどが行われていました。
写真中央の囲炉裏は、お湯を沸かしたり、魚を焼いたり、暖をとったりと、農家のくらしには欠かせないものでした。
囲炉裏のまわりの炉端には焼き魚を保存する「ずんど」や米を備蓄した「備荒食」などもありました。

写真:元泉市誌編纂委員会副委員長庄司健治氏のコレクションほか
出典:泉市誌、グラフ泉、いずみのふるさと(総集編)、続みーつけた、泉市の文化財、七北田川まるごとガイドブック

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