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更新日:2024年11月28日
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本市では、仙台城大手門跡や郡山遺跡の発掘調査を実施しており、このたび、これらの発掘調査現場において遺跡見学会を実施します。
仙台城大手門については、昨年度より将来の復元に向けた発掘調査を開始しています。今年度は、昨年度に発見した大手門礎石跡(柱の基礎の部分)や大手門脇櫓の雨落ち溝の一部に加えて、新たに別の礎石跡1カ所と雨落ち溝の一部が見つかりました。
また、郡山遺跡では、官衙(かんが)(役所)において重要な役割をもっていたと考えられる石組(いしぐみ)池(いけ)に関連する溝が発見されました。
11月30日(土曜日)13時~15時
仙台城大手門跡発掘調査現場(青葉区川内※大手門脇櫓付近)
大手門があったと推定される位置の地下から、建物の基礎に当たる部分で礎石を据えるための礎石跡を新たに1カ所確認した。門の原位置を推定する上で重要な情報となる。
昨年度、大手門脇櫓の西側で検出された石組の側溝と同様のものが脇櫓の南側でも検出された。これは、脇櫓に付属する雨落ち溝と考えられ、脇櫓の原位置を推定する上で重要な情報となる。
事前申し込みは不要です。実施時間中は自由に見学ができます。また、13時、14時に文化財課職員が発掘調査に関する説明を行います。なお、現地には駐車場がございませんので、ご来場の際は公共交通機関をご利用ください。
12月7日(土曜日)14時~16時
郡山遺跡発掘調査現場(太白区郡山3丁目19)
※駐車台数に限りがありますので、できる限り公共交通機関をご利用の上、お越しください。
(当日連絡先)電話:090-4240-7043
平成7年の調査で発見された、石で組まれた溝(石組溝)の延長部分を検出した。
また、石組溝の底面には平たい石が、その両端部には大きい石を敷き詰めて造っていたことが明らかとなった。これは、飛鳥(あすかの)浄(きよ)御原宮(みはらのみや)など当時の都の発掘調査で発見された石組溝と同じ構造となっており、極めて重要な発見と言える。
事前申し込みは不要です。実施時間中は自由に見学ができます。また、14時から文化財課職員が発掘調査に関する説明を行います。
仙台城の大手門は、江戸時代を通じて仙台城全体の正門として存続し、藩主の出入りの時や特定の儀式の時にしか開門されない特別な門である。仙台城が廃城となる明治時代以降も門として利用され、昭和6(1931)年には脇(わき)櫓(やぐら)と共に国宝に指定された。その後、昭和20(1945)年の仙台空襲で大手門と脇櫓が焼失。昭和38(1963)年には脇櫓が再建されたが、大手門は現在まで再建されず、その跡は道路として利用されている。
建物構造は木造2階建入母屋造りの瓦葺で、規模は1階が桁行約65尺(約19.7m)、梁間約22.3尺(約6.8m)、高さ12.5m。創建年代は、本丸造営時に建造したとする慶長期造営説と、二の丸造営時に建造したとする寛永期造営説がある。
郡山遺跡は飛鳥~奈良時代の官衙(かんが)(役所)の跡で、多賀城造営前に陸奥国を統治する役割を担っていた。これまでの発掘調査によって、遺跡の中心部には大型の建物が規則的に配置され、石で組まれた池(石組(いしぐみ)池(いけ))が発見された。この石組池は蝦夷(えみし)が天皇に服属儀礼を行った奈良県明日香村にある石神遺跡と同じ構造を持っており、郡山遺跡でも同様の儀礼が行われたと考えられる。現在までに類似遺構が発見されたのは、当時の都があった飛鳥地方以外では郡山遺跡のみであることから、重要な役割を持っていた遺跡と考えられている。
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