若林区
更新日:2016年9月20日
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国分寺の守護神として同時期に建立された。
今の社殿は、二代藩主忠宗が寛永17年(1640)に再建したもの。県の指定文化財になっている。また、ここの丹波神楽は市の登録文化財に指定されている。
国分寺の18伽藍のひとつだったという。牛頭天王を祀り、旧暦6月15日の祭にはキュウリを奉納して豊作を祈るが、子どもの水難よけともいわれる。かつての祭では、御輿(みこし)は河原町の須賀神社まで渡り、その先の広瀬川に入っていった。
国分寺境内北側にあり、姥神社と並んでいる。椌木(ごうらぎ)の大木の中の祠に祀られていたものが移された。
国分寺境内北側にあり、紫神社と並んでいる。子どもの百日咳と歯痛を直してくれるという信仰があり、竹筒にお酒を入れて奉納していた。かつては清水小路にあったが五橋交番隣に移され、さらに国分寺の本薬師、正善院の聖観音とともに合祀されて昭和40年に現在地に移された。
神社の起源ははっきりしないが、猫塚古墳の上に建てられている。かつては保食(うけもち)神社と呼ばれる豊作の神で南小泉の鎮守の役目もあったが、広瀬川沿いの旅立稲荷に合祀された。神社に愛着のある地元の人々が、社殿と祭を残している。古い石碑が多くある。
このページは、仙台開府400年を記念して実施した「若林区の魅力発見事業」で平成14年度に製作しました。
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