更新日:2016年9月20日

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「杜(もり)の都」のいわれ

みなさんは,仙台が「杜の都」と言われているのを知っていますか?今から約400年前の江戸時代,仙台藩祖(はんそ)伊達政宗(だてまさむね)公は,家臣たちに,屋敷内には飢餓(きが)に備えて,栗・梅・柿などの実のなる木や竹を,また,隣(となり)との境に杉を植えるように奨めました。こうしてできた屋敷林(やしきりん)と,お寺や神社の林,そして広瀬川の河畔や青葉山の緑が一体となって仙台は,まち全体が緑に包まれていました。

むかしの杜の都のようす

画像/屋敷林

かつての屋敷林(やしきりん)のイメージ

画像/緑豊かな仙台

緑ゆたかな仙台

(戦前の絵はがきより)

画像/空襲で焼け野原となった仙台(昭和20年)

資料提供:仙台市戦災復興記念館

空襲で焼け野原となった仙台

(昭和20年)

この「まち全体が緑に包まれる姿」は,明治42年には,「森の都」として仙台の観光案内書に記されています。また,昭和に入って間もない頃には,「杜の都」と表されるようになったと言われ,この姿は,昭和20年の仙台空襲(くうしゅう)前まで残っていました。「杜の都」の「杜」は,山などに自然に生えている樹木や草花だけではなく,そのまちに暮らす人々が協力し合い,長い年月をかけて育ててきた豊かな緑のことです。「杜の都」と表するところに,「神社や寺,屋敷のまわりを取り囲んでいる『緑』,人々がていねいに手入れをしてきた『緑』こそが仙台の宝」という市民の想いが込められています。
仙台空襲で,まちの緑は焼けてなくなってしまいましたが、その後の復興(ふっこう)により「杜の都」は,青葉通や定禅寺通などの街路樹や,青葉山公園や西公園などの緑に代わっていくことになります。

現代の杜の都のようす

画像/ケヤキ並木が美しい青葉通り(現代) 画像/ケヤキ並木が美しい青葉通り2(現代)

ケヤキ並木が美しい青葉通

画像/青葉山から見た仙台の中心部

青葉山から見た仙台の中心部

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