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更新日:2022年12月28日

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緑の歴史・今昔

緑の歴史

江戸時代から今までの緑化の歴史を振り返ってみよう!

仙台今昔へ移動する。

江戸時代

画像/江戸時代

1601年(慶長6年)

仙台城ができて伊達政宗(だてまさむね)が岩出山(いわでやま)から仙台に移ってきました。

1607年(慶長12年)

大崎八幡宮(おおさきはちまんぐう)が完成しました。

1637年(寛永14年)

瑞鳳殿(ずいほうでん)が完成しました。

1684年(貞享元年)

江戸時代、仙台藩では家臣の屋敷(やしき)に果樹や生垣を植えることをすすめたことにより屋敷林がつくられ、寺社林とともに杜(もり)の都の原点になりました。

1685年(貞享2年)

四代藩主伊達綱村(よんだいはんしゅだてつなむら)が榴ヶ岡(つつじがおか)に釈迦堂(しゃかどう)を建ててシダレザクラを植樹しました。

1689年(元禄2年)

松尾芭蕉(まつおばしょう)が『おくのほそ道』の旅で仙台、松島などを訪れました。

明治時代~大正時代

画像/明治・大正

1871年(明治4年)

廃藩置県(はいはんちけん)により、仙台藩から仙台県になりました。

1872年(明治5年)

仙台県を宮城県と名前を変えて、今の大きさや形の宮城県になりました。

1875年(明治8年)

桜ヶ岡公園(今の西公園)が開園しました。

1885年(明治18年)

川内の大手門(おおてもん)の下から大橋にかけて松や桜など数百本の木が植えられました。

1887年(明治20年)

仙台駅が完成しました。
南町通の幅が4mから17mに広げられて、街路樹が植えられました。

1902年(明治35年)

榴岡(つつじがおか)公園が開園しました。

1909年(明治42年)

この年出版された「仙臺 松島 塩釜 遊覧の栞(しおり)」に「森の都」という記述があり、これが仙台を「もりのみやこ」と表現した現在残っている最も古い資料です。

1914年(大正3年)

勝山(かつやま)公園が開園しました。

昭和時代(戦前)

画像/昭和(戦前)

1930年(昭和5年)

南町通(みなみまちどおり)に新しく線路がしかれ、それにともない250本のイチョウが植えられました。(のちに戦災で焼失)

1931年(昭和6年)

榴ヶ岡通(つつじがおかどおり)にイチョウ110本が植えられました。

1937年(昭和12年)

北四番丁(きたよばんちょう)から北六番丁(きたろくばんちょう)にイチョウ、北六番丁から北仙台にニセアカシア、北仙台駅前通にプラタナスがそれぞれ植えられました。

1940年(昭和15年)

大学病院前から八幡町(はちまんまち)の間にアオギリ、広瀬橋(ひろせばし)の近くにイチョウ、広瀬橋から長町駅の間にはニセアカシアを植樹しました。この頃、仙台市の街路樹が1950本に達しましたが、翌年から始まる太平洋戦争によって街路樹の維持や管理がおろそかになってゆきました。

1945年(昭和20年)

大規模な空襲(くうしゅう)で中心市街地の多くの樹木が焼失してしまいました。

昭和時代(戦後)

画像/昭和(戦後)

1950年(昭和25年)

青葉通でケヤキの植樹が始まりました。

1953年(昭和28年)

青葉山公園が開園しました。

1954年(昭和29年)

大年寺山(だいねんじやま)公園、野草園(やそうえん)が開園しました。

1958年(昭和33年)

定禅寺通(じょうぜんじどおり)にケヤキが植えられました。

1960年(昭和35年)

広瀬通(ひろせどおり)の街路樹がイチョウに統一されました。

1971年(昭和46年)

市民投票で「市の木」がケヤキに決まりました。

1972年(昭和47年)

仙台市緑化推進本部(せんだいしりょくかすいしんほんぶ)が設置されました。

1973年(昭和48年)

台原森林(だいのはらしんりん)公園が開園しました。
杜(もり)の都の環境をつくる条例が制定されました。

1974年(昭和49年)

広瀬川(ひろせがわ)の清流を守る条例(じょうれい)が制定(せいてい)されました。

1975年(昭和50年)

青葉通、定禅寺通のケヤキ並木が保存樹林に指定されました。

1978年(昭和53年)

宮城県沖地震により、街路樹が倒れたりなどの大きな被害を受けました。

1979年(昭和54年)

定禅寺通に彫刻「夏の思い出」が設置されました。

1982年(昭和57年)

地下鉄工事にともない青葉通のケヤキの一部などを原町(はらのまち)東部第5公園などに植樹しました。

1987年(昭和62年)

仙台市に宮城町(みやぎちょう)を編入、地下鉄南北線が開業しました。

1988年(昭和63年)

仙台市に泉市(いずみし)と秋保町(あきうちょう)を編入しました。

平成時代~今

画像/平成

1989年(平成元年)

仙台市が政令指定都市(せいれいしていとし)に指定され現在の五区制となりました。(市制100周年)

1990年(平成2年)

七北田(ななきた)公園が一部開園しました。

1991年(平成3年)

太白山(たいはくさん)自然観察の森が開設されました。

1992年(平成4年)

海岸公園(蒲生(がもう)地区)が開園しました。

1993年(平成5年)

仙石線(せんせきせん)の地下化工事にともない、青葉通のケヤキ20本を七北田公園などに植樹しました。

1997年(平成9年)

緑の基本計画として「仙台グリーンプラン21」を策定。平成8年に比べて街路樹の延長40%、高木本数の30%増を目標にしました。

1998年(平成10年)

仙台城石垣(いしがき)の工事が始まりました。
青葉の森管理センターがオープンしました。
百年の杜づくり推進基金が設置されました。

2000年(平成11年)

百年の杜づくり行動計画を決定しました。
百年の杜づくり~市民による「100万本の森づくり」で記念樹など2万5000本が植えられました。
百年の杜づくり~市街地の「緑の回廊づくり」で街路樹を植えたり仙台市役所などの屋上緑化をはじめました。

仙台市の「緑の名所100選」が選ばれました。
定禅寺通シンボルロードが整備されました。

2003年(平成15年)

水の森公園キャンプ場がオープンしました。

2004年(平成16年)

仙台城の石垣が完成しました。
錦町(にしきちょう)公園がリニューアルオープンしました。
仙台市の「百年の杜づくり」が「緑の都市賞」の内閣総理大臣賞を受賞しました。

仙台の緑今昔

番号のついている場所では、昔と今の緑の変化が見られるよ。

下の写真でどれだけ木が成長したか確かめてみてね。

画像/写真の撮影場所を示した仙台市地図

1.定禅寺通(じょうぜんじどおり)の緑の回廊

画像/昭和20年代の定禅寺通

資料提供:仙台市戦災復興記念館

ケヤキが植えられる前の
定禅寺通

(昭和20年代)

画像/約60年後

画像/平成16年の定禅寺通

平成16年(2004年)

2.県民会館前(けんみんかいかんまえ)のケヤキの木

画像/昭和39年の県民会館前

資料提供:仙台市戦災復興記念館

昭和39年8月(1964年)

画像/約60年後

画像/平成16年の県民会館前

平成16年(2004年)

3.西公園のイチョウの木

画像/戦災にあう前の西公園

資料提供:仙台市戦災復興記念館

戦災にあう前の西公園

画像/約60年後

画像/平成16年の西公園

平成16年(2004年)

4.中央郵便局前

画像/昭和40年代の中央郵便局前

資料提供:仙台市戦災復興記念館

昭和40年代

画像/約60年後

画像/平成16年の中央郵便局前

平成16年(2004年)

5.仙台駅前から青葉通

画像/昭和30年代の仙台駅前

資料提供:仙台市戦災復興記念館

昭和30年代

画像/約60年後

画像/平成16年の仙台駅前

平成16年(2004年)

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お問い合わせ

建設局百年の杜推進課

仙台市青葉区二日町12-34二日町第五仮庁舎4階

電話番号:022-214-8389

ファクス:022-216-0637