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泉区

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更新日:2016年9月20日

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いずみ史跡今昔物語―第12回 大沢めぐり 陸羽街道を歩く

大沢は東北自動車道泉インター付近を中心とした地区です。

明治5年4月には、大沢は、大区が第2大区の宮城郡国分、小区が第27大区の大沢として七北田村や松森村と同じ囲いにありましたが、明治7年に七北田村の一部に編入されてしまいました。以前から交通の要所である陸羽街道(旧国道)や仙台軌道(軽便っこ)が通る重要な道筋になっていました。

桜の季節などに八坂神社を巡りながら永仁の碑などを訪ねてみると、心洗われるものがあります。

大沢地区付近の道案内

地図の史跡名をクリックすると、その項目に移動します。

大沢地区付近の地図

今回紹介する史跡一覧

大沢八坂神社

住古同地の百姓で源三郎という人が京都で参宮したときに御霊影を受けて、以降同人の氏神様として祭ったのが始まりです。
元文3年(西暦1738年)には、七北田村の端郷であった大沢村の惣鎮守として祭られました。
明治初年、京都の祇園社が八坂神社と改称すると、本社も八坂神社と改められ、大正5年には木戸囲いにあった春日神社も合祀されました。
八坂神社は陸羽街道の傍らにあったため、境内には多くの馬頭観世音碑や名号碑、山神碑などが多数祭られています。

昔の写真

今の写真

大沢八坂神社

大沢八坂神社

板碑

金玉神社

黒川郡との境近くの山道を進んだ尾根沿いに、鞘堂に納まった五輪の塔があります。
土地の人はこれを金玉(きんぎょく)神社または座頭神様と呼んでいます。
陸羽街道沿いなので、旅人の墓と考えられますが、「金玉」という名の南部の盲人の墓だとの伝説があります。
区画整理に伴い、現在、この金玉神社付近は富谷町との境にある高齢者施設の北東側に移設されています。

昔の写真

今の写真

金玉神社(昭和50年)

金玉神社

大沢阿弥陀堂

七北田に帰命山浄満寺が開山した慶長以前は、ここで寺活動が行われていたと伝えられています。
堂の前には永仁の碑があります。

昔の写真

今の写真

大沢阿弥陀堂(昭和50年)

大沢阿弥陀堂

永仁の碑

大沢阿弥陀堂の前にある、永仁2年(西暦1294年)に建てられた板碑です。
バン(金剛界大日)が刻まれており、根白石にある弘安の碑とほぼ同時期に建てられた、泉区内で最も古い板碑の一つです。

昔の写真

今の写真

永仁の碑(昭和50年)

永仁の碑

陸羽街道

陸羽街道は明治6年(西暦1873年)に奥州街道から改称され、大正8年(西暦1919年)には、国道4号線に改称されました。
左の写真は、昭和の始めごろ、災害復旧のための工事をしている写真です。
その脇を仙台軌道(軽便っこ)が走っている状況が見て取れます。
八坂神社の手前付近のようですが、今とは状況が随分違っています。

昔の写真

今の写真

国道の復旧作業(昭和10年ごろ)

八坂神社前の旧国道付近

写真:昔の写真は、元泉市誌編纂委員会副委員長庄司健治氏のコレクション。最近の写真は「いずみまちづくり研究会」からお借りしています
出典:根白石村史、泉市誌、グラフ泉、いずみのふるさと(総集編)、続みーつけた、泉市の文化財、七北田川まるごとガイドブック

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