更新日:2017年1月31日

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仙台城のみどころ-造酒屋敷跡の発掘調査

イラスト<造酒屋敷跡マップ>

位置と成り立ち

写真<造酒屋敷跡の位置>

慶長13年(1608)初代藩主伊達政宗は、柳生宗矩(やぎゅうむねのり)の紹介で、当時酒造りの本場であった大和国(現在の奈良県)より、又右衛門という酒造り職人を仙台に招きました。
又右衛門は、仙台城内の一角に屋敷地を与えられ、「御酒屋(おさかや)」として藩主用や城内などで消費する酒の製造を担いました。
さらに、出身地にちなみ「榧森(かやのもり)」という苗字を名乗ることを許され、以後、明治9年(1876)に廃業するまで酒造業に携わりました。
この榧森家の屋敷と酒造りに関わる施設があった場所を仙台城造酒屋敷跡と呼んでいます。江戸時代の様子を表した絵図によると、造酒屋敷は、巽門と清水門の間に位置しておりましたが、平成21年に行われた発掘調査の結果により、その場所が考古学的に明らかになりました。

井戸跡と荷札木簡

平成21年の発掘調査の際に、井戸跡から、墨書きが確認できる木簡が35点出土し、そのうち文字が読み取れるものが25点ありました。
これらの木簡は大きく2つの種類に分けられます。
1つは、表に品名―「御酒塩(おんさかしお)」―(※調味のために入れる酒)とその容量―「五升」―が書かれており、裏には作り手である榧森家の当主の名前―「榧森与左衛門」―が書かれているものがあります。これらは、榧森家が酒を出荷する際に容器に付けられたラベルのような役割を果たした木簡であると考えられます。
もう1つは、表に年貢米の数量―「御年貢米四斗五升入(おねんぐまいよんとごしょういり)」―が書かれており、裏には村名(米の産地)―「国分靏ヵ谷(つるがや)村」―と人名(差出人)―「七(兵衛ヵ)」―が見られるものがあります。これらは、仙台藩に納められた年貢米につけられた荷札木簡(にふだもっかん)であると考えられます。これらの木簡は、仙台近郊の村から藩に納められた年貢米が酒造りに使われていたことを示す貴重な資料です。
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<左:木簡などが多数出土した井戸跡><右:出土した木簡>
画像<年貢米の荷札木簡に見られる地名>

酒造りの工程と調査結果

1.精米(せいまい)・洗米(せんまい):石臼によりコメを精米し、井戸水によって米を洗う

画像<『山海名産図会』より伊丹酒造の洗米工程>
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<左:井戸跡><右:洗米の際利用された可能性のある水利遺構>

酒造りの際に利用されたと考えられる井戸跡が多数発見されました。その他にも、洗米に際に水洗い場として利用された可能性のある水利遺構も見つかりました。

2.蒸し・麹づくり:釜場にて、釜や甑(こしき※米を蒸すための土器)で米を蒸し、蒸した米に、麹菌を混ぜ、培養させる

画像<『山海名産図会』より伊丹酒造の蒸米・麹仕込み工程>
写真<カマド跡全景(東から)>

三つ発見された建物跡の一つからは、酒造りの原料である米を蒸すために使われたと考えられるカマド跡が見つかりました。
写真に見られるカマド跡周辺の黒い部分は、カマドから出た炭と土が混ざったものです。

3.酛(もと)仕込み・醪(もろみ):蒸した米に麹と水を混ぜ、酵母が繁殖した酛をつくる。これに蒸した米、麹、水を入れ醪をつくる

4.搾り:布袋に入れた醪を、槽場(ふなば)の酒槽(さかふね)の中に入れ、上から押して搾りだす

画像<『山海名産図会』より伊丹酒造の圧搾工程>
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<左:酒槽><右:調査により出土した備前大甕の一部>

備前焼の大甕は、上に示した工程のうち、4.搾りの作業で酒槽から搾り出された酒を受ける垂壷(たれつぼ)の一部と考えられています。大甕の口縁(こうえん)部分の曲り具合から、口の直径は、80cm以上あると推定されます。

5.滓引き(おりびき):搾り出した酒を桶に移して寝かせ、滓(おり)を沈殿させる。これを50~60度で殺菌し、貯蔵する

写真 写真<左:樽の蓋><右:樽のとって>

様々な工程を経て、つくられた酒は、樽に入れて貯蔵させるのが一般的であったと考えられます。上の写真は、造酒屋敷跡から出土した樽の一部です。これらの酒樽に、品名(酒名)と製作者名が書かれた木簡が付けられ、出荷されたのだと考えられます。

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