更新日:2017年1月31日

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仙台城の紹介-仙台城について-

仙台城の成り立ち

いつつくられたのか

仙台城は、初代仙台藩主伊達政宗によって造営されました。関ヶ原の戦い直後の慶長5年(1600年)12月に城の縄張り(なわばり)が行われ、翌年1月から普請に着手されました。工事は慶長7年(1602年)には一応の完成をみたとされています。

仙台城本丸は、東側が広瀬川に臨む断崖であり、西側を「御裏林(おうらばやし)」と呼ばれる山林、南側を竜ノ口渓谷(たつのくちけいこく)が囲むという自然の地形を巧みに利用した「山城」でした。
政宗の死後、二代藩主忠宗(ただむね)は山麓部に二の丸を造営しました。二の丸が完成した寛永16年(1639年)以降は、幕末まで二の丸が藩政の中心となりました。

明治の廃藩置県以後、仙台城は明治政府の管轄となり、明治4年(1871年)には、二の丸に軍の施設が置かれましたが、明治15年(1882年)の火災によりその建物のほとんどが焼失しました。本丸にあった建物も、明治初年には取り壊されたといわれています。現在、二の丸は東北大学川内キャンパスに、三の丸は仙台市博物館にその姿を変えています。

なぜこの場所につくられたのか

関ヶ原の戦い後も、徳川氏に敵対していた上杉氏との合戦に備え、砦(山城)が必要となりました。これにより、「守るに易く、攻めるに難い」山城を築くのにふさわしい丘陵地と、交通や城下町の発展をできる平野部をあわせ持った仙台(青葉山)の地が、城を築くのにふさわしい場所として選ばれたのだと考えられます。

写真<仙台城跡 東から撮影(平成26年)>

仙台城の位置と範囲

仙台城は、仙台市の市街地西方に位置し、青葉山丘陵およびその麓の広瀬川の河岸段丘部分を中心に城域が形成されています。

平成9年から始まった本丸の石垣改修工事や大広間跡の発掘調査成果などを通して、その歴史的価値が高まり、平成15年8月に国史跡に指定されました。

写真<仙台城跡と城下 西から撮影(平成26年)>

写真<仙台城跡と国史跡指定範囲(赤色部分)>

城下町の成り立ち

仙台城の築城とともに城下町の建設も開始されました。城下町は、広瀬川をはさんで、城の東に広がっており、南北に通じる奥州街道と東西に延びる大町通を基軸とし、城の近くに重臣屋敷、街道沿いに町人町、その周辺には侍屋敷が配置されていました。

画像
<「奥州仙台城絵図」正保2年(1645) 仙台市博物館所蔵>城下を描いた最も古い絵図です。

画像<右:仙台城下の概略図(仙台市史より)>

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