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更新日:2016年9月20日

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いずみ史跡今昔物語―第11回 市名坂めぐり 仙台軌道跡を歩く

市名坂地区は、東は松森に接し、西は発展を続ける七北田・泉中央地区に接した地区です。

以前は仙台軌道(軽便っこ)が南北に縦断して、大勢の乗客が北仙台から中新田までを行き来していました(仙台軌道は「軽便っこ」、「軌道っこ」などの愛称で親しまれ、昭和2年に社名を仙台鉄道と変更しました)。軽便っこは山の寺洞雲寺への修学旅行生など大勢の方に利用されていましたが、昭和23年のアイオン台風で七北田川の橋脚が流されたことなどから、復旧不能となり、残念ながら廃止されました。

市名坂地区付近の道案内

地図の史跡名をクリックすると、その項目に移動します。

市名坂地区付近の地図

今回紹介する史跡一覧

二柱神社

七北田橋を渡った100メートルほどのところを左に曲がると、国分氏の氏神様だった二柱神社の鳥居が見えてきます。
昔は仁和多利大権現として市名坂村と七北田村の鎮守でした。
明治維新の頃に、祭神を「イザナギ」「イザナミ」命(みこと)として、二柱神社と改名しました。
旧社殿は昭和6年に焼失、昭和15年に再建されたものが近年新築されました。
なお、境内には、この付近の区画整理に伴い、横山から移された雷神のほか、中国の宋時代から厩の守護神として祭られている馬櫪神があります。

昔の写真

今の写真

二柱神社(昭和50年)

二柱神社

馬櫪神

石留神社

その昔、志波彦神が白馬に乗り七北田川を渡ったところ、馬が川底の石につまずき落馬したため、冠を川に流してしまいました。
怒った神は家来の神々に命じて、付近の石を両岸に拾い上げさせて、これより下流には石があってはならないと、見張りの神をおきました。
この神が石留明神だという説が伝わっています。
これが石留明神伝説で、石留(石止)神社といわれる由来になっています。

昔の写真

今の写真

石留神社(昭和50年)

石留神社の夏祭り

無量山善正寺

七北田川のたもと、市名坂字善正寺にある無量山・善正寺は、浄土真宗の寺で、慶長10年(西暦1605年)に開山されたとされます。
しかし、七北田新道が開かれたのが元和元年(西暦1615年)、新駅に市が許されたのが元和9年(西暦1623年)であることから、実際には寛永年間(西暦1623年~1644年)に善正寺と名付けられたものと思われます。

昔の写真

今の写真

善正寺(昭和50年ごろ)

善正寺

実相寺

七北田中学校の近く、市名坂字実相寺にある曹洞宗の寺で、木造釈迦牟尼仏が安置されています。
また、境内には、寺坂吉右衛門の墓やこの寺の元となった文珠堂があります。

昔の写真

今の写真

実相寺(昭和60年)

実相寺

文珠堂

実相寺境内、寺坂吉右衛門の墓の隣に妙音山という文珠菩薩(伝慈覚大師作)があります。
山の寺洞雲寺を開山した明峯素哲が人民に害をなす毒蛇の調伏の折や、応永7年(西暦1400年)に梅国祥三が山の寺洞雲寺を復興したときに、この文珠堂の傍らに草庵を建て、差し当たっての住居にしたともいわれている、古い仏堂です。

昔の写真

今の写真

文珠堂(昭和50年ごろ)

文珠堂

寺坂吉右衛門の墓

寺坂吉右衛門は、「忠臣蔵」の中に出てくる赤穂浪士47士の一員で、ただ一人生き残ったとされている人物です。
寺坂のお墓は、東京・南麻布、五島、出水、八女、益田、伊豆、そして仙台の7カ所にあるとされます。
延享4年(西暦1747年)10月6日にその生涯を閉じたと伝えられていますが、どれが本当の墓かは分かっていません。

昔の写真

今の写真

寺坂吉右衛門碑銘(昭和60年ごろ)

寺坂吉右衛門の墓

七北田停留所

七北田停留所は仙台軌道(軽便っこ)の停留所の一つです。
現在の森林組合の向かい側にこの停留所がありました。
木像の停留所で、当時は大分にぎわっていたそうです。

昔の写真

今の写真

七北田停留所(昭和30年)

七北田停留所跡

旧泉市役所

昭和52年11月までの泉市役所の庁舎です。
泉町役場から昭和46年に市政が施行されて、泉市役所となり、その後の団地開発に伴い全国有数の人口急増都市へと発展したことから、昭和50年ごろには庁舎が手狭となり、泉中央地区へ移転しました。
その後図書館、文化財収蔵庫を経た後に解体されて、現在は泉区中央市民センターが建てられています。

昔の写真

今の写真

旧泉市役所庁舎(昭和50年)

泉区中央市民センター

七北田橋

左の写真は七北田橋が竣工した70年前、昭和7年の写真です。
正面の山が現在の黒松団地がある八乙女山一体です。
この橋の左側の川下100メートルぐらいのところに仙台軌道(軽便っこ)の鉄橋がありました。
アイオン台風で流されてしまいましたが、残材を使って根白石にある年川橋を造ったそうです。
なお、平成20年3月に新しい橋が架け替えられました。

昔の写真

今の写真

七北田橋(昭和7年)

架け替えられた七北田橋

七北田橋完成を祝う会

写真:昔の写真は、元泉市誌編纂委員会副委員長庄司健治氏のコレクション。最近の写真は「いずみまちづくり研究会」からお借りしています
出典:根白石村史、泉市誌、グラフ泉、いずみのふるさと(総集編)、続みーつけた、泉市の文化財、七北田川まるごとガイドブック

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