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更新日:2025年9月19日
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昭和53年(1978年)6月12日、17時14分、マグニチュード7.4(震度5)の地震が仙台市を襲いました。気象庁により「1978年宮城県沖地震」と命名されたこの地震では、現在の仙台市域(旧泉市・旧宮城町・旧秋保町の区域を含む。)で、死者16人、重軽傷者10,119人、住家の全半壊が4,385戸、一部損壊が86,010戸という多大な被害が生じました。この地震は、当時の人口50万人以上の都市が初めて経験した都市型地震の典型といわれました。
1978年宮城県沖地震の特徴の1つとして、ブロック塀倒壊の多発が挙げられます。このブロック塀の倒壊によって死者16人のうち、11人が犠牲となりました。
1978年宮城県沖地震による負傷者は、市内で10,000人以上に及びましたが、その中でも屋外への急な飛び出しによる負傷者、ガラス片や落下物による負傷者が目立ちました。
1978年宮城県沖地震による火災発生は8件であり、事前の予測をはるかに下回りました。その要因として次のことが考えられます。
火災の原因は様々でしたが、その中でも、実験用薬品の発火危険があらためてクローズアップされました。
1978年宮城県沖地震の主だった被害として、卸町団地での286社の社屋のうち、全壊3社、半壊262社の被害が生じたほか、市の南東部等でも大きな被害が発生するなど、被害の発生が地盤条件等により大きく影響される傾向が見られました。
1978年宮城県沖地震では、電気・ガス・水道などのライフラインが大きな被害を受け、市民生活に大きな影響を与えました。特にガスは、復旧に約1か月の時間を要しました。(下表参照)
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被害 |
復旧作業 |
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電気 |
火力発電所の機能の一部停止 変電・送電設備の被災により全面供給停止 |
1日目(85%復旧) |
ガス |
ガスホルダー及び導管の被災により全面供給停止 |
4日目(0.3%復旧) |
水道 |
配水・給水管の被災により約7,000戸で断水 |
2日目(17%復旧) |
電話 |
電話通信施設の被害は比較的軽微であり、被害を生じた加入者数は1,429戸にとどまる |
1日目(ほぼ全面復旧) |
※その他:安否確認などの電話で市内通話が12日・13日の両日にわたって輻輳し、市外通話がかかりにくい状態が続いた。
停電によって交通信号機が全て滅灯し、それが夕方のラッシュと重なったため、激しい交通渋滞が発生しました。仙台駅前で午後11時頃、国道45号線では午後11時半頃まで渋滞が続きましたが、幸い特に事故や混乱はなく、二次災害の発生はありませんでした。
地震後、建築基準を満たさないブロック塀や宅地造成など、規制法以前の造成宅地の危険性が大きな社会問題となり、緑ヶ丘地区では集団移転も実施されました。
(注)上記被害状況のうち、※印の付いている数値は旧仙台市域での件数です。
(注)上記の被害状況には、地震発生後、仙台市災害対策本部が市民に対して行った被害実態調査に基づく推計値が含まれており、国及び県の発表している被害状況とは一致しない場合があります。
『宮城県沖地震 災害の記録』より/仙台市
宮城県沖地震の再来に対して、各家庭での地震への備えはとても重要です。例えば、家具への転倒防止器具の取り付けや非常持ち出し品の準備(1つの袋にまとめる)、避難場所の確認、避難場所までの経路の確認、近所の危険箇所の把握など、様々な備えが考えられます。
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