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更新日:2025年7月11日
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仙台市太白区郡山にあり、JR長町駅の東側から国道4号線バイパスの間、広瀬川の下流域・名取川の合流点の近くに位置する、約45,000㎡にわたる国の史跡です。
昭和54(1979)年に初めての発掘調査がなされ、昭和55(1980)年から継続的な発掘調査を行った結果、7世紀半ば頃までさかのぼる日本最古級の地方官衙(役所)跡として極めて重要な遺跡であることが判明し、平成18(2006)年に国の史跡に指定されました。
官衙はⅠ期官衙からⅡ期官衙へ建て替えられたことが明らかになっています。
仙台市の南部、太白区郡山にあり、JR長町駅の東側から国道4号線バイパスの間、約60haに広がっている郡山遺跡及び周辺遺跡のうち、中枢部など最も重要とされる区域約45,000㎡が史跡指定されています。仙台市街の中心を流れる広瀬川の下流域にあたり、本流である名取川の合流点の近くに位置しています。この合流点から6kmほど下ると、太平洋へ注ぐ河口となります。この場所は古代の太平洋の海上交通や河川交通、陸上交通上、利便性が高い位置と考えられます。
郡山遺跡の西側には西台畑遺跡や長町駅東遺跡が隣接していて、そこでは官衙を支えた人びとの大きな集落も存在しました。
空から見た郡山遺跡
遺跡発見のきっかけは、大正3(1914)年にレンガ工場による粘土採掘の際に漆入りの土器が掘り出されたことでした。昭和24~25年頃には畑から古代の瓦が大量に出土しているのが発見され、また「郡山」という地名から、この場所に古代の役所や寺院が存在していたのではと考えられるようになりました。
郡山地区の畑から瓦が出てきた様子(昭和20年代)
昭和54(1979)年に初めての発掘調査が行われました。そこで発見されたものは大きな建物の跡とたくさんの土器や瓦でした。その後、継続的な発掘調査により、当時の様子が少しずつ明らかになりつつあります。
初めて行われた発掘調査(昭和54年)
こうした発掘調査によって、この場所に今から1350年ほど前に官衙や寺院があったことが判明しました。
また、官衙には2つの時期があり、Ⅰ期官衙からⅡ期官衙へ建て替えられたことや、Ⅱ期官衙は多賀城以前の陸奥国府であることも明らかになりました。
それまで文献史料に記録がなく、遺跡の存在に誰も思い及ばなかったため、この発見は大きな驚きをもって受け止められ、平成18(2006)年に国の史跡に指定されました。
なぜこの官衙の記録が文献史料に残されなかったのでしょうか?はっきりした理由は分かっておらず、現在も調査研究が続けられています。
郡山官衙の復元イメージ(Ⅱ期官衙)
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