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更新日:2025年7月11日
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郡山遺跡の西隣の、現在は高層建物や商業施設が建ち並ぶエリアには、長町駅東遺跡・西台畑遺跡と呼ばれる遺跡があり、そこでは郡山Ⅰ期官衙・Ⅱ期官衙と同じ時代の竪穴住居跡が800軒以上見つかっています。この時期の集落としては北日本で最大級の集落です。郡山遺跡の役所に関わるために他の地域から「移民」された人びとや、東北の地元から集められた人々が一緒に暮らしていた集落だったと考えられます。
長町駅東遺跡の集落復元図
これまでの発掘調査で、竪穴住居跡が800軒以上見つかっています。最大で9軒の竪穴住居跡が重なっている所もあり、改築でなく新築されていることから、住居で暮らした人が次々と入れ替わったとも考えられます。
空から見た集落跡
大溝を「土橋状」に掘り残し、材木列も途切れた、集落の出入口と考えられる場所が見つかりました。しかも、この場所の東側延長上には道路跡と考えられる竪穴住居跡や他の遺構の無い空閑地があり、その先は郡山の役所に向かっています。長町駅東遺跡の集落は、役所と同じように本格的な区画施設をもっており、このような集落は「囲郭集落」や「官衙造営環濠集落」とよばれています。
集落の入口
竪穴住居からは、東北地方の土器とは異なる特徴をもった土器が出土しています。これらの土器は関東系土器と呼ばれ、口縁部が内側に折れているか直立気味になっていて、黒漆が塗られたものもある「鬼高系土師器」と、形が丸く、土器を薄く仕上げ、内外面の色が赤褐色の「半球形土器(北武蔵型土師器)」に分けられます。7世紀前半から中頃にかけて、仙台平野の有力者と結びついた鬼高系土師器を使用する人々の移住があり、7世紀中頃以降は大和政権の政策による移民として、半球形土器を使用する人々が仙台平野に入ってきて、長町駅東遺跡の集落で地元の人々と暮らしていたようです。
長町駅東遺跡で出土した土器
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