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更新日:2024年5月14日
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階子(はしご)乗りは、竹製の階子の上で、火事場を探す所作などを盛り込んだ様々な技を披露するものです。元々は江戸時代、町火消が身に着けた技から発祥し、江戸から地方に伝承されていったと言われています。仙台の消防も江戸時代には、仙台城を中心として仙台23町に町火消があったと言われております。
仙台市における階子乗りの記録は、明治17年の新聞記事に消防組の「出初」において「階子乗りの式」が県庁前等で演じられたことが始まりで、戦争中や後継者不足等により中断もありましたが、自治体消防発足40周年、仙台市制100周年を契機に、昭和64年の消防出初式で復活して以降、毎年の消防出初式で多くの観衆を前に階子乗りの演技を披露し、一年の安全と防火を呼びかけるなど、仙台消防の伝統と心意気を伝える風物詩として仙台市民に親しまれ、現在は仙台・青葉まつりや各区の区民まつりなどでも伝統の技を披露しています。
平成29年11月には、仙台市の指定無形民俗文化財にも指定されました。
仙台市の階子乗り隊は消防団に組織付けしており、市内の7消防団全てに階子乗り隊が設置されています。各階子乗り隊は組頭、小頭、隊員をもって組織され、隊員は乗り手、支え手、纏持ち、提灯持ちで編成しています。
仙台消防階子乗りPR動画(仙台消防階子乗り保存会30周年記念製作)
火消しに纏ができたのは享保5年(1821年)4月江戸町火消しのいろは組ができた時であり、戦国時代の戦場で武将の目印だった纏を火消しに導入したのがきっかけと言われています。
現在の纏の形に変わったのは、天保2年(1831年)のころで、団体行動に慣れるためと統制しやすくするためでした。
纏の馬簾については「馬簾を焼いては”馬簾持ちの恥”」とされ、屋根にどんと構え、火の粉を浴びながら懸命に纏を廻す纏持ちを目がけて、筒持ちが水をかける。この纏が火事場の先頭争いの目印となったので、纏持ちはいち早く消し口として屋根に纏を立てる争奪戦となりました。
今日では、もはや火事と言っても纏を連想する人はいなくなりましたが、今でも消防にとって纏は”火消の魂”であり”心意気”を表しているのです。
青葉隊
伊達政宗、鍬型、駒に青葉の字を表しています。
宮城野隊
ミヤギノハギの3枚の葉は融和、協力、郷土愛を表しています。
若林隊
地域内にかつて若林城があったことから、城郭に若林の文字を表しています。
太白隊
太白山がかつて仙台港に入る船の目標となっていたことから、「木船」に太白の文字を表しています。
泉隊
波紋に山、山に泉の文字を表しています。
宮城隊
笹竜胆に宮城の文字を表しています。
秋保隊
二口の「二」の文字と「隅立て口」に秋保の文字を表しています。
仙台消防階子乗り保存会は、仙台消防の固有の文化である階子乗りの伝統と技を錬磨し、そして後世に継承していくために平成2年に設立され、仙台市消防団階子乗り隊の活動を支援しています。
仙台消防階子乗り保存会30周年記念式典が令和4年11月19日青葉山の仙台城跡において行われました。
この記念式典の模様が文化庁における地域の伝統行事等のための伝承事業動画に公開されました。
「いくぞ!まつりへ!!(YouTube)」(外部サイトへリンク)
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