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更新日:2022年3月24日

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キッズコーナー(農民の暮らしとききん)

5.農村の暮らしとききん

城下町仙台に住む武士・町人の生活を支えたのは農民です。1695(元禄8)年の統計によると、仙台藩の人口構成は家族を含む家臣20万人・町人(職人・商人)2万人に対して、農民は54万人でした。じつに農民は全人口の7割を占めていたのです。この農民の生産する米をもとにして、城下町仙台のくらしも藩の財政も成り立っていたのです。農民は「士農工商」という身分制度の中では、武士に次ぐ身分のようにあつかわれました。しかし実際には様々な制約のもとで、最も苦しい生活を耐え忍ばなければなりませんでした。
第4代藩主伊達綱村(だてつなむら)の元禄年間、仙台城下は最盛期を迎えました。しかしこのときを境に藩の財政は下降線をたどり、幕末まで慢性的(まんせいてき)な赤字となりました。特に江戸時代中期から後期にかけては、宝暦(ほうれき)・天明(てんめい)・天保(てんぽう)の三大ききん(仙台藩の場合は冷害・洪水(こうずい)・天候不順・日照り・流行病が主な原因)によって、藩の財政は決定的な打撃を受けました。
このような災害と疫病(えきびょう)の流行によって人々はつかれはて、農村は荒れはてました。城下は浮浪者(ふろうしゃ)・こじき・盗人が満ちあふれ、空き家が増え、うえ死にする人が続出しました。また米屋・質屋・酒屋をおそう「打ちこわし」もおこりました。こうして城下はしだいに縮小していきました。

米つくり絵馬(複製)
米作り絵馬(複製)

天明飢死図集
天明飢死図集

備荒用図書
備荒用図書

間引きをいましめた図(複製)
間引きをいましめた図
(複製)

仙台城下絵図(片倉家資料)
仙台城下絵図
(片倉家資料)