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更新日:2025年3月22日
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1.伊達政宗と戦国の世
仙台藩祖伊達政宗は1567(永禄10)年米沢城(山形県米沢市)で生まれました。父は伊達家当主伊達輝宗(てるむね)、母は山形城主最上義光(よしあき)の妹、義姫(よしひめ)です。幼名を梵天丸(ぼんてんまる)といいました。幼いころ天然痘(てんねんとう)という病気にかかり、右目を失明してしまいました。
政宗が生まれたころは、長かった戦国時代もようやく織田信長・豊臣秀吉によって統一されようとしていました。しかし、東北地方は各地に戦国大名が力を持ち、まだ「戦国」の状態にありました。この東北をまず統一することが政宗の目標でした。
伊達政宗の初陣(ういじん)は1581(天正9)年、15才の時でした。以後、政宗は周囲の諸大名との合戦に明け暮れ、領地を拡大していきます。そしてついに1589(天正17)年に葦名(あしな)氏を破り、南東北の大部分が政宗のものとなります。東北最強となった政宗のもとに、豊臣秀吉から小田原北条氏攻めに参陣するように命令が届きました。参陣することは秀吉の家来になることを意味します。いろいろ考えた末に、政宗は小田原に行くことを決意しました。1590(天正18)年、秀吉は北条氏を滅ぼし、さらに東北へと兵を進め、ついに全国統一を成しとげました。秀吉の支配下となった政宗は1591(天正19)年、領地を替えられ、城も米沢から玉造(たまつくり)郡岩出山に移されました。
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