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更新日:2022年3月24日
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養賢堂は、1736年におかれた仙台藩の藩校(はんこう)です。はじめは「学問所」という名前でしたが、1760年、現在の宮城県庁の場所に移されて「養賢堂」と改められ、施設や学習内容の整備が進められました。ここでは、武士の子が儒学(じゅがく)や書、兵学、武術のほか、蘭学なども学ぶことができました。優秀な生徒は、藩のお金で江戸や長崎で勉強することもできました。養賢堂の建物は、明治時代になって県庁舎として使用されましたが、正門は泰心院(たいしんいん)(若林区南鍛冶町(みなみかじまち))というお寺に移され、現在も残っています。
医学館は、養賢堂からわかれ、医学を専門に教えるようになったもので、東二番丁(以前中央警察署があった場所)にありました。
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