更新日:2016年12月28日

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市政だより2017年1月号・特集1

新春座談会伊達政宗公生誕450年―時を超え受け継がれる政宗公の精神

写真:伊達政宗公生誕450年

仙台藩祖・伊達政宗公が誕生してから今年で450年になります。政宗公や仙台のまちに関わる研究・活動をされている方々をゲストにお招きし、政宗公の人物像や功績、仙台のまちに残る伊達文化などについて、奥山市長と語り合っていただきました。

人情味にあふれ、愛され続けてきた政宗公

市長皆さま、あけましておめでとうございます。今年は伊達政宗公生誕450年の節目の年です。伊達政宗公といえば「勇猛な戦国武将」という印象がありますが、あまり知られていない一面もあると思います。まず最初に、政宗公はどんな人物だったのかについて考えてみたいと思います。亘理伊達家の初代当主・伊達成実(しげざね)公との関係を含めて、伊達さんは政宗公をどのような人物と感じていますか。

写真:佐藤康子さん

佐藤康子さん

伊達政宗公姫「五郎八(いろは)」倶楽部(くらぶ)事務局長/姫まち文化研究所「姫研」代表。まち歩きガイドとして活動し、日本文化体験会なども実施

伊達亘理伊達家には政宗公の書状が80点ほど残っており、戦国時代の作戦指令書もたくさんあります。成実公宛ての書状の中には、作戦の内容を細かく指示するだけでなく「周囲からいろいろなことを言われると思うが、心を惑わされないように」など、成実公の精神的な面を気遣っているものもあります。人の心の動きを読み取って、細かい気配りもできる人だったのではないかと思います。

市長政宗公は、戦国大名の中では一番といってもいいくらい、膨大な数の書状が残っていますよね。

伊達今の時代でいうとメールやツイッターばかりやってるような感じでしょうか(笑)。400年以上たってもそれらの書状が大切に残されていることからみても、政宗公はあらゆる時代でヒーローだったのだと感じます。亘理伊達家は明治時代に北海道に移住したのですが、仙台藩士だという誇りを精神的なよりどころにしていました。その根幹は、仙台藩をつくった政宗公にありますので、亘理伊達家にとっても、政宗公の存在はとても大きいです。

写真:伊達元成さん

伊達元成さん

亘理伊達家第20代当主/伊達市噴火湾文化研究所学芸員。主に北海道開拓以降の埋蔵文化財、武家文化財について研究

市長戦いに強いだけでなく、味方にいかに力を発揮させるかを考える知略にたけた人でもあり、そして「情」という部分もしっかり押さえた、総合的に優れた武将だったといえますね。籠橋さんは政宗公の書状をたくさん読まれていると思いますので、その人柄について、いろいろな感想をお持ちなのではないでしょうか。

籠橋戦国武将としては珍しく非常に筆まめで、しかも自分で書くということに重きを置いていた人物だと感じます。茶目っ気があるところもあり、「酔っぱらったからちゃんとした手紙が書けない」などの書状も残っています(笑)。

 

伊達「昨夜は飲み過ぎて粗相してしまい、ゴメン」というものもありますよね(笑)。

市長そうなんですか!そういうことを聞くと人間味を感じますね。

籠橋若い頃に家臣に出した書状に「百姓に優しくしなさい」という文章があるのですが、その前後には「鉄砲の弾や矢を貯めておくこと」などの記載があり、すぐに起こるであろう戦闘のことを常に考えている様子がうかがえます。ところが江戸時代になると、藩内をしっかりと統治していくことが大切になりますので、家臣に対して「領内の百姓に優しくしないと、権限や地位を取り上げるぞ」と言い始めるのです。同じような表現なのですが、戦国時代の戦いを前提としたものとはずいぶん変わってきていて、平和で安定した国づくりを目指す意識がみられます。

市長時代の変化に伴い、考え方や立ち位置を変えていったのですね。世の中を公平に見て、新しいことに自分を合わせていくことができる人物だったのでしょう。

伊達時代に合わせて柔軟に変わっていけたのは、教養があったからだと思います。仙台藩は教育にも力を入れていました。まちをつくるため、人づくりを重視していたのだと思います。

市長佐藤さんは政宗公の長女・五郎八姫について研究されていますね。政宗公が「親」としてどのように娘たちに接していたのか、興味があります。

佐藤政宗公は家族思いで子煩悩な父だったと思います。政宗公は五郎八姫に政略結婚を強いたのですが、結婚を控えた姫を仙台城に招き、数カ月にわたり歓待しましたし、姫の住まいとなる高田城も造営しました。後に離縁した姫を仙台へ呼び寄せ、安心して暮らせるよう心を尽くしたことも、父としての愛情の証しだと思います。家族や家臣への愛情の深さが言い伝えられ、時代を超えて今も慕われているのではないでしょうか。

写真:政宗公が五郎八姫に宛てた手紙

政宗公が五郎八姫に宛てた手紙(仙台市博物館蔵)

江戸にいる五郎八姫に対し「近くにいるが、思うに任せないことがあり会えなくて残念だ」とつづっている

遠藤政宗公の言葉に「馳走とは旬の品をさり気なく出し、主人自ら調理して、もてなす事である」というものがあるのですが、そういった人間性も家臣に慕われた理由の一つかもしれません。政宗公はアニメやゲームの影響で「格好良い武人」というイメージがありますが、戦国武将やまちづくりの先人としてだけではなく、一人の大人としても魅力的な人物だと感じます。

仙台藩のまちづくりに見る知恵と技術

市長遠藤さんと佐藤さんは普段からまち歩きをされていると思いますが、仙台のまちの面白いところ、政宗公がまちづくりで肝にしていたと感じられる部分はどのような点でしょうか。

写真:籠橋俊光さん

籠橋俊光さん

東北大学大学院文学研究科歴史科学専攻・日本史専攻分野准教授。仙台藩の重臣の文書のほか、村落史・地域社会史について研究

遠藤地形をうまく利用してまちや城をつくっている点です。仙台城には天守閣はありませんでしたが、崖の上に築かれた城を仰ぎ見ただけで、敵は「この城は攻略できない」とひるんだのではないでしょうか。仙台は、広瀬川の中流域に城下町がつくられました。川の中流域は平らな土地が少なく、また、生活に必要な水を隅々まで行き渡らせることが難しいので、まちづくりしにくい場所です。それでも、広瀬川が作る河岸段丘の緩やかな坂を利用できることに気づいて、四ツ谷用水を這(は)わせるなど、根本からグランドデザインを描いてまちづくりを行ったと考えると、本当にすごいことです。

写真:奥山市長

市長自然勾配で水が流れていくんですよね。現代の仙台市の下水道もそうなんです。南蒲生の下水処理場まで自然流下で流れていくので、東日本大震災の時にも仙台の下水はあふれませんでした。その基となっているのは四ツ谷用水なので、素晴らしいインフラを残してくれたと思います。

遠藤政宗公が当時どこまで先を想定していたかは分かりませんが、自分たちが今、その恩恵を受けて暮らせているというのは、すごくありがたいことです。

佐藤世界中でいろいろな都市が滅びていく理由の一つに、水を管理できなかったことが挙げられると聞きます。政宗公はそれを克服し、さらに断崖の上に難攻不落と思わせるような城を築いているので、先見の明がある武将だったといえますね。

市長農業の面でみても、石高を上げるためには、まずは農民の士気を高めることが必要ですが、一方で、インフラとしての土木工事もすごく重要だったのではないかと想像します。

籠橋新田開発というのは通常、百姓を中心に行われるのですが、仙台藩の場合は家臣も含めて藩を挙げて行われました。岩手の県南から福島の一部まで、広大な地域を農地に変えるのは実に巨大な事業で、藩の創設とともに始まり、多くの知恵や努力と長い時間をかけて完成していきました。

伊達水の話が出ましたが、仙台藩は水をコントロールするのがとても上手だったと思います。その技術は仙台だけではなく、江戸にある「仙台堀」など、日本の各地で生かされています。亘理伊達家が北海道に移住したとき、その土地には水がほとんどありませんでした。ところが、ほんの数カ月で用水路を作ってしまったんです。藩全体としてその技術が伝承されてきたので、明治になってもそれを生かして新しいまちをつくることができたのだと思います。

市長上下水道が完備されている現代では、水が出ることを当たり前のように思ってしまいますが、明治以前は水をコントロールすることが、いわば生命線だったのですね。

伊達政宗公が現代まで残してくれたこのような素晴らしいものを、現代の人がもう一度見つめ直し、次の時代にきちんと伝えていかなければならないと感じます。

大きな可能性を秘めた「伊達文化」

写真:亘理伊達家に残る伊達家の家紋入りの器

亘理伊達家に残る伊達家の家紋入りの器

写真:伊達政宗所用黒漆五枚胴具足(複製、仙台市博物館蔵)

伊達政宗所用黒漆五枚胴具足(複製、仙台市博物館蔵)

市長昨年4月に「政宗が育んだ“伊達”な文化」が日本遺産に認定されましたが、これをどう受け止め、広げていくかが今後重要になってくると考えています。

籠橋「“伊達”な文化」というものの、初代藩主だけが世間で知られているというのが仙台藩の特徴ですね。これだけ一人の殿様のみに関心が集中する藩は、全国でも珍しいと思います(笑)。「“伊達”な文化」ということなので、その言葉通り、二百数十年にわたり伊達家がこの地域を治めていた時代と文化を、もう少し広い目で捉えていくことも有意義だと思います。

市長確かに政宗公だけ断トツの知名度ですね。

伊達せっかくの日本遺産なので、伊達文化というものを日本史の中に落とし込んで考えることが大切だと思います。亘理や宇和島など、日本全国に残る伊達文化をもう一度この時代にネットワークでつなぎ、伊達家が日本の中で何を成したのかを振り返ることが、伊達文化に連なる私たちの使命であり、仙台がその旗振り役となっていただければと思います。

市長とても面白い、そして新しい視点での取り組みに広がっていきそうですね。宇和島市は仙台市の歴史姉妹都市で、現在もさまざまな交流を行っていますが、その他の伊達家ゆかりの地とも交流を深めていければと思います。

佐藤五郎八姫が夫の松平忠輝(ただてる)公と暮らした場所が新潟県上越市にある高田城なのですが、私たち五郎八倶楽部はそこの市民団体と交流しています。五郎八姫は京都で生まれ、大阪にも人質としていましたし、江戸にあった仙台藩の屋敷にもいました。そういう場所の市民同士で、交流できればいいなと思います。

市長遠藤さんはお祭り心が刺激されるのではないですか。

写真:遠藤瑞知(みずとも)さん

遠藤瑞知(みずとも)さん

桜井薬局セントラルホール支配人。「仙台・青葉まつり協賛会」で広報を担当するほか、観光冊子「仙台ふららん」でまち歩きコースを紹介

遠藤はい。お祭りは地域としての一体感が生まれますよね。でもそれだけではなく、まちについて考えるきっかけにもなるものだと思います。例えば、親が子どもにまちのことを教えて、「すごいね」と褒められる。そうすると嬉しくなって、また他のネタを探しますよね。そうしたやりとりにより、親から子へ、人から人へ郷土愛が伝わっていくのだと思います。

政宗公生誕450年にかける思い

市長最後に改めて、この政宗公生誕450年に期待することなどがあればお聞かせください。

伊達今年は政宗公ですが、来年は成実公生誕450年を迎えます。亘理伊達家としても北海道伊達市としても、政宗公と成実公を再評価する機会にしたいと思っています。そしてもう一つ強く思うのは、市民一人一人が自分のルーツを考え、先祖のことを大事にしていくきっかけの年になってほしいということです。

籠橋専門の立場から、やはり歴史を振り返る大事なきっかけの年になればと思います。時代背景や人となりに、今までより深く思いをはせる機会が、多方面に広がることを期待しています。

市長教科書に載っているようなことだけではなく、庶民の暮らしの基礎がどのように今につながっているかなど、自分と社会の両方のルーツを再発見するというのはとても興味深いことですね。

佐藤政宗公が好んだ文化を、市民が楽しめるような企画を考えたいです。マイ茶碗を持って外でお茶をたしなむ「ピクニック茶会」とか。緑が豊かで公園の多い仙台ならではの楽しみ方がたくさんあると思います。仙台城跡で雄大な景色を眺めながら、お茶会や能鑑賞をするのもいいですね。また、政宗公が好んだ料理をみんなで試食する会というのも面白そうです。

伊達残されている文書の中には、お茶会の料理のメニューやレシピもあるので、料理を再現してみんなで伊達文化を楽しむというのもいいですね。

遠藤政宗公のことを考えながら、改めて自分自身を見つめ直すことができたらよいと思います。仙台人として、仙台はこんなまちだということを一つでも多く語れるよう、いろいろな教養を身に付ける年にしたいです。

市長 450年の節目という機会ですので、いま一度、伊達政宗公や伊達文化についてみんなで見つめ直し、新たな視点で仙台の魅力を発信していきたいと思います。本日は短い時間でしたが、いろいろなヒントをいただきました。ありがとうございました。

写真:市長とゲストの皆さん