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更新日:2016年9月20日
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下水道がつくられる前には、雨が降ると水たまりができ、井戸水が汚染され、たびたび伝染病が流行しました。そのため、人々が住んでいる所から川などに速やかに雨や生活排水を流すことが必要でした。
分流式に比べて、早く、安くつくることができるため、汚水の処理ではなく流すことを目的に、合流式の下水道が整備されました。当時のトイレはくみ取り式で、農地の肥料としてリサイクルされていました。
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下水道が作られる前は、雨により井戸水が汚染されることがありました |
当時の下水道は雨と生活排水を流すことを目的に作られました |
これは、昭和9年~13年の下水道事業平面図です。
市内中心部では下水道の整備が進み、河川等に放流する雨水吐き口がたくさんあったことがわかります。
下水道は、伝染病の予防に効果を発揮しました。しかし、戦後、都市化が進み、人口が増え、上水道が普及して汚水の量が増えてきました。
また、生活水準の向上に従い水質も悪化し、河川等の汚染が深刻な問題となってくるとともに、人口の増加や化学肥料の普及により、し尿と肥料のリサイクルのバランスがくずれ、処分に困ると、し尿を砂浜に埋めたり、船で海に捨てたりしていました。
そこで、昭和32年から、今まで河川等に流していた汚水の処理と、トイレの水洗化を目的に、新しい下水道の整備が始まりました。
今まで下水が放流されていた河川等の近くに、遮集管(しゃしゅうかん)と雨水吐き室をつくっていきました。遮集管とは、今までたれ流しだった下水を遮(さえぎ)って集める管のことです。
合流管には汚水と雨水が混じって流れますが、雨水の量が多いため、全ての下水を処理場へ運ぶことはできません。そのため、ある程度雨で薄められた下水は、雨水吐き口から放流するようにつくられました。
太平洋に面して南蒲生浄化センターを建設し、遮集管(第1南蒲生幹線、梅田川幹線、広瀬川幹線、長町・南小泉幹線)がつくられ、現在の合流式下水道システムができあがりました。新しい下水道により、河川水質は劇的に改善し、トイレの水洗化も急速に普及していきました。
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