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開館時間

  • 9時00分から16時45分
    (入館は16時15分まで)

休館日

  • 月曜日
    (祝日・振替休日の場合は開館)
  • 祝日・振替休日の翌日
    (土曜日・日曜日、祝日の場合は開館)

開館カレンダー

観覧料(常設展)

  • 一般・大学生 460円(団体 360円)
  • 高校生 230円(団体 180円)
  • 小・中学生 110円(団体 90円)
    ※特別展は別途

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更新日:2020年1月24日

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主な収蔵品(戦乱の日々)

1.絵画 2.浮世絵 3.武器・武具 4.服飾 5.陶磁 6.漆器 7.人形

8.歴史資料 9.地図・絵図 10.慶長遣欧使節 伊達政宗 支倉常長 収蔵資料目録

2.戦乱の日々

秀吉のもとへ

秀吉が政宗に贈った具足(写真)
秀吉が政宗に
贈った具足

信長の跡を継いだ秀吉は、天正15年(1587)には西日本全体を支配下に入れ、東日本の大名も支配しようとしました。天正18年(1590)、秀吉は、小田原の北条氏直を討つため京都を出発し、政宗にも小田原に出兵するよう催促しました。
ここで秀吉に従うか、小田原のあと東北にも攻めてくるであろう秀吉と戦うか、政宗は一大決断をせまられました。伊達家では何度も会議が開かれ、伊達成実(しげざね)は戦いを、片倉景綱(かげつな)は従うことを主張しました。政宗の結論は、秀吉に従って小田原攻めに参陣することでした。
しかし出発前に政宗の毒殺未遂という大事件がおきました。これは、政宗に代えて弟の小次郎を当主にするために、母義姫(よしひめ)が図ったものともいわれていますが真相は不明です。伊達家の内部争いを避けるため、政宗は小次郎を斬り、小田原へ向かいました。
小田原攻めは秀吉の勝利に終わり、秀吉は東北地方まで配下に入れました。小田原に行かなかった大名の領地は没収され、秀吉の家臣に与えられました。また政宗の本来の領地は無事でしたが、摺上原の戦いで獲得した会津は没収され、蒲生氏郷(がもううじさと)に与えられました。

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岩出山移住と朝鮮出兵

 

岩出山城絵図(部分) 画像
岩出山城絵図(部分)

秀吉の東北支配に反抗して起こった葛西・大崎地方の一揆は天正19年(1591)7月、政宗が佐沼城にたてこもる一揆勢を討ちとって終わりました。秀吉は政宗の働きに対して葛西・大崎地方を領地として与えました。しかし同時に、米沢を中心とする本来の領地は取り上げられ、城も岩出山(宮城県)に変えられました。
9月、徳川家康(まだ秀吉に従っていた)から城を引き渡された政宗は岩出山に移住し、新たな本拠地づくりに取り掛かりました。しかし落ち着く暇もなく秀吉から朝鮮出兵の命令が届き、翌年正月早々に政宗は、秀吉から割り当てられた人数の倍の3000の兵を連れて京都へ向かいました。京都に入った伊達軍のいでたちは、見物していた町の人々を驚かせるほど派手で奇抜なものでした。江戸時代に作成された伊達家の記録では、このときの伊達軍の装いが、「伊達者」という言葉の起こりとなったと伝えられています。各大名の軍勢は、肥前名護屋(佐賀県鎮西町)から朝鮮に渡りました。政宗も援軍として海を渡り、文禄2年(1593)4月、釜山に上陸しました。日本軍は苦戦しており、また風土病も軍勢を苦しめ、政宗の家臣の原田宗時(はらだむねとき)らも犠牲となりました。8月、秀吉は日本軍に帰国を命じ、9月に政宗は帰ってきました。

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政宗の最後の戦い

慶長3年(1598)、秀吉が63歳で死ぬと、政治の実権をめぐって徳川家康と、石田三成らとの対立が激しくなりました。
慶長5年(1600)9月15日、家康軍は、関ヶ原で三成軍を破りました。天下分け目といわれる関ヶ原の戦いです。このとき、家康方についていた政宗は、三成方についた会津若松城の上杉景勝(かげかつ)の動きをおさえるため、7月に上杉方の白石城を攻め取り、9月には、景勝に攻められた山形の最上義光に援軍を派遣し、上杉軍を打ち破りました。

大坂夏の陣に出兵した政宗軍勢の図(複製・部分) 画像
大坂夏の陣に出兵した政宗軍勢の図(複製・部分)

家康は、慶長8年(1603)に征夷大将軍となって江戸に幕府を開き、名実ともに全国を支配することになりました。しかし、まだ豊臣家に味方する勢力もありました。家康にとって豊臣秀頼が受け継いだ「秀吉の権威」は邪魔でした。家康は口実を作って慶長19年(1614)とその翌年、大坂城の秀頼を攻め、ついに滅ぼしました。この大坂夏の陣は、政宗をはじめ戦国時代を生き抜いてきた大名たちにとって、最後の戦いとなりました。