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更新日:2021年2月2日
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スペインとポルトガルによる航海上の勢力争いが始まった15世紀から、両国に代わりイギリスとオランダなどが活躍した17世紀半ばまでの、ヨーロッパ人による海外進出がめざましい時期を「大航海時代」とよびます。当時のヨーロッパは豊かなアジアの物産を強く求めていました。ポルトガルは東回り航路によってインドや東南アジアに拠点を設け、香辛料、絹、宝石などを買い入れました。一方、スペインはこれに対抗して西回り航路を開拓し、アメリカ大陸に広大な植民地を手に入れました。その後フィリピンのマニラを拠点としてアジア貿易にも力を入れました。
16世紀の初め、ヨーロッパではキリスト教会の腐敗が問題となり、信仰のあり方をただす宗教改革が、プロテスタントとよばれる人々によって始められました。これに対抗し教会の立て直しをめざしたカトリック教会側のイエズス会は、アジアやアメリカ大陸にも宣教師を送りはじめました。日本にもフランシスコ・ザビエルが1549年(天文18)に初めてキリスト教を伝えています。
十字架とメダイ
国宝「慶長遣欧使節関係資料」
写真は木製黒漆塗りの十字架と青銅製のメダイを組み合わせたものです。常長が海外から持ち帰った品の1つです。メダイとは鋳造されたいわゆるメダルのことで、このメダイにはまわりをロザリオ(数珠のように使うもの)で囲むデザインの中に、幼いキリストを抱いたマリアがロザリオを聖ドミニコに授けるようすが表されています。このようなメダイは江戸時代に、踏み絵に利用されたこともありました。
仙台藩初代藩主伊達政宗は、1601年(慶長6)、岩出山(宮城県大崎市)から仙台に本拠地を移して、城下町を整備し、新田開発に力を入れるなど、仙台藩62万石の基礎を築きます。
また政宗は1613年(慶長18)、支倉常長ら一行をスペイン領メキシコ経由でスペイン、ローマへと派遣しました。これが慶長遣欧使節です。政宗はメキシコとの貿易を望む幕府側とも連絡をとり合っており、この使節は、幕府も認めた正式な外交使節団でした。使節の目的は、スペイン国王に会いメキシコとの直接貿易の許可を得ること、ローマ教皇に会い、仙台領内での布教のためフランシスコ会修道士の派遣を要請することでした。
支倉常長像
ユネスコ記憶遺産・国宝「慶長遣欧使節関係資料」
左の写真は、支倉常長がヨーロッパから持ち帰った自分自身の肖像画で、支倉常長の肖像画としては最もよく知られているものです。黒い服に身を包み、ロザリオを手に持つ常長が、十字架上のキリストに向かって一心に祈りをささげています。
日本に残る絵画の中で、実在の日本人を描いた油絵としては最古の作品といえ、近年の研究では、ローマで制作されたとみられています。
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