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更新日:2021年2月2日
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< >全国の動き
西暦 | 和暦 | できごと |
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1567年9月5日 | 永禄10年8月3日 | 伊達政宗、米沢城に生まれる。 |
1570年 | 元亀元年 | この頃、支倉常長が支倉常成の子として生まれる。 |
1574年 | 天正2年 | ソテロ、セビリアに生まれる。 |
1577年 | 天正5年 | 常長、伯父の支倉時正の養子になったとされる。 |
1582年~1590年 | 天正10年~18年 | <天正少年遣欧使節派遣される。> |
1587年7月24日 | 天正15年6月19日 | <豊臣秀吉、バテレン(宣教師)の追放を命じる。> |
西暦 | 和暦 | できごと |
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1603年3月24日 | 慶長8年2月12日 | <江戸幕府が成立する。> |
1608年11月29日 | 慶長13年10月22日 |
常長、下伊沢郡小山村をはじめ約60貫文の領地を与えられる。 |
1612年9月1日 | 慶長17年8月6日 | <幕府、直轄領でのキリスト教を禁止する。> |
1613年10月28日 | 慶長18年9月15日 | 伊達政宗、常長およびソテロをローマ教皇とスペイン国王の元へ送るため、牡鹿郡月浦からサン・フアン・バウティスタ号を出帆させる。=慶長遣欧使節、太平洋横断。 ※関連ページ:「3 慶長遣欧使節の旅」 |
1614年1月29日 | 慶長18年12月20日 | 使節、スペイン領メキシコのアカプルコ港に着く。(25日あるいは28日とも) |
1614年2月1日 | 慶長18年12月23日 | <徳川家康、全国にキリシタン禁令を発する。> |
1614年3月24日 | 慶長19年2月14日 | 使節、メキシコ市に着く。 |
1614年5月8日 | 慶長19年3月30日 | 使節、メキシコ市を出発する。その後、大西洋横断。 |
1615年1月30日 | 慶長20年1月2日 | 使節、スペイン国王フェリペ三世に謁見し、政宗の書状・贈り物を渡し、使命を述べる。 ※関連ページ:「4 スペイン国王に会う」 |
1615年2月17日 | 慶長20年1月20日 | 常長、洗礼を受ける。 |
1615年10月18日 | 元和元年8月26日 | 常長、イタリアのチヴィタヴェッキア港に入る。 |
1615年10月29日 | 元和元年9月7日 | ローマ入市式を行う。 |
1615年11月3日 | 元和元年9月12日 |
サン・ピエトロ宮で、教皇パウロ五世に謁見する |
1615年11月23日 | 元和元年10月3日 | 使節の常長等8人、ローマ市公民権を授与される。 |
1616年1月7日 | 元和元年11月18日 | 使節、スペインで待つためローマ市を出発する。 |
1617年7月4日 | 元和3年6月2日 | 使節、目的を果たせずスペイン(セビリア)を出発し、帰国の途に着く。 ※関連ページ:「6 失意の帰国」 |
1618年4月2日 | 元和4年3月7日 | 使節、迎えにきたサン・フアン・バウティスタ号でメキシコのアカプルコ港を出帆する。 |
1618年8月10日 | 元和4年6月20日 | 使節、フィリピンのマニラに着く。 |
1620年8月 | 元和6年7月 | 使節、ソテロをマニラに残し、バウティスタ号をスペインに買収されたため便船で長崎に帰る。 |
1620年9月20日 (または9月22日) |
元和6年8月24日 (または8月26日) |
常長、仙台に着き、政宗に報告する。その直後、仙台藩領内にキリスト教禁止令が発せられる。 |
1620年10月18日 | 元和6年9月23日 | 政宗、使節の帰国を幕府に報告する。この月、仙台藩におけるキリスト教徒の探索迫害が激化し、領内全域に及ぶ。 ※関連ページ:「7 キリスト教の弾圧」 |
1621年8月~9月か | 元和7年6月~8月か | 支倉常長、病没。52才(支倉家の年譜では、元和8年7月1日に52歳で死没とする)。 |
1624年8月25日 | 寛永元年 | 密入国のソテロ、火あぶりの刑に処される。51才(数え年)。 |
1635年7月12日 | 寛永12年5月28日 | <幕府、日本人の海外渡航と外国からの帰国を禁じる。帰国者は死罪。> |
1636年6月27日 | 寛永13年5月24日 | 伊達政宗没する。70才。 |
1637年12月11日 | 寛永14年10月25日 | <島原の乱おこる。> |
1639年8月4日 | 寛永16年7月5日 | <ポルトガル人の来航を禁ずる。> |
1640年4月21日 | 寛永17年3月1日 | 常長の子常頼、斬罪に処される。召使い3人と弟常道がキリシタンであったことの責任を問われたもので、召使い3人も殉教。 |
1641年6月24日 | 寛永18年5月17日 | <オランダ人を長崎の出島に移す。鎖国の完成。> |
西暦 | 和暦 | できごと |
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1873年5月29日 | 明治6年5月29日 | 岩倉使節団、イタリアのヴェネツィアで常長の書状を発見する。 ※関連ページ:「8 常長が持ち帰った品々のゆくえ」 |
西暦 | 和暦 | できごと |
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2001年6月22日 | 平成13年6月22日 | 常長が持ち帰った品々である慶長遣欧使節関係資料が国宝に指定される。 ※関連ページ:国宝「慶長遣欧使節関係資料」リスト |
2013年6月19日 | 平成25年6月19日 | 慶長遣欧使節関係資料のうち「支倉常長像」「ローマ教皇パウロ5世像」「ローマ市公民権証書」がユネスコ記憶遺産に登録される。 |
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